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第12話ゲーニウスの騎士様【1】

 言うほど貧しくはない。  両親の切り盛りする食事処は毎日盛況で、八人いる兄弟姉妹たちとも仲がいい。友達も多かったし、その日の暮らしに困ることもなければ、将来の不安もなかった。  庶民の中では恵まれた生活を送れていたと思う。  それは、ギルが十二歳の冬。  ヴィエボ国には珍しい雪の日だった。 「いらっしゃいませ、あら大変! ギル、あのお客様がたはゲーニウスの軍人さんだよ。奥の席にご案内して、あれを持っていきな。失礼のないように!」 「あー、はいはい」  その日はいつにも増して忙しかった。雪のためか、暖を求めて客が途切れず、家族総出で店をまわしていた。  ギルは母親からの頼まれごとに生返事をかえし、グラスに店で一番高い年代物のウィスキーを注いだ。 「いつもありがとうございますゲーニウス様、ウェルカムドリンクのサービスです」  出来るだけ丁寧に決められた台詞(せりふ)を言い、お辞儀をする。  するとギルが運んだウィスキーに目をやり、客の男ら二人は「どうも」と愛想良くほほえんでグラスに口をつけた。  二人のうち一人は整えられた顎髭と洒落た丸い眼鏡が上品で印象的だった。歳は父親ぐらいだろうか。白髪混じりで腹のだらしない父とは比べるべくもなく、かっこよく見える。胸にはずらりと徽章(きしょう)バッジが並び、見知ったゲーニウスの軍服とはデザインが異なっていた。  もう一人は見たことのある軍服で、大柄な体格が勇ましい。肌は褐色、髪は平民では見かけない黒。異国風な布を頭に巻き、荒っぽく撫でつけられた髪型が獅子のようだ。年齢は向かいに座る眼鏡の騎士よりずっと若く見える。目力のある瞳はぎらぎらと野生的で、驚くべきことに太陽みたいに(あか)い。 「おっ、ウィスキーか。いいな、俺にもサービスしとくれよ」  目ざとくギルに絡んできたのは、隣のテーブルの酔っ払い客だ。しかしすぐさま、連れの客が肘で男を小突いた。 「酔っ払いすぎだぞ、やめとけ・・・・・・! 軍服をよくみろ、あれはゲーニウス様だからだよ」  連れの助け舟をよそに、男は酒場ジョークだと思ったのか、じろじろとゲーニウスの二人を品定めし、そして「げ・・・・・・」と青褪める。 「うん、そうなんだ! 悪いね、お客さん」  そう言いギルは、軽く笑って場を取り繕った。 「いや、こちらこそ悪いね坊主。おい行くぞ」 「あ、ああ、悪かったな」  酔っ払い客はそそくさと勘定(かんじょう)を済ませると、店を出て行く。  この立派な出立ちの二人はくだらない理由で怒りはしないと思うけれど、時には平民を見下して激怒するゲーニウスの騎士もいる。  それは皆が周知していて、民衆の中でゲーニウスといえば羨望(せんぼう)される的でもあり、恐れられ忌避(きひ)される対象でもあった。  国境沿いの(とりで)を警備する彼らが王都の店に来たのは、王宮に呼ばれたからだろうか。平民の自分には知る由もないことで、想像するしかないのだが。  ともかく彼らは生きる世界が違う生きものなのだ、何かボロを出して機嫌を損ねる前に退散すべき。  ギルはぺこりと一礼し、踵を返した。  その瞬間、「ちょっといいかな?」と、とても優雅な物言いで引き留めにあう。 「え、おれ?」 「うん、きみ」  二人の騎士のうち、丸眼鏡の騎士がギルを手招きした。柔らかな物腰に穏やかな目、敵意と呼べる気配はまったく感じないのに、ぴりりと背筋が伸び、足に根っこが張ったみたいに彼の視界(テリトリー)から動けなくなる。  胸の下が苦しいほどに、どきどきした。相手が従う前提でものを言う、命令を下す側の人間のありようを魅せられた気がした。 「あ、あの」  丸眼鏡の騎士は立ち上がり、立ちすくんだギルに近付く。甘いコロンがふわりと香る。 「そんなに緊張しないで、ちょっと失礼」  そう言うと、ギルの身体を手で弄り始めた。 「え、え・・・・・・」  呆然とするギルに一切構わず、一通り身体を触り終えると、丸眼鏡の騎士は「ふむ」と顎に手を当てた。 「どうだ」  太陽の獅子が口を挟む。  丸眼鏡の騎士は、にこりと笑った。 「いいんじゃないかな? これからぐっと背も伸びそうだよね」  いいってなに? 自分が何かの判定を受けたのは間違いない。であるが肝心の何かはわからない・・・・・・。  ゲーニウスの二人は完全にギルを蚊帳(かや)の外にして話し込む。相手は階級の高い騎士、戻ってよいと言われるまでは立ち去るのも許されない。  棒立ちのまま何もできず、子どもの自分よりも遥かに身体の大きい大人二人を交互に見上げた。  大人しく待っていると話し合いは決着し、丸眼鏡の騎士はギルの頭に機嫌良く手を置いた。  太陽の獅子と並んでいたせいで細く小綺麗に見えていたが、手のひらは厚みがありゴツゴツして傷が目立つ。手伝いで包丁しか握ったことのないギルでも、それが剣を(ふる)う手なのだとわかった。  とたんギルは武者震いを起こし、手のひらに汗が滲んだ。  直感的に心が震えていたのだ。  恐れられながらも子どもたちが一度は夢見る、言うなれば物語の英雄。その手が頭の上に置かれているのだ。こんな機会は、生きているうちに二度はないだろう、ギルは一生忘れまいと、目を閉じて今このひと時を脳裏に焼き付けた。  ギルがそんなことをしている間に太陽の獅子はつかつかと厨房に歩み寄り、ギルの父親を呼び寄せていた。その後ろから母も顔を出す。両親の顔は瞬く間に強張った。  感動を脳に焼き付け、満足してギルは目を開ける。 「じゃあ、行こうか」 「ん?」  ———え?  いつ間にかギルの肩は、親しみを込めて丸眼鏡の騎士に抱かれている。  両親との間で話はついているようで、ギルは説明もなく馬車に乗せられた。  間を置かずして馬車は店の前を出発し、キャビンの小窓から後ろを振り返ると、白く降り積もった雪景色がでこぼこと揺れている。  ギルの慣れ親しんだ家は、やがて豆粒みたいに小さくなって見えなくなった。

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