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第7話嵐の予感【1】

大広間を飛び出した足で、ジャレッドは中庭に出た。兄の都合に合わせ大広間に入ったのは比較的早い時間であったのに、今や完全に夕闇に包まれている。  この時間帯の王宮は情緒的で(おもむ)きがあった。  ぽわんぽわんと、黒に溶けるオレンジ色の温かい光に、耳を洗うような静かな噴水の音。ひやりと肌を撫でる、冷たい秋風が心に沁み入り、感傷を誘う。  ジャレッドは人知れず、シャツの袖で目頭を擦った。あれからこうして隠れて泣くことが増えた。男として、騎士を目指す者として、恥ずべきことだと自覚がある手前、こんな姿は人に見せられない。  でも駄目だ、今日は流れ出る涙が止まらない。  けれど、いいだろうか。今日くらいは思い切り泣いても。夜番をする近衛兵が所々に立っている他は誰の気配もしないのだから。 「ふっ、うう、ギルの馬鹿、この前ははっきり断ってきたくせに、人の気持ちも知らないで・・・・・・」    ———ガサ、ガサ、パキッ  何だ? ジャレッドは物音を感じて周囲を見回した。  枝が折れ、葉が擦れる。ジャレッドは慎重に音の方へ歩みを進め、薔薇園を一周してみた。どうやら音は薔薇園の垣根のさらに奥、温室の中から聞こえる。  ごくりと唾を呑み込み、壁伝いに身を寄せて中を覗いた。しかしランプを持ってこないと、暗過ぎて人がいるかは見えない。  仕方がない。ジャレッドは近衛兵が待機している回廊の位置を目で確かめ、大きく息を吸った。 「誰だ、今すぐ出てくるなら見逃してやるぞ!」  そう言い、暗闇に向かって大声で脅しをかけた。 「おい、聞いているのか、はや・・・・・・」 「ご、ごめんなさいっ」  二度目で返答が返ってくる。  ジャレッドは震えるその声に聞き覚えがあった。 「・・・・・・はあ、出ておいでチェロル。チェヤンもいるのかな?」  それから数秒間を置き、垂れたイヌ耳の人影が二つ浮かび上がる。 「やっぱり、ほら怒らないから早くおいで」  ほっと胸を撫で下ろして伝えると、やがて手を繋いだ双子の兄妹がトコトコと影から現れた。 「ここに居た理由は聞いてもいい?」  ジャレッドは腰に手をやり、気まずそうに地面を見つめている二人に声を掛けた。 「あのね・・・・・・、孤児院のフィリアお姉ちゃんに、お花を届けたくてっ」  か細い声でチェヤンが話し出す。 「フィリアお姉ちゃん?」 「うん、明日結婚式を挙げるの、お姉ちゃんが好きなお花が・・・・・・ここに・・・・・・あって」  次第に彼女の声色が怪しくなってくる。 「チェヤン、チェヤン泣かないで。すみません、僕が説明します」  ぎゅっと手を強く繋ぎ直し、チェヤンの説明をチェロルが引き継いだ。 「僕たちは王妃様の許可を頂いて、時々街へ薔薇の花を売りに行っているのです。そこで知り合った孤児院のフィリアという女性が明日結婚式を挙げるので、夜のうちに教会をお花でいっぱいにしようって孤児院の子たちと約束していて」  懸命に話す少年に、ジャレッドは「うん」と相槌を打ってやる。 「それで最初は薔薇を摘んでいたのですが、この温室内に彼女の好きなお花があると僕が言い、勝手に入ってしまいました。すみませんでした」  それを聞いたとたんに、ベソをかいて俯いていたチェヤンが勢いよく口を開いた。 「違うよぉ! 私がわがまま言ったから」 「しーっ、僕が言ったんだ、それでいいから」 「だめ、だめ」  ジャレッドは頭をかいた。仲睦まじく秘密の話し合いをしているが、全て丸聞こえなのである。 