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第8話嵐の予感【2】

 カツン、カツンと靴底の音が暗い螺旋階段に響く。  階段も四方の壁も、全部が石造りの無機質な暗闇は何処までも続いているかに思える。それでも幼かった頃は朝夜構わずここを一人で駆け抜けていたのだ、怖いもの知らず過ぎて当時の自分に呆れてしまう。  しかし何よりも好奇心が勝ったのだろう。それほどにジャレッドにとって外の世界が魅力的だったということだ。  王宮での暮らしは窮屈(きゅうくつ)でなくても、壁が確かに存在する。この通路のように、物理的な距離を感じると余計に痛感する。 「ジャレッド様は、お優しいですよね」  後ろから着いてくる小さな足音に混ざり、不意にチェロルが呟いた。 「そう思うか? 俺も王族の端くれなんだよ、飢えや寒さに苦しむことなく、ぬくぬくと育てられた。この国の何処かで苦しんでいる民がいても知らずに、・・・・・・知らされることもないまま、毎晩温かいベッドで眠ってきたんだ。優しくなんかない」 「・・・・・・そんな、ジャレッド様が気に病む必要は無いのです。僕が見た限りでは、この国の人々は幸せそうですよ」  その声にジャレッドは振り向いた。 「この国の人々はって、チェロルとチェヤンの生まれた国はそうではなかったのか?」 「んーと」  不自然に、チェロルが言い(よど)む。 「・・・・・・すみません、忘れてしまいました!」 「チェロル?」  眉根を寄せたジャレッドの顔を見て、チェロルは慌ててチェヤンの手をひき歩調を早めた。 「先を急ぎましょう! 夜が明けてしまいます」  詮索しないで欲しいと言わんばかりに、チェロルのおっとりした口調が緊張感に満ちている。 「・・・・・・わかった。待って、百・・・・・・二十、百二十一、たしかここだったはず」  ジャレッドは気になる気持ちをぐっと堪え、壁の燭台を数えると、蝋燭に灯った炎の間に向かって「パチン」と指を鳴らした。  次の瞬間に二本の蝋燭の炎がわっと燃え広がり、炎で扉が創られる。 「わあっ、おもしろーい! やりたーい!」 「いいよ、やってごらん」  ジャレッドは一度炎を(しず)め、はしゃいだチェヤンに場所を譲った。 「えい!」  チェヤンが真似をして指を「パチン」と鳴らす。 「あれ?」  だが何も起きない。 「ん? おかしいな」  首を捻りながらジャレッドが指を鳴らすと、再び鮮やかな炎がアーチを創るように曲線を描いて燃え上がった。 「これはもしかして、とても古い仕掛け魔法ではないでしょうか」  チェロルが興味深そうに目を輝かせ、炎へ手を伸ばす。 「うーん? たぶんそれはそうなんだけど、誰がやっても同じだと思っていたのに違うのかな」 「まさかっ、魔法であれば魔力を持っていなければ反応しないですよ! 凄いです! 小さい頃、国に魔法使いの曲芸団が来たことがあって憧れていたんですっ」  非常に声がうわずり、尻尾がぶんぶんと振られている。興奮しているのだ。 「でも魔法使いはないだろう、だってヴィエボは人間の国で、俺も人間だし。これは大昔に造らせた仕組みだって聞いてるぞ?」  ジャレッドの認識では子どもの時からそうだった。  この階段の先にあるのは王都の中心を流れるナパ運河の下に秘密裏に作られた地下トンネル。トンネルは王都の外まで続き、緊急時には王族が逃げる為の通路となる。 「どうやって地上に出るのですか?」 「これはアリの巣を模した形状をしていて一本道ではないんだ。もっとも分かれ道の場所を知らないと出られない作りになっているけどね」  王家にのみ伝わる地下通路のため、言いふらしてはならないときつく言われている。 「そうですよねぇ」    チェロルは残念そうに呟く。  しかしどうも忙しなく垂れ耳の根本がピクピクと動いている。  ・・・・・・うっ、これは、もしや期待されている。 「もう何も出ないよ、ほら、急がないといけないんだろう?」  そう言って手をひらひらさせ、炎のゲートの向こうを指差すと、チェロルは渋々そちらへ視線を戻した。  ジャレッドと双子はやがてナパ運河の出口の一つから街へ出た。案内された教会は孤児院に併設された建物だった。牧師のいない形だけのもので、見窄(みすぼ)らしいイヌ耳の双子と共にジャレッドが姿を現すと、当然のことながら、集まった子どもたちは目を丸くして固まった。 「ここに集まっているのは孤児院に暮らしている子たちと、近所の遊び仲間の子たちです」  チェロルはクスクスと笑うと、ジャレッドを見てあんぐりと口を開けている子どもたちの輪の中に入っていく。 「まじかよ、ホンモノの王子様じゃん」  一人が呟いたのを皮切りに、それぞれが小鳥みたいに喋り出し、しんとした空気が一斉に沸いた。 「すげぇっ! チェロルとチェヤンが王宮で暮らしてるってのは、本当だったんだな」 「俺も冗談だと思ってたぜ」 「だから言ったでしょっ、今日は王宮の甘いお菓子もあるのよ」  口々に驚嘆の声が飛び出し、むんっとチェヤンが得意げな顔をする。 「なんでチェヤンが威張ってんだよ」 「ははは、そうだぞ」 「それじゃあ、お菓子は後でだな」 「早くやっちゃおーぜ」  賑やかに会話がなされ、「はーい」と小さい子が手を挙げた。  ジャレッドはその光景を柔らかな気持ちで眺めていた。  女の子たちは花を中央通路に並べ、男の子たちは高い窓にカーテンのレースで手作りされた装飾品を飾る。とても穏やかで心があたたかくなる光景だ。 「おいお前、突っ立ってないで手伝え」 「うわっ」  ジャレッドは投げられたものを反射的に掴んだ。  見てみると、それはレースのリボン。  投げて寄越したのは、子どもたちの中でも年長組に含まれる少年の一人だった。ジャレッドと同い年くらいだろうか、鮮やかな金髪の癖毛がぴょこんと跳ねている。 「ちょっとインガル、彼は王子様だよ? そんな言葉遣いしたら駄目じゃない!」 「あ? じゃあ、何しに来たんだよ。居るだけなら邪魔だろ」 「もー! その言い方!」  つんけんした態度が気になるが、インガルという少年の言うことはごもっともだ。 「いや、俺が悪かったよ。手伝う」  ほら、とインガル少年は肩をすくめ、ジャレッドの後方に顎を突き出す。 「じゃ、そこの真ん中から後ろの列まだだから」 「そっちね、分かった」  やれやれと思いながら、ジャレッドは投げてよこされたリボンの取り付けに取り掛かった。見よう見まねでベンチにリボンを通していると、少し経ったころに「難しいか?」と声がかかり、自然な流れで「ああ」と顔を上げた。 「貸せよ」  と言われ、ジャレッドは驚いた。手を差し出しているのはインガルで、当たり前のように横に並んで腰を屈めている。 「・・・・・・あれ、一緒にやってくれるんだ?」  彼を見つめると、インガルは不機嫌そうに顔を歪めた。 「は? 誰も一人でやれなんて言ってないだろ」 「・・・・・・あ、そう、ごめん」  何故か強い口調で返され、ジャレッドは口をつぐんだ。

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