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第9話嵐の予感【3】

「そうじゃないって、よく見ろよ」  インガルはジャレッドの手からリボンをひったくり、チャーチベンチに結びつける。 「こうやんの! なんでわかんねぇんだよ」 「ごめん、ありがとう」  礼を言ったが、ジャレッドの笑みは引き攣っていた。   「ったく、ヘラヘラしやがって」  先程から同様のやりとりが複数回繰り返されている。  この少年は喧嘩腰にならないと物が言えないのだろうか。それとも単純に自分のことが気に入らないだけか。  気に入らないのなら話しかけてこなければ良いのに、世話焼き婆やのように手取り足取り教えたがり、そのくせ最後は怒り出す。一体なんなのだ。 「おい、手が止まってるぞ」  インガルがリボンを乱暴に突き返してくる。 「はあ、インガル」  ジャレッドの口からついに溜息が出た。 「君は俺の名前を知らないのか?」 「知ってるけど?」  さらりと交わされただけでなく、インガルは「だから何」と言いたげに据えた目つきになる。 「それなら、名前で呼べよ」  思わずジャレッドは語尾を荒げた。 「ははんっ、王子様だからって偉そうだな」  ジャレッドはカッとなった。 「・・・・・・そんなつもりじゃない!」 「ふぅん、でも、そうは見えないぜ?」 「なんだとっ」  インガルは「後ろを見ろ」とジャレッドを視線で促す。 「なに?」  ジャレッドがしかめ面で振り返ると、インガルとの会話が聞こえていたのか、誰しもが固唾を飲み、遠巻きに自分を見つめていた。  ジャレッドはその時点で揶揄(からか)われていたのだとやっと気が付き、唇を噛んで顔を伏せた。 「インガルさんっ、言い過ぎです」  チェロルはジャレッドを援護した。 「そうだよ、虐めるなんてひどいっ、私はそんなこと思ってないもん。皆んなもそうだよね?」  チェヤンが問いかけると、教会内の子どもたちは戸惑いながらも二人の言葉に賛同し、うんうんと頷いた。 「なんだよ、別にちょっとからかっただけじゃん」  今更下手な言い訳をしても、この場に彼の味方はいない。そう悟ったのか、インガルはバツが悪そうに舌打ちをし、扉を蹴り上げて出て行った。  可愛らしく飾られた扉が派手に音を立てて締まり、ジャレッドはしばらく立ち尽くした。なんとも言えない後味の悪さが胸に残り、綺麗に櫛の通された黒髪をクシャっとかき乱してしまう。 「・・・・・・俺も、帰ろっかな」  とたん、わっとチェロルとチェヤンが駆け寄ってくる。 「せっかく来てくれたのに、ごめんなさい」  彼らは何も悪くないのに、双子のふさふさの尻尾が股の間にくるりと丸まり、垂れた耳はこれ以上なくぺしょっと潰れていた。  双子の後ろに隠れた子どもたちは、おそるおそるといった様子でジャレッドに問いかける。 「インガルは牢屋に入れられちゃうの?」  いくら何でもそれは極端だろう・・・・・・。 「そんなことはしないよ、安心して。ただ、彼はちょっと俺のことが嫌いみたいだから、俺はここにいない方がいいと思うんだ」 「・・・・・・そんなあ」  残念がってくれることに嬉しさと申しわけなさを半分ずつ感じ、ジャレッドは「ごめんね」と微笑んだ。  ジャレッドが教会を出た直後、後を追ってくる靴音に足を止める。 「なに、誰?」  振り返ると、その少年は顔を強ばらせた。 「尾行が目的じゃないでしょ?」  初めて見た顔だ。スプラウトみたいに痩せた身体。背は高め。ぶかぶかのハンチング帽のせいで目元まで隠されているが少年の年頃はジャレッドやインガルと近く見える。先ほどの集団の中では保護者的な立ち位置の年齢だ。そこでジャレッドは少しばかりキツい口調で問い詰めた。 「・・・・・・あ、うん」 「なに? はっきりしなよ」 「インガルのことなんだけどさ」 「はあ、まだ何か文句がある? 今その名前は聞きたくないんだけど」  ジャレッドは溜息をつく。 「あいつの家の事情知ってんのかなって思って」 「事情?」 