14 / 67

第14話キレットの古城【1】

 今はどの辺を走っているのだろう。  時間の感覚が麻痺している。  ギルはそっと小窓の外を見やった。このまま国境の砦まで連れていかれるのかと恟々(きょうきょう)としていたが、やっと馬車が目的地に到着したようだ。  ほっとしたのも一瞬、見渡す限りの山、岩、空。  見上げた雲と雲の間を大鷲が飛んで行く。  ギルが降り立った場所は(けわ)しいキレットに佇む古城だった。  こんな場所に人が住めるのかと思いきや、門が地響きのような音を立てて開いた。地獄の入り口かとも思う門の内側は、ギルの予想に反し、人の営みの匂いが感じられ、温かく手入れが行き届いていた。  門のそばには使用人が三人待っている。  最も洗練された雰囲気をもつ燕尾服の男は執事長でパトロというらしい。彼はすっと足音をたてずにリヒトの元へと歩み寄った。 「おかえりなさいませ、旦那様」  パトロは恭しく一礼する。 「寒かっただろう、待たせてすまなかったね。急な通達であったのに、こんなに早く、しかもここまで完璧に整えられているなんて本当に君は有能な執事だ」 「有り難きお言葉。私パトロは、旦那様の申される場所には何処にでも馳せ参じる所存でございます」 「はは、いつも堅いんだから、もっとラフにいこう、ラフに」 「善処いたします、さ、お荷物を」  パトロは滑らかに手を差し出す。パトロの周りには音が存在してないんじゃないかと思うくらい、彼の動きは静かだ。  顎のラインで真っ直ぐ切られた髪型の青年オズニエルは、クライノートに近寄った。  どちらの性別とも取れる髪型だが、青年だとわかったのは、騎士に負けず劣らずな背丈があったからだ。クライノートが猛々しい猛獣であるのに対して、オズニエルは大きな角を生やした雄鹿といった感じがする。  最後に残った一人は迷いなくギルのもとにやってきた。 「ギル様、お待ちしておりました」 「俺!?」  様付きで呼ばれ、ギルはこそばゆさに赤面する。 「今日からギル様にお仕えして身の回りのお世話をさせて頂きます、スティーヴィーと申します。スティと楽にお呼び下さい」 「・・・・・・ん、女の子?」  スティーヴィーが着ているのは男の使用人が着用する制服。亜麻色の髪は少女めいているものの短く揃えられ、外見は小柄な男の子だった。しかし袖から見える手首は折れそうに細く、声は鈴のように高い。  ギルが眉を顰めると、スティーヴィーはにこりと微笑んだ。 「これでも男なのです。ですが必要とあれば、女と思っていただいても構いませんよ」  あっさりと告げられ、ギルは狼狽える。 「それは・・・・・・、ふーん、でも、ほら、俺にお世話係とかいらないですから。あー、スティさん? 君がイヤだとかそんなんじゃなくて、自分のことは自分で出来るし・・・・・・」  女みたいな子にお世話されるなんて恥ずかしくて恥ずかしくて、すると見かねたリヒトが苦笑混じりに口を挟んだ。 「まあまあ、彼はパトロの一番弟子だからね。きっとすぐに必要だって思い直すよ」 「・・・・・・?」  にわかには信じられずに、ギルはこれでもかと怪訝な顔をした。 「・・・・・・・・・ぐあああ、そこ、もっと、そういい感じ」  その日から幾日が経っただろうか、ギルはスティーヴィーに背中のほぐしを手伝わせていた。 「ギル様、今日は一段と絞られたようですね。身体の加減は大丈夫ですか?」 「ぜんぜん大丈夫じゃない、くそぉ、痛くて身体中がバラバラになってるみたい。俺の腕ちゃんとくっついてる?」 「ええ、ちゃんとついていますよ」  どんなに女々しく文句を重ねても、スティーヴィーは優しく聞いてくれる。 「きっと立派な騎士様になれます。明日も頑張りましょうね」 「うん・・・・・・」  この地はブリュム公リヒトの所有する領地の一つ。辺鄙(へんぴ)な地で滅多に誰も訪れない古城だが、ギルを騎士として秘密裏に育て上げるのに、その利点が活かされた。  騎士となるのに三年は絶望的に短い。  困らない程度の読み書き、最低限のマナー、剣術、槍術、武術、馬術を習い、強靭な身体をつくるための鍛錬をする。  お世話係が必要になると、リヒトの言ったことがまさにその通りになった。生活の中で当たり前にしていたことができなくなるくらいに、毎日身体を酷使させられた。  