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第15話キレットの古城【2】

 ギルは門の前に用意された馬車に乗り込み、三年間住み込みで騎士修行をした古城を振り返った。次いで乗り込もうとしないスティーヴィーに手を差し伸べる。 「スティも早く乗れ」  スティーヴィーは目を見張り、小さく笑んで首を振る。 「いいえ、私はここに残ります。別れではありませんよ。主人の留守を守るのが執事の務めでございますから」  ギルはぽかんと口を開ける。 「主人って、俺のこと?」 「はいっ、・・・・・・あっ、すみません」  突然思い出したように慌て出し、スティーヴィーは口を両手で押さえた。彼が横をちらりと見やると、リヒトは丸眼鏡の奥で視線を泳がせ、頬を掻いている。 「まあ、言ってもいいかな。私はね、折を見てギルも養子に迎え入れたいと考えているよ。悲しいけれど、これからギルが飛び込もとしている世界では名前が一番にものを言う。その方が何かと君の今後に都合がいい。そうしたらここは君に譲ろうと思ってる。場所は不便だけど君は慣れているし、思い出があるだろ?」  そう言い、リヒトは悪戯っぽく片目をつぶる。 「思い出・・・・・・、はあ、ははは」 「三年間、こちらの都合で振り回してしまってすまなかったね。きつい生活を良く耐えたと思う。これは君への感謝の気持ちとご褒美だよ」  ご褒美に城一つをぽんとあげてしまえるスケールの大きさにギルは苦笑いをした。  それほどまでにヴィエボで権力を持つ男なのだと、改めて思い知らされる。  ギルの養子縁組はリヒトの口から出てきた時点で決定事項であり、ギルに拒否権はなかった。向けられているのが優しさであるから良いが、牙を剥かれれば一溜(ひとたま)りもないのだろう。  ギルはスティーヴィーに差し出していた手を下ろす。 「スティ、じゃあ留守は頼む、暇が出たら必ず帰ってくるからな」 「承知いたしました。楽しみにしております。どうかお気をつけて、いってらっしゃいませ」  スティーヴィーの鈴のように可憐な声も、成長して変声期を終えていた。  耳に心地良く響く聴き慣れたテノールが、新たにゲーニウスの騎士となるギルの背中を優しく押した・・・・・・。   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  ———ギル・オウグスティン  ジャレッドの部屋を出て名前を呼ばれ、立ち止まった。侍従フィンを後ろに控えさせ、扉のわきにイーノクが寄りかかっている。 「なるほど、弟が気にしていたのは身分差だったのか」 「聞かれていたのですか」  イーノクは「すこしね」と、人の良さそうな顔をする。 「随分といい感じだったじゃないか」 「そう思われますか?」  溜息をつき、ギルは遠くを見つめた。  呆れたとイーノクの溜息が横から聞こえる。 「・・・・・・お前ってやつは、それは口実か。思ってたよりも複雑なハートの持ち主なのだな。少しばかり弟が気の毒になったぞ」  とてもそうは思えない、楽しいものを見る目つきだ。 「揃いも揃って世話が焼けるな・・・・・・では行って来い、お前の城へ。ジャレッドも連れて行ってやれ」 「しかし私の名が知られてしまいます、ジャレッド様の力のことも」  ギルが尻込みすると、イーノクは「実はな」と口を開いた。 「剣が父上からの贈り物だというのは、あいつをその気にさせるための嘘だ。これは俺の憶測だがお父上は今後もずっと、ジャレッドに真実を告げるつもりはないだろう。だがそれでは、いざとなったときに困るのはあいつだ。お前の身分に関しては今更知られても問題ない。あいつも馬鹿じゃない、何処からか聞きつけて変に臍を曲げられたら余計面倒だろ? ちょうどいい機会だと思う。当主にもよろしく伝えてきてくれ」  正しくは知られても問題ないのではなく、さっさとばらせ、そんな口実は許さんと言っているのだろう。  