「や、ほら、あいつって元公爵家だし」  あまりにも唐突で、予想だにしなかった言葉にジャレッドは耳を疑った。 「公爵家だと?」 「詳しくは知らないぜ? いきなり家も領地も何もかもを奪われたらしい。国王様に会いに行った翌日の出来事だったとか」  欠片も聞いたことのない、寝耳に水の話だった。 「・・・・・・それで今、彼の家族は?」  苦いと分かっているものを、わざわざ口に入れるような真似をするのは馬鹿げているが、しかし聞かないでいられないのがジャレッドの性分だ・・・・・・。 「財産はほとんど没収されちまったから、わずかに残った物を売って細々と暮らすしかないだろ。父親も職につこうと頑張ってるらしいけど、公爵の経験なんて平民になればこれっぽっちも役に立たないんだとよ。おまけに母親は身体が弱い上、心労が重なって寝たきり。歳の離れた兄貴が軍の遠征に加わって、なんとか食い繋げてるって言ってたぜ」  ジャレッドは乾いた空気を吸い込んだ。 「それで王族を恨んでるって言うのか?」 「そうじゃないと思う。それとも王族様は、下々の人間の顔なんて覚えていないのか?」 「おぼえ、・・・・・・あ」  わずかに嫌味を含んだ少年の言葉にハッとした。  癖のある金髪、同い年の子ども。  いつぞや王宮の中庭で遊んだ『誰か』の面影が蘇った。 「アラン公爵の三男っ!」 「ああ、そうだよ」  少年はほっとした表情を見せ、にやりとする。 「彼が行きそうな場所がわかるか? 案内しろ」 「へーへー、仰せの通りに、王子様」  少年に教えられた場所にインガルはいた。  教会からそう離れていない石畳の広場。真ん中には平和を象徴する女神の石造と慰霊碑がある。その奥の芝生の上でインガルは仰向けに寝転んでいる。  夜中に子ども一人でいささか危険だとも思うが、強盗や強姦対応はむしろ貧困窟で生きる子どもの方がお手のものだ。猫のような身のこなしで返り討ちにするか、隙をついて逃げ出すか出来る。  だが眠っていれば話は別。賢い野良猫はそんな愚かなミスは犯さない。  ジャレッドが明らかに足音を鳴らして近づいても、インガルは不自然に目を瞑ったまま。一目で狸寝入りだとわかる。 「イニー」  真上から覗き込むと、インガルは薄く片目を開けた。 「・・・・・・やっと思い出したか、相変わらずマイペースだな王子様は」 「突然姿を見せなくなったから心配していた」 「嘘クセェ」  インガルは、すっと視線を逸らす。 「嘘じゃないイニー、君は王子である俺とも気兼ねなく遊んでくれる唯一の友人だった」 「ふぅん、ちゃんと覚えてるんじゃん」 「覚えているさ、また遊ぼうねって別れてそれきりだった。公務で王都を離れたと聞いてはいたけど、何も音沙汰がないし。君たち家族に何があったんだ?」  インガルは答える代わりに、緩慢に唇を動かした。 「この広場はよ、アランテアトロンて名前なんだぜ」 「ああ、知っている」 「街の皆が憩える場所になればいいって、父さんが大金叩いて作ったんだ」 「・・・・・・イニー」  ジャレッドは、ぼんやりと空を見上げるインガルの横に腰を下ろした。 「国のために尽くして、最後は残飯みたいに捨てられて、国王様ってのは思いのほか無慈悲だよな。おかげで俺の家族はもれなく路頭に迷うことになった」  そう言うと、無理におどけて歯を見せる。 「だから誰にも言えなかったけど、いい暮らしをしてる奴らは全員死ねばいいって、恨んで生きてきたんだ。でも、お前の顔見たら懐かしくて、恨むなんてできっこなかった」 「・・・・・・イニー、ああ、もう、まさかこんなふうに再会するなんて。俺には何もかもがさっぱりなんだ、お父上はそのような薄情な人ではないと思っていた」  片手で額を押さえ、ジャレッドは苦悶を漏らした。  その反応を見てインガルは目をすがめ、半身を起こす。 「ジャレッド、ほんとに何も知らないんだな」 「何のことだ?」

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