「くくっ」  ジャレッドの口から笑みが溢れ、瓜二つの双子が左右それぞれに片耳をぴょこんとあげてこちらを向く。まさに鏡合わせだ。 「俺が母上にお願いしておいてあげるから、好きなだけ持っていくといい」 「「ほんとぉ?」」  二人の声が綺麗にハモる。  これにはたまらず大きな笑い声が出た。 「はっはっはっ、ああ、いいよ」 「ありがとうございます」 「ありがとうございます」  二人は仲良くお礼を言い、深々とおじきをする。  ジャレッドはお尻でパタパタと揺れるしっぽを眺め、ぽつりと呟く。 「チェロル、チェヤン、これから街へ行くのなら俺も着いて行ってもいい?」  チェロルはびっくりし、さっそく摘み始めた花をぽとりと落とした。 「あの、殿下は危険ではないでしょうか」 「夜の街に君たちだけで行かせる方が危険さ、俺は護身術の類いは身につけているから平気だよ」  そう言ったが、チェロルは「でも」ときょろきょろする。 「どうした」 「護衛のギルさんは一緒ではないのですか?」  ギルの名前が出てきたために、ジャレッドは大人げなく顔を背ける。 「・・・・・・あいつは知らない」  するとチェロルは困惑した顔で首を傾げたが、すぐに取り直してにっこりとした。 「ジャレッド様がおっしゃるならばぜひどうぞ」  それからチェロルとチェヤンが両手に持ったバスケットいっぱいに彩どりの花を摘んでいる間に、ジャレッドは連れ添わせてもらう代わりにと、厨房に行けば常時されている甘い焼き菓子をこっそりくすねて手土産にした。 「これだけあれば足りる?」  と持ち帰ると、ジャレッドの抱えた菓子を見て幼い兄妹はぴょんと飛び跳ねる。 「わあ、充分です! 僕らよりも小さい子もいるのできっと喜びます」 「うんっそうだね、はやく行こぉよ」 「あ、待って」  ジャレッドは正門に向かって駆けていこうとする二人を、引き留めた。 「正門には近衛兵が立っているから、こっち」  二人は問題なく出られるだろうが、ジャレッドは見つかると少々厄介だ。  昔の勘を頼りに裏手に回り、(つた)が絡まったまま放置されている古い厩舎(きゅうしゃ)の扉を開けた。昼間でも暗く薄気味悪いのが、夜の時間帯と相まって幽霊でも出そうな雰囲気がする。 「・・・・・・ジャレッド様、ここに入るの? 怖いよ」  案の定、覗き込んだチェヤンが泣きそうな顔をした。 「僕がついているから大丈夫、ね?」  すかさずチェロルは妹の手を繋ぎ、ジャレッドに視線で頷く。 「うん、着いてきて」  ジャレッドは厩舎に足を踏み入れ、記憶にある道を辿った。奥行きの長い厩舎はギシギシと崩れ落ちそうに床が軋み、進むにつれ埃っぽい匂いが強くなる。 「この辺だと思ったんだけど、・・・・・・ごほっ」  床を探る為にしゃがみ込み、ジャレッドはむせ返る。その時、膝をついた箇所が一際大きく軋んだ。 「あった、ここだ」  ジャレッドはバリバリと朽ちた木板を剥がす。釘で留めただけの簡素な薄い板の下には、分厚い石板のような扉があった。  扉を持ち上げると、微かに冷たい風が吹き抜けてくるのがわかる。 「よかった、塞がれていない」  手をかざして、安堵する。 「これは地下階段でしょうか?」 「そう、何個かある隠し通路のうちの一つ。俺が幼い頃、抜け出す時に使ってたのがバレて封鎖されちゃったんだ。だからこの通路のことは秘密ね」 「ジャレッド様がそんなことを」  驚きを隠さないチェロルの声に、ジャレッドは苦笑した。

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