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第16話キレットの古城【3】

 街を三つ、村を五つ、そしてまた街を二つ、山を越え、川を渡り、見えてきた山間部に深く切れ込んだ大キレット。誰が作ったのかと不思議に思う、人間が近寄り難い自然の頂きに、堂々たる古城がどっしりとそびえ建つ。  ギルとジャレッドを乗せた馬車が着くのを見計い、出迎えた使用人たちが一様に腰を折る。 「ジャレッド殿下、ようこそおいでくださいました。ギル様も・・・・・・何だか、お痩せになられましたか?」  先頭でにっこりと微笑んでいたスティーヴィーは、帰ってきたギルを見て眉を八の字に下げる。 「大丈夫だ、心配ない」  ここに着くまでジャレッドに散々振り回され、ギルの顔はげっそりとしていた。  腐ってもジャレッドはヴィエボ国の第二王子。それでも彼は通る街通る村で寄り道をしたいと言って聞かなかった。  目立たぬように少人数で来てしまったのが裏目に出た。護衛は自分と、最低限連れてきた近衛騎士の数名しかおらず、ジャレッドが街を好き勝手にウロウロしている間、ギルはこれ以上なく神経を研ぎ澄まして警護に当たった。  だがそれを言っても、知っていて故意的にやっているのだから聞く耳もない。 「長旅でお疲れになられているのでしょう。後ほどギル様の好物のあれを作らせます」 「ああ、ありがとう。近衛騎士の他の者たちも良くしてやってくれ」  かしこまりましたとスティーヴィーが返事をし、ジャレッドへ向き直った 「それではジャレッド殿下、お荷物をお運び致します。こちらへどうぞ」  丁重な物腰でスティーヴィーが馬車に積まれた包みに手を伸ばす。  次の瞬間、ジャレッドは何食わぬ顔でその手を叩いた。 「やめろ、俺のことは全部ギルがするからいい。特にお前は触るな」  冷たく言い放つと、童顔で可憐な面立ちを残す小柄な執事を見下ろす。  ギルは目を丸くした。ジャレッドが誰かに対して敵意を持って接するところなど見たことがなかった。 「何をしている、目障りだ、早く失せろ」  横暴を働いているのは第二王子だ。その場にいる誰もが止められる権利を持たない。  スティーヴィーは笑みを崩さず手を引き込め、申し訳ございませんでしたと腰を折る。それから「ギル様」と顔を上げた。手痛い態度を取られたというのに、スティーヴィーの目は穏やかで、何かを感じ取ったような色をしている。 「では、私どもは離れて待機しております。必要が出来ましたら、何なりとお申し付けください」  聡明な執事はてきぱきと手早く使用人らに指示を出す。意識的にだろうか、疲れ果てた近衛騎士に華やぐような笑顔を向け、一足先に城の中へ姿を消した。  やがて門の前には馬車を引いていた馬も、手綱を握る御者も居なくなった。寄り道してきた街で買い込んだ雑貨でいっぱいのキャビン、その中に不機嫌な王子とギルだけが残されていた。 「ジャレッド様、そろそろご機嫌を直されてはいかがですか?」  ジャレッドは、つんとそっぽを向いたままで呟く。 「あれとはなんだ」 「はい?」  あれ、とはなんだ。そのとおり胸の中で復唱し、ギルは首を捻った。  伝わらないことに腹を立て、ジャレッドは恐ろしい顔でギルを睥睨(へいげい)すると、怒りを隠さず喚き散らした。 「あの執事と仲良さそうに何を話していたんだ! ギル様なんて、似合わない! 俺のいる場所で俺のわからない話をするな! ギルは、俺の・・・・・・、俺の・・・・・・」  その先を言おうとして、何度も言葉を詰まらせる。代わりにぽろぽろと涙が溢れてきた。 「・・・・・・ジャレッド様」  どう見ても赤ん坊のような駄々のこね方。  道中のジャレッドの行動だけでも不信感を抱き、眉を顰める近衛騎士が少なからずいた。そのうえ執事に暴言をぶつけ、泣いて喚き、誰かに見られていたらどうなるかと肝を冷やされる醜態だ。  だがギルは自身に呆れて物が言えなくなった。  とんだ困った事態にもかかわらず、ジャレッドが第二王子としての振る舞いや威厳を全て捨てて、自分の一挙手一投足に全身で怒る姿に忌々(いまいま)しいほど心がほどけていく。  意地らしくて愛らしいと、嬉しいとさえ・・・・・・感じている。 