山積みになった課題が、日を追うごとにさらに積まれ。得体の知れぬものに追われる悪夢で目覚めることもしょっちゅうだった。  明確な目標があったわけではなく、やれと言われているからやっているだけで使命感もない。とっくに心は折れていたが、なんでわざわざこんなことをしているんだと思える暇もなかった。  けれどそれが良かった。惰性(だせい)で食らいつき、ある日希望の光が見えた。  キンッ!  剣と剣がぶつかり合う。閃光のような火花が散り、甲高い音が響く。  離れた刃がまた振り下ろされる。軌道を読んで、顔の前で剣を構えた。当たる直前、軌道が逸れた。  ———しまった・・・・・・っ  冷や汗をかいた瞬間に、剣が吹き飛ぶ。  宙に描かれた放物線を目で追うと、鎧を着込んだ胸に重たい一撃を受けた。 「ぐっ!」 「ギル、最期まで気を抜くなと言ったはずだ」  クライノートが模造剣の切っ先をギルの喉元に突きつける。切れない加工のされた鍛錬用の剣とはいえ、身体に当たれば鋼鉄の棒で殴られているのと同じ衝撃を受け、ぎろりと見下ろしてくるこの男にかかれば、切れない剣でも力尽くで貫いてきそうな気がする。  何が言いたいかというと、何度剣を交えてもとんでもなく怖かった。  だが敵を威圧する術も含め、学ぶべきことも多い。 「もう一試合、お願いします」  ギルは顎から伝う汗を拭い、立ち上がった。  連れてこられた時は十二歳だったギルも、十五歳に成長していた。  この三年間で背が三十センチは伸びた。筋肉がつき、肩幅も広くなり、今や大人と変わらない体格だった。 「ほう、まだやるか。いいぞ」  クライノートは楽しそうに太陽色の瞳を好戦的に輝かせる。  修練場の入り口にはリヒト、オズニエル、スティーヴィーの三人が立ち、騎士と騎士見習いの斬り合い稽古を見守っていた。 「彼は頑張っていますね。この前見かけた時とは見違える」  オズニエルは感心したように呟く。 「はい、ここのところ調子が良いようです」 「やはりあの話のおかげかな?」  リヒトはくるくると髭を弄びながら、にっこりと二人の使用人に微笑んだ。  王宮からブリュム公爵宛に知らせが来たのは先月。  色無し。内容はそれだけの簡潔な手紙だった。色無しとは、隠語を使ったメッセージだ。  純粋な魔法族の瞳は黄水晶(シトリン)を嵌め込んだような色をしていると言い伝えがある。黄がヴィエボの王族に多い碧眼と混ざると翡翠の色となり、よって生まれた時点で翠の瞳を持つものは、それだけで魔力持ちとみなされる。  ここで言う色とは、その瞳の色の変化になぞらえているのだ。  これは魔力量による影響が大きく、翠の瞳じゃなくとも、魔力持ちであれば、三歳を超えるあたりまでは無意識に力を発動させる仕草が見られる。そのため、その間は厳重に隔離され様子を観察される。  生まれた赤子の瞳は綺麗な碧眼だった。魔法族ではない可能性がある以上、観察期間が終わるまで手出しはないと踏んでいた。厳しいリミット付きではあるが、それまでギルを使い物になるように育てている。  王太子イーノクは三歳の誕生日を迎えて少し経つ。  観察期間は終了し、色無しだった。魔力持ちではなかったということだ。  王太子の行く末は、揉め事が起きずに済みそうで結果オーライ。自ずとそれならば特別な護衛など要らぬ、ということになる。  となると、次はギルの行く末を思案してやらねばならなかった。  本人は気づいていないようだが、ギルは思った以上に、才に恵まれている。根性もある。幸運なことにリヒトの顔はゲーニウスに効く。  リヒトはブリュム公爵である傍らで、騎士としてゲーニウスのトップとして君臨している。そこでギルをクライノートの下につけて入隊させる流れとなった。 「馬車の準備が整いました」 「うわわっ、びっくりした」  パトロが音もなく背後に立ち、リヒトは胸を押さえる。 「毎度のことながら心臓が止まりそうだよ、パトロが暗殺者なら私はもう何回も殺されてるね」 「いいえ旦那様なら、たとえ不意をつかれてもみすみす殺されることはないでしょう」 「ははは、君のジョークは秀逸だね。ではさっそく彼らに伝えてきてくれるかな?」  若い二人は汗を流すのに夢中だから、とリヒトは笑いながら各々の使用人に目配せした。

ともだちにシェアしよう!