兄弟剣を用意したのがイーノクの独断だということは、アンデレ国王はジャレッドとギルが契りを結ぼうとしている事実を知らない。イーノクは国王陛下に聞きつけられ、横槍が入ってしまう前にことを終えさせたいのだ。  ギルはなんとも言えぬ表情でイーノクを一瞥し、わずかに顎を引いて頷いた。 「もちろん努力はします。それで、王太子殿下が盗み聞きするためだけに立たれていたわけではないですよね?」  イーノクはにやりとする。 「鋭いな、ほら」  イーノクの声でフィンが一歩前に進み出た。腕に二振りの兄弟剣を抱えているのが見える。 「大事な忘れ物を届けてやったんだ、感謝しろ」  事前に申し付けられていたのだろう、フィンは剣をギルの手に押し付けるように渡す。 「渡したからな、それらは既にお前たちの持ち物だ。速やかに、ことへ及ぶように。早く二振りの剣が耀かしくお前たちの腰に収まるところを見たい」  これは、契りを成すまでは帰ってくるなと暗に命じている。 「・・・・・・確かに、承りました」  ギルは強引なイーノクの手口に怖じけつつ、鉛のような重たい気持ちを胸に感じた。  その夜のうちに、ギルは(つばめ)を飛ばした。行き先はキレットの古城。文はつけず、帰省する際には飛ばしている。必要な時に現れ、速くて賢い、小さなスティーヴィーの燕。夜空に紛れ、人の目につかずキレットまで最速で飛ぶ。  翌朝は陽の出切る前に眠気なまこのジャレッドを起こし、着替えをさせ、馬車に乗せた。 「朝餉もまだだぞ、どこに行くんだ?」  ジャレッドは昨日のキスとベッドでの行為の影響ですっかり萎縮した様子だ。端っこで準備されていたブランケットに包まり、顔を伏せたままギルと目を合わせない。 「行き先に関して、お話ししなければならないことがございます。聞いてくださいますか?」 「なんだよ」  ジャレッドは目を擦り、「早く言え」とギルを急かす。 「ジャレッド様は私の名をご存じですか?」 「馬鹿にするな、ギルだろ」 「その続きは? ファーストネームではなく・・・・・・」  そこまで言うと、生意気なジャレッドの口が止まった。 「その反応はまだ誰からも聞かされていないようですね。良かった」 「何を言ってる?」  ジャレッドが微睡みかけていた瞳で睨む。その視線を真っ向から受け止め、ギルは覚悟を決めた。 「ギル・オウグスティン」  口に出したとたん、とろんとした瞼が見開かれる。 「それが私の名前です。騙していて申し訳ございませんでした」  一息に言い切ってしまうと、肩の荷が一つ降りたようだ。  ギルはすっきりした気分で首を垂れる。 「これから向かうのは私の所有する城です。もはや城と呼ぶには些か古くて、嶮しい場所にございますが・・・・・・」 「まてまて、勝手に話を進めるな」  ジャレッドの口調は刺々しいが、頼りなさげに声を震わせている。 「意味がわからない、昨日からこんなことばっかり。知っているんだ。お父上も、きっと兄上も母上も、皆んな俺に隠し事をしているんだろ? それなのに、まさかお前もだとは思わなかった。しかも・・・・・・オウグスティン家なんて大貴族じゃないか。身分に差があり過ぎるなんて、どの口が言ったんだっ!」  激怒するジャレッドを見て、ギルは額を押さえた。  主人を傷付けた事実は弁解もできないことだ。しかし今は、ジャレッドがどの情報を手に入れてしまったのかの方が気がかりとなる。 「・・・・・・何をお気づきになられたのですか?」 「言わない」  問いかけにジャレッドは即答し、ふいっと小窓の方を向いた。 「お前だってそんな大切なことを隠してたんだ、それなら俺も隠し事をする」 「ジャレッド様・・・・・・」  ギルは完全にやってしまったと悟った。  ジャレッドの我儘っぷりが、ぶり返している。  そこからキレットの古城までは、長い長い道のりが待っている。終始ジャレッドは臍を曲げ続け、ギルの頭を悩ませた。

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