「ふう、ジャレッド様がご心配なさらずとも私はあなたのものですよ」  ギルは光を通さない艶やかな漆黒の髪を手で梳いた。 「信じられない、お前は嘘つきだ」 「騙していたことについては弁解しません、しかし今言った言葉は本当です。どうか信じて下さい」  ジャレッドは涙をこぼしながら、ギルを見つめる。 「・・・・・・じゃあ俺にキスしろ、ベッドでしたみたいに触れよ」  やめた方がいいと、頭ではわかっていた。  けれどもぐずぐずと崩れた表情を見ると、何処までも甘やかしてしまいたくなる。 「わかりました」 「え・・・・・・ほんと、に?」  ギルはするりと手を滑らせ、ジャレッドの後頭部を包んで引き寄せた。今でもギルの方がずっと背は高い。ぽすんと胸に埋まったジャレッドが、戸惑った顔でギルを見上げる。  どうせ断られるとでも思っていたのだろう、瞳孔が揺れ、不安そうにまつ毛が瞬いた。  泣いた後の瞳は、つやつやと潤んで耀いている。  瞼に溜まった一雫がこぼれ、つぅと頬を伝ってゆく。わずかに少年味を残した白い丘を、涙の粒はゆったりと流れ、淡く滲む薄桃色の横を天の河がかけたようだった。 「不安そうな顔をしないでください、貴方がしろと言ったのですよ」  ギルは涙が顎を伝い落ちる前にぺろりと舐め取り、唇に吸い付く。噛みつきそうになるのを堪え、慎重に濡れた唇を割り、閉じた歯列を舌先で撫でた。 「んん・・・・・・っ、ギル・・・・・・」 「このようなキスは初めてですか?」    開けてやった唇の隙間から、ジャレッドは真っ赤な顔で息をしていた。 「このようなというか・・・・・・、キスは二度目だ」  そんなはずはないだろう。  何故だと思い、顔を離して真っ赤な少年を見下ろす。 「(ねや)教育はどうされたのでしょう」  ギルの怪訝な顔に、ジャレッドは唸りながら両手で目を覆った。 「ジャレッド様? 教えて下さらないと加減ができません」  ギルはチュッ、チュッ、とジャレッドの指をついばむ。 「・・・・・・したことない」 「え?」  問い直した途端、ふたたび泣き出してしまいそうなか細い声が「ぽろり、ぽろり」と溢れた。 「ぜんぶ、したことない。気持ちわるくて、女の人と、キスもできなかった」  白状したジャレッドの白い指が、形の良い爪の先までふるふると震えている。 「それなのに私とは、キスができるんですか?」  問いかけに、ジャレッドは震えながら頷く。 「・・・・・・ん、できる」 「気持ち悪いと思われないんですか?」  ギルは唾を呑み込み、はくはくと呼吸をする可愛らしい花唇を親指で撫でた。  下唇の輪郭を辿って涙の跡をさすってやると、「思わないよ」と受け答えた唇の奥で赤く濡れた舌が(なま)かしく(うごめ)く。 「それでは・・・・・・」  無意識にギルは半開きになった唇の内側に親指を滑り込ませた。質問を繰り返しながら、唾液で濡れた敏感な歯茎を指の腹でなぞる。 「んあ・・・・・・」  ジャレッドは大きく口を開けて喘いだ。 「では、もっとしたいと思いますか?」  やり過ぎかとも思ったが、聞かずにはいられなかった。  ジャレッドの答えを待つ間も、ギルは指で熱い粘膜を掻き回す。上顎の裏、奥歯、舌、口の中の形を指先で記憶するみたいに余すところなく触れ、ジャレッドが浅く喘ぐたびに「ごくり」と喉を鳴らした。 「んぐ、んん・・・・・・、こたへ、られな・・・・・・」  指に唾液が絡まり、雄の欲望をねじ込み繋がる蜜壺のようにクチュクチュと音を立てる。だらしなく開いた口から涎がこぼれ、ぷちんとギルの中で理性が弾け飛ぶ音がした。 「うあ・・・・・・して、キス、教え———」  最後の言葉はキスで塞いだ。   「んう、んん、は、息が・・・・・・んうッ」  舌先を軽く吸ってやったただけで、ジャレッドは可愛らしく顎をのけぞらせる。 「私の真似をして呼吸を・・・・・・、もっと私の舌の動きを追って・・・・・・、そう上手です」  ギルは角度を変えては何度も唇を重ね、密閉されたキャビンの中はジャレッドの吐息で充満してゆく。甘い声がギルの耳にいつまでも残り、脳天を突き抜けるほどにぞくぞくと背筋が逆撫でられた。

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