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第20話魔力の胎動【1】

———それはジャレッドが生まれる数ヶ月前 「全隊列、敬礼!」  壇上には国旗と軍旗、そして双頭の竜がはためき、獅子の大音声(だいおんじょう)がびりびりと空気を震わせた。縦横寸分の狂いもなく、整列させられた隊列の後ろまでよく通る声だ。  敢えて新人騎士を前方に配置し行う、ヴィエボ国軍恒例の度胸試し。泡を吹き、失禁しながら倒れてしまう若い騎士を見るのは入軍式での風物詩だ。鼓膜が破れ、耳から血を流して倒れた者までいたという伝説もある。  ギルは後方から新入りたちの背を見守っていた。  今年選ばれた者たちは粒揃いだ。他所では咆哮が轟いた刹那に身体を強張らせる者、早々によろめき倒れた者が各々いたが、最前列の彼らは身動ぎせず、右こめかみに揃えて伸ばした指先を当て、皆が敬礼の姿勢をとった。 「よし! これにて解散する」  その様子を大将軍クライノート・オウグスティンは満足げに見下ろして、壇上を後にした。  ギルが国境守護部隊ゲーニウスに入隊を果たし、三年目の春。どの隊員も明日には割り当てられた国境地に向け出発する。ゲーニウスに選ばれた新入りたちとっては入軍式の今日が、王都のうららかな春の陽気を感じられる最後の一日だった。  王宮の敷地は市街地よりも高く、見晴らしの良い高台に建てられている。自然の力で敵の侵入から護られた地形となっており、広大な高台の裏側は断崖絶壁の崖。王宮へ行くには真正面から出向かねばならず、下手に裏側から逃げ出そうものなら、木々を抜けたとたんに崖から落ちて真っ逆さまだ。  王宮前方には階段状に一段ずつ国政関連の施設が並び、軍事を司るヴィエボ国軍本部は王宮の真下、直近の場所に在った。  式の後は会場を変え、新人たちを激励する祝宴パーティが催される。階級の高い賓客も多く招待されており、完全に緊張ムードを崩すことは出来ずとも、礼儀作法を小さい頃から叩き込まれている貴族育ちの御坊ちゃまは慣れっこなのだろう、移動の場ですでに空気が和んでいた。 「クライノート将軍、今年は一段と気合い入ってたよな」  通りすがりに話す声が聞こえ、ギルは思わず耳をそばだてた。 「そりゃ、そうだろう。今年からゲーニウスの全指揮を任せてもらえるとなったんだから張り切らない方がおかしい」 「まあな。凄いよ、将軍ってまだ二十そこらだって噂じゃなかったか? 俺らとそんな変わらないんだよな」 「夢見るのはヤメロ、お前には選ばれた軍才はない」 「そんなこと言ってないだろ!」  ギルは「ふっ」と笑う。  すると別の場所でもクライノートの名は話題に上っていた。 「女に生まれてたら一度は抱かれてみたかったな」 「いや、男でも頼み込んで抱いてもらえよ。愛人になれば目をかけて貰えるんじゃないか」 「股を開いて出世の道を開くってか、あれを突っ込まれるのは尻の穴だけどな」  これには苦笑いを抑えられなかった。 「閣下が聞かれていたら間違いなくあの新人の首が飛んでいたな」  ギルの横に並んでいた先輩騎士が肩をすくめる。  クビになるというのは揶揄ではなく、おそらく本当に首が飛ぶ。クライノートはゲーニウスの品位を損なわせる輩には、汚物を見るように接する。 「そうかもしれませんね」  と情け容赦ない呟きに、ギルはすかさず同意した。  その後ギルが他の騎士らとパーティ会場に移ると、ギルに向かって手を振り、こちらに来いと手招きしている人物がいる。顎髭に丸眼鏡、品のある礼装に身を包んだブリュム公リヒトだ。  ギルは連れの騎士に断りを入れ、足早に彼の元へ歩み寄った。 「義父様、ここに俺は場違いではなかったでしょうか」  通常、入軍式と祝宴パーティには主役である新入騎士と士官、王家の人間、招かれた来賓のみが参加する。国境の防衛が(おろそ)かになってはいけないので、ゲーニウスから参加が許された士官はごく少数名。その中のどれにも当てはまらないギルは少しばかり肩身の狭い思いをしていた。 「何を言うか、オウグスティン家の人間なんだから君にも参加の資格があるじゃないか」  オウグスティン家、つまりはブリュム公爵家の力は揺るぎないものであった。リヒトはゲーニウスのトップを退き、養子であるが跡継ぎのクライノートに頂点の椅子を譲った。以降、軍の舵取りはクライノートに託し、公爵の職務に勤しんでいる。  厚かましくも——ギルはどうしてもそう思ってしまう——大貴族の名前を頂いてしまったギルは、周りから受ける扱いの変化に大いに戸惑っている。 「しかしね、君はそう言うと思ってちゃんと理由を用意してあるんだよ」  リヒトは明快に述べてギルの肩を叩いた。 「なんですか?」  だがギルが訊ねると同時に、「ブリュム公爵殿! どちらにいらっしゃるか」と群衆を掻き分けてリヒトを探す男の声がした。  リヒトの顔が微かに曇る。 「ああ、また奥方が」  ぽつりと呟かれた奥方とは、王妃マルティーナを示している。 「・・・・・・言ってやらねばならぬ」 「ええ、早く、俺のことはお気になさらず」  リヒトは「ここにおるぞ」と男に応え、共に会場から姿を消した。それを目で追っていたクライノートも、遅れて会場から出て行く。  この頃、王妃の腹には新しい命が宿っていた。  ヴィエボ王家のしきたりでは、赤子が無事誕生し魔力持ちでないと確認されるまでは極秘とされる。  ギルは王妃の懐妊が知らされてから、気もそぞろで生活をさせられた。新しく生まれてくる子に必要と判断されれば、ギルはゲーニウスの騎士をやめ、護衛騎士となることが自動的に決まってしまう。そのためにリヒトの手によって平民から引き上げられた身であり、嫌だとは言えなかった。  だが何やら問題が起きていそうな予感がする。  ギルは何が起きているのかが気になった。腹の赤子は大丈夫なのだろうか。赤子の命はギルの悩みとは別の話だ。自分だって関係者なのだから知る権利を主張しても良いのではないか。  会場に一人置いていかれるのも居心地が悪かった。社交場とやらは難しい。パーティに出席していても、庶民出のギルは上手く顔を広げる技能を持ちあわせていない。会話ができなければ居ても居なくても同じだろう。  ギルはぶつぶつと体のいい言いわけを独りごちて済ませ、会場を抜け出し、・・・・・・後悔した。  王宮の広さをナメていた。迷路のような廊下、階段の数、統一された扉や飾りの配置。ギルは迷子になり、なんとか中庭に出るとオブジェの影に隠れるようにしゃがみ込んだ。   「お前、何やってる」  突然、声がした。  顔を上げると、小さな子どもの靴が視線の端っこに映り込む。  呑み込まれそうに深い色味をした青い双眸が、いの一番にギルの目に飛びこんだ。

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