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第21話魔力の胎動【2】

「大きいくせに、かくれんぼが趣味なのか?」  幼いイーノク王太子が弱り果てたギルを冷ややかに睨み付けている。  イーノクのことは以前に一度式典で見かけたことがある。まだ五歳とは思えぬ落ち着いた姿で国王陛下の横に控えて立ち、子どもから感情を取り去った人形のように見えて、背がぞくりとした記憶があった。 「その軍服、ゲーニウスだろ。国を護る騎士なのにそんなところで(うずくま)っていて恥ずかしくないの?」  ———な?!  王太子の口から感情の乗っていない言葉がつらつらと出てくる。  ギルは蹲っていたのではないと胸の内で反論し、口に出すのは何とか堪えた。地べたに腰を下ろした姿勢ではそう違わない。 「お前、迷子でしょ。ゲーニウスはたしか祝宴パーティの最中じゃなかった? 勝手に抜け出してきていいの? あ、わかった、部外者は見つかったら捕えられるから隠れてるんだ」  すべてが図星で、心臓が跳ねる。 「知り合いを追ってきたのです。どうかご容赦ください」  イーノクは「ふうん」と鼻を鳴らし、「ゲーニウスなら王宮内の出入りは自由だよ」とつまらなさそうに教えてくれた。 「なんだ、そうなんですか」  ギルは溜息を吐く。 「でも暫くはここから動かない方がいいよ。今の王宮は変だから、ほら」  能面のような顔でイーノクは人差し指を突き出した。  その方向を見て驚愕した。中庭から王宮を見渡すと、外に面した回廊や窓から銀粉のもやが漂っている。 「あれは、なんでしょうか?!」  ギルはイーノクが正体を知っているのだろうと彼を振り返る。  けれども幼い王太子は思いがけず足元を見つめていた。 「・・・・・・母上が、おかしくなっちゃった」  イーノクは「ふにゃ・・・・・・」と瞼に涙を溜めて顔を歪める。  出会ってから初めて見たイーノクの子どもらしい顔だ。  ギルは棒立ちのまま彼の頭に手をやった。失礼を承知でくしゃくしゃと柔らかく掻き回すと、真っ直ぐの細い黒髪がギルの指の間を滑り、子ども特有の柔らかい髪質を感じる。  王家の教育うんぬんはギルには知り得なかった。だが王太子として、幼い彼が感情を押し殺して生活しているのだと、それだけはわかる。笑うことも泣くこともままならない目の前の子どもの境遇を思うと胸が締め付けられた。  ましてや自分はこの人の護衛騎士となっていたかもしれなかったのだ。放っておけない。 「・・・・・・王太子殿下も大変ですね」  イーノクはびっくりした顔でギルを見上げる。 「あ、いえ、申し訳ありません」  ギルはもう少し気の利いた言葉を言えなかったのかと己れを悔いた。こうなるなら、まじめにリヒトの話術を学んでおけば良かった・・・・・・。  イーノクはゴシゴシと目を擦り、一秒後には冷めた表情に切り替わる。 「調子に乗るな」 「はい、申し訳ありませんでした」  ギルは直ちに膝をつき、忠誠の姿勢を示した。 「だけど・・・・・・」  首を垂れたギルの頭上でイーノクは一度口ごもり、「ありがとう」と礼を言った。独り言かと疑うくらいに早口で聞き取るのがやっとだった、だが、ギルに向けられた言葉の中で最も血の通った声をしていた。 「顔を上げろ、僕は、お前に忠誠は求めてはいない」  その時だ。王宮の中心部でバンッと爆発音が響き、黒煙が上がった。 「・・・・・・あれは母上のお部屋のあたり」  イーノクは瞳に悲痛の色を滲ませながらも、気丈に平静を保っている。 「行かなくてよろしいので?」  何か言ってあげなければと思い発した問いに、イーノクは小さな拳を握り締めた。 「行っても中に入れて貰えないし、僕では何もしてあげられない」  と唇を噛んで悔しそうに黒煙を見つめている。 