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第6話水面化で
「———それで、ジャレッド、ジャレッド! 聞いているかい?」
「え? あっ!」
ガシャンと、陶器と金属のぶつかり合う音が鳴る。
ジャレッドが驚いた拍子に、皿の上にナイフを取り落としたのだ。
「すみません、イーノク兄さん」
「何かあったかジャレッド、悩みがあるなら遠慮せずに話せ、それとも何処か身体の調子が悪いのか?」
イーノクは眉を顰め、お前らしくないと訝しむ。
広い大広間に兄とジャレッド、二人だけの夕餉の席だった。父に付き添い王政に携わっている兄は忙しく、まともに会話をしたのは一月ぶりくらいになる。
弟想いの思慮 深い兄は、閨教育の夜を境に元気をなくしたジャレッドを心配して時間をとってくれたらしい。
「いえ、何でもないのです」
「本当に大丈夫なのか? 近頃はずっと上の空で変だぞ。あんなにべったりだったのに、ギルとも距離を置いているそうじゃないか」
イーノクはちらりと扉の外へと視線を向けた。
従者の役割も担うギルは、父や母に招集される以外は常にそばにいる。今日はもう必要ないと伝えてあるが、おそらく番犬よろしく廊下で待機しているだろう。
「問題ありません、わざわざそれを聞くために時間を割いて下さったのですか?」
あくまでもシラを切る弟に、兄は溜息を吐く。
「それだけではないぞ、お前に見せたいものがある」
「見せたいもの? 何ですか?」
兄を見つめ、ジャレッドは首を傾げた。
「見てのお楽しみだ、フィンあれを頼む」
イーノクは後ろに控えているお付きの侍従に、指で指示を出す。
フィンは一礼して退出すると、数分後に仰々しくワゴンを押して現れた。クラシックな木製のワゴンには紅いクロースが被せてある。
「これは?」
「布を取ってみろ」
兄は愉しげに笑みをこぼし、ジャレッドをワゴンへと促した。
言われたとおりにジャレッドは立ち上がり、ワゴンに歩み寄る。クロースに形どられたなだらかな膨らみは平らに近く、連なった山脈のように長い。
———見覚えのある、これは・・・・・・!
ジャレッドは勢いよく紅いクロースを取り去った。
「うわぁあ! 剣ではないですか!」
これでもかと言うほどに、ジャレッドは高らかな声を上げた。
真っ直ぐに伸びた刀身は白銀に輝き、持ち上げると心地よい重厚感がする。柄の太さは精巧な計算のもと作られたのだろう、握り込むと無駄な隙間もなく手に収まった。
「どうだ気に入ったか? 騎士を目指すなら、そろそろ持っていてもいい頃だとお父上からの言伝だ」
「ではこれはお父上が? 嬉しい。こんな素晴らしいものを頂けるとは思っていませんでした」
ジャレッドは国民に慕われている父アンデレ国王を非常に尊敬している。しかし忙しいためか、遊んでもらったことはもってのほか、声をかけてもらった記憶さえも乏しかったのだ。
「はは、そうかい? それは良かった。フィン、彼を連れてきてあげて」
イーノクは弟の喜び様に満足し、フィンに目配せをした。
「かしこまりました」
フィンは大広間を出て、今度は間を置かずに戻ってくる。なぜか一人ではなく、後ろに従えている背の高い男はギルだ。
「ギル? え、もしかして・・・・・・」
ジャレッドはある事が思い当たり、手に持った剣を見下ろす。
その様子にギルは胸に手を当て、頷いた。
「ええ、以前は私の使っていた大剣でした」
「それをジネウラに頼んで、ヨハネス王国の腕の良い鍛冶屋に打ち直させたんだよ。さらに・・・・・・聞いて驚くなよ? これには兄弟剣としてもう一振り打ってあるんだ」
イーノクはニヤリと笑い、侍従に向かって「ん」と手を差し出した。
「こちらに」
差し出された手のひらの上に同様の作りをした剣が乗せられる。
「では、そちらは兄上がお持ちに?」
そんなわけないだろ、とイーノクは苦笑してかぶりを振る。
「残念ながら、俺に剣の才能はない。それにお前も知っているだろう? この二振りは特別な剣になる。俺はギルが持つべきだと思うけどな。なあ、ギル」
イーノクに視線を投げられ、ギルはジャレッドの前に跪いた。
「はい、ジャレッド様がお許しになって下さるのならば、ぜひとも」
「・・・・・・ギル、そんな」
嘘でしょと、ジャレッドは叫びたくなった。どうして、このタイミングで・・・・・・。
ヴィエボ国では男女が愛を誓い合い夫婦 になるのと並び、特定の同性相手と永遠の契りを結べる特別な関係がある。騎士特有の古い慣習であり恋愛のそれとは異なるが、この契りを結んだ男たちは互いに命を預け合い、身も心も一身となって共に闘い、生きていくことを誓う。そのために、そうなれる相手を選ぶ。
戦場で死と隣り合わせに置かれる騎士たちは、互いの存在を心の支柱として己れを鼓舞するのである。
その証とするのが、ひとつの素材を分け合って打たれた兄弟剣なのだ。
けれどジャレッドは奥歯を噛み締め、逡巡 する。
頷いてしまうのは簡単。頷けば、一生この男は自分のものになる。これはそういう誓いなのだから。
ギルと剣の契りを結べることは素直に喜ばしい。ジャレッドにとって、これ以上の名誉はない。いつかはそうなれたら良いとも思っていた。