「・・・・・・何が起きているのでしょうか」 「何も知らないのかお前、オウグスティン家の人間のくせに」  いとも簡単に素性を言い当てられ、ギルは瞠目(どうもく)する。 「お気づきでしたか」 「当たり前だ、僕をだれだと思ってる」 「はは、そうですよね」  ギルは平気な顔を取り繕って笑った。  イーノクの言うように、リヒト、クライノートの二人とは未だに隔たりがあった。大切な家族の一員になったんだと言われても、二人からは一番重要な部分・・・・・・肝心なことをいつも(ぼか)されているような気がしていたのだ。 「お前が気になるのなら一緒に見に行ってやろうか」  イーノクの声音がほんのわずかにそわそわしている。本当は母親が心配で心配で様子を見に行きたいのだろう。  だが今更ながら、意図的に知らされていないことを探るような真似をしていいのか。足踏みするギルに、イーノクは「僕がそばについててやるのに咎められると思うの?」と絶対の権力をちらつかせる。  よくもまぁ、こんなにスムーズに子どもの部分と大人の部分を入れ替えられるものだ。ギルは感心し、観念して覚悟を決めた。 「では・・・・・・、お願いします」 「よし、行くぞ」  イーノクは返事を聞くや否やギルの手を引き、走り出した。しかし王宮に踏み入れて、すぐに立ち止まる。 「これは」  長い廊下がぐにゃぐにゃと複雑に入り組み、幾重にも分かれ道が出来上がっている。階段は天と地がひっくり返ったみたいに逆さま、所々で底は抜け、天井に至っては果てのない高さに変わり、どんなに目を凝らしても暗闇だ。  ギルは頭を振る。気を抜くと自分がどの場所に立っているのか分からなくなってしまいそうだった。 「酷くなってる」  イーノクが目を擦りながら歯噛みする。 「酷くなってる? ・・・・・・これは魔法?」  イーノクは頷いた。  ギルが王宮内で迷ったのは広さのせいではなかった。全てのフロアがまるっきり同じだったのは魔法のせい。もしくは同じ場所をぐるぐると回らされていたのかもしれない。 「でも安心していいよ。爆発も、これも、そう見えているだけだって言われてる。王宮内に舞ってるきらきらしたもやが原因で、外の者には普段と変わらない平穏な様子に見えているらしい」  なるほど、だから取り乱さずに済んでいたのだと合点がいく。 「王妃様がこれを・・・・・・、お腹の子ども・・・・・・?」  ギルからの問いにイーノクはなにも答えなかった。  ———これは無視された?  黙って前方を見つめているイーノクの頭では、この場をくぐり抜けるための策が思考されていたのだが、ギルは大きく勘違いをする。  きっとイーノクが腹の中の子にわかりやすく対抗心を燃やしているんだと思ってしまった。ギルは自分もすぐ下の弟が生まれた時には母親の一番の座を取られたと思って激しく泣いたものだと、彼への(なぐさ)めの言葉を懸命に絞り出した。 「王太子殿下、あの、その、あー、その・・・・・・、あまり気に病まないでください。一時的なことなので」 「は? お前何言ってる」  イーノクはじろりとギルを睨み上げる。 「間抜け過ぎる質問には答えたくなかっただけだ。こんなことが出来るのは、お腹の赤ちゃんの他にいないよ!」  ほとほと呆れたという調子で言われ、ギルは肩を縮こめた。 「間抜け・・・・・・」 「そう! 今考えなきゃいけないのは、どうやって母上のお部屋まで辿り着くかでしょ!」  全くもってその通りである。  ———ギル! 何故ここにいる! 「はい、すみません、え?」  卒然と別の声が耳元を掠め、ギョッとする。  降って沸いたように現れた野太く低い唸り声に、ギルは勢いよく振り向いた。

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