でも・・・・・・どうしようもなく、膝をついて頭を下げ、真摯に跪 くギルの姿がどうしようもなく歯痒い。
ジャレッドには分かっていた。この男が残りの生涯をかけて与えてくれるのは絶対の忠誠のみ、そこに自分の求める愛はないのだ。
「・・・・・・ごめんなさい、少し考えさせて欲しい」
ジャレッドの答えに、穏やかだったギルの表情が強張る。
「ジャレッド様・・・・・・っ!」
「・・・・・・ごめん、兄上も、結論が出るまではこの剣は貰えません」
「お、おいっ」
ジャレッドは剣を兄の手へ託すと、逃げるように踵を返し大広間を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジャレッドが出て行った大昼間は静まり返り、重たく気まずい空気が流れていた。
張り詰めた雰囲気を破り、やれやれとイーノクが口を開く。
「あちゃー、振られちゃった。ギル、お前はほんとに何をしたの?」
「心当たりはないのですが、私では駄目なのかもしれませんね・・・・・・」
ギルは床に片膝をつけた姿勢のままで目を伏せる。力無く拳を握り締め、大きな背中は猫背に丸まっている。
「こらこら、昔の悪い癖がでてるよ。ほら胸張って! その大きな身体は何のためにあるんだい? お前がそんな情けない姿だと、兄として、安心して弟を任せておけないな」
「・・・・・・申し訳ございません、分かっております」
イーノクからの叱咤 に、ギルはクッと顔を上げた。
「ふぅ、さて困った、うーん・・・・・・、年頃の少年は難儀だな。まったく予想外の展開だよ。君たちには早く仲直りしてもらわないといけないんだけど」
「あのことはジャレッド様にはやはりお伝えせずに?」
そう言ってギルが伺い見ると、イーノクは厳しい顔で腕組みをした。
「そうだ、それがお父上のお考えであるからな」
「・・・・・・は、かしこまりました。国王様のご判断であるならそのように」
イーノクは目を細め、納得したかに思えるギルの内心を見通して笑う。
「なんだ、流石のお前も恐れを成したか」
「・・・・・・っ」
イーノクは更に目を細める。
「構わん、言ってみろ」
「・・・・・・ジャレッド様に全てをお伝えしないということに関しては反対しておりません。私もそうあるべきだと思います。しかしこの様なやり方は正しいのでしょうか。ヨハネス王国と良好な関係を築いてゆくためとは言え、軍を同行させて他国を攻めるなど、これまでの教えに背く行為です。ヴィエボ国の手で争いの火を着けることになる」
「ああ、お前の言いたいことは分かるよ。だが分かっているだろう? 数年前までとは状況が変わった。一見静かに見える近隣諸国も、裏で着々と準備を進めている筈だからな。いずれ訪れるその日に備えて、貿易大国であり、かつ武器大国としても名を馳せるヨハネスは必ず味方につけておきたいのだ」
その冷淡な物言いを聞き、前のめるようにしてギルは口を開いた。
「愚鈍 な思い付きかもしれませんが・・・・・・、もしかしてジネウラ姫とのことも、本当のところイーノク様の方から仕掛けられたのですか」
「ふふ、さあ、どうだろうな」
若き王太子は、青年らしからぬ憂いを口元に浮かべる。思わずぞっとしてしまうニヒルな笑みに、屈強な騎士の背中が粟だった。
やはり見かけによらず恐ろしい御方である。
漆黒の髪色と整った顔立ちは、弟ジャレッドとよく似通っている。
武道剣術には向かないと口にしていたのは事実、しかし身体つきこそどちらかと言えば女性的で繊細であるが、その身体に似つかわしくない、圧倒的な威厳を仄かに感じさせる。
加えて怜悧 さを漂わせる涼やかな目元と、ジャレッドと比べて青みの濃い碧眼が、海の底よりも深い彼の強 かさを体現しているようだった。
「ギルの懸念は間違っていない。教えを破ることでヴィエボがどうなるのか、俺にも父上にも正直読めない。だからこそ、お前にこれを許したんだ」
そう言ってふっと口元を緩め、イーノクは二振りの兄弟剣を感慨深い表情で撫でた。
「剣の契りとは上手く言ったものだと思わないか? 夢見る青少年たちにはうってつけだ。聴こえさえ良ければ誰も、その成り立ちを深く掘り下げようとしない。だがお陰で今は、相手を特別な相手とみなすという美しく偽られた部分のみが一人歩きしていて助かったが・・・・・・」
と、そこで一度口をつぐむ。
「イーノク様?」
「いいや」
イーノクは小さく首を振るとギルに向き直り、頭一つほども上背の高い男を威光をたたえた青い瞳で捉えた。
「良いかギル、この二振りの兄弟剣は、ジネウラに頼み、ヨハネス王国で打たれた。さて、そう言われたらお前はその意味をどう取る?」
首を傾ぐイーノクにギルはハッとして顎を引き、口を一文字に結ぶ。
「・・・・・・は、たしかに、心得ました」
「宜しい、では、もしものことがあれば弟を頼んだぞ。死んでも護れ、必ずだ」
無言で視線を交差させ、ギルはイーノクの言葉に決意を込めて頷いた。
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