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第22話魔力の胎動【3】

「?」  後ろには誰もいない。 「こっちだ」  ギルは声が降ってきた方向に顔を上げる。  天井の暗闇に丸く浮かび上がった二つの瞳孔と視線が交わった刹那、目の前でバチンッと短く破裂音がした。  その音と重なり、ギルはぱちんと目を開けた。至近距離でかち合った太陽色の瞳に、「ひいっ」と悲鳴をあげて後退りをする。  王宮内の様子は元に戻ったのだろう、もやが消えている。 「クライ・・・・・・」  クライノートは口を引き結んだまま腰を折り、ギルの横で(うつ)ろな顔をして立ちすくんでいるイーノクの頭に手をかざした。  イーノクの頭に手を乗せ、目を閉じると、クライノートの手が明るい光に包まれる。彼の口が「こちらですよ」と呼びかけるように動いた直後、イーノクがゆっくりと目を開けた。 「イーノク様、ご気分はいかがですか」  クライノートは、普段からは考えられない優しい声を出す。 「びっくりしたけど大丈夫、母上の様子はどうだ?」 「今は眠られています。お部屋に行かれますか?」  イーノクは「うん」と素直に頷き、両手を上に伸ばした。ギルは抱っこをねだるイーノクの甘えた仕草に目を剥く。自分に対する態度との違いに、頭がくらくらとしてくる。 「殿下を送り届けてくる。ギル、お前はここを動くなよ」  渋い顔でクライノートはギルを一瞥した。 「・・・・・・はい」  歯を食いしばりながら肯首する。戻ってきたら、半殺しにされるかもしれない。  大切に抱きあげられたイーノクはクライノートに見えない位置からべぇと舌を出し、真っ青になったギルに「またね」と言い、にんまりと笑った。  イーノクを送り届けた後、クライノートはリヒトを連れて戻ってきた。話し込むリヒトの顔は険しく、相槌を打つクライノートも固い表情をしている。  リヒトはギルに気がつくと柔かに微笑んだ。 「ギル、驚いただろう、無事で良かった」  リヒトの声は静かすぎるほどに()いでいる。 「い、いえ、俺が勝手に後を追ってしまっただけなので、どうしても・・・・・・気になって」  「わかっているよ。おいで、話をしよう」  少し疲れたようにリヒトは言った。  王宮内には代々のブリュム公爵が使用を許されている書斎部屋がある。リヒトの案内で部屋へ通され、ギルはソファセットに腰を下ろした。  書斎に常駐しているのか、部屋の中は乱れが目立つ。  ギルは疑問を口にした。 「王宮に使用人はいないのですか?」  リヒトは手慣れた様子で紅茶を淹れながら、「今はね」と溜息を吐く。 「この状態では危険で王宮内をうろうろさせておけないからね。事情を知る信頼のおける者だけを残して、暇を出されているよ。行く宛てのない使用人たちは王家の別邸に身を寄せてる。国王の謁見(えっけん)などもそちらでね。お・・・・・・っと」  リヒトが湯気で曇った眼鏡を外すと、瞼がうっすらと落ち窪んでいた。パーティ会場では朗らかな振る舞いに押されてしまったが、よくよく見れば顔色も不健康そうだ。  ギルは罪悪感で項垂れる。余計な手間をかけさせてしまったのではないかと、後ろめたさが倍増する。 「・・・・・・さて」  曇りを菫色(すみれいろ)のハンカチーフで拭い、リヒトは眼鏡をかけ直した。 「ギル、君に話してやるのが遅くなって申し訳なかった」  まるで心を読んだかのリヒトの謝罪に、ギルは呆けた顔をする。  リヒトは「君は思っていることが全部、顔に書いてあるからね」と茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。 「えっ、うそだ・・・・・・」  ギルはぶわっと赤面する。 「同感だな。そんなだからイーノク様にも遊ばれるんだ」 「げ、クライまで・・・・・・、言い過ぎです!」  ギルが言い返すと、泣く子も黙りそうな険しい顔をしていたクライノートまで豪快に笑った。瞬く間に場の空気を好転させてしまうリヒトの手腕には脱帽するばかりである。 「ふふふ、話を戻そうか。今日のタイミングで君を呼んだのは、新しく生まれる赤子の話をするためなんだよ。手紙には詳しく書けないし、こんな時でないと怪しまれてしまうからね」  ブリュム公爵家はその役割から、常に見張られている可能性を否定できなかった。迂闊(うかつ)に動けば、赤子の情報が漏れ、一大事を招きかねない。 「・・・・・・何が起きているのでしょうか」  ギルは唾を飲み込む。 「実際に体験したから君も分かるよね、マルティーナ王妃が身籠られている子どもはかなり強力な力を持っている。生まれる前から力を暴発させるなんて相当だよ。奥方が耐性のある身体だからよかったけれど、そのへんの貴族の娘を妻に選んでいたら母体が耐えられなかったかもしれない」  王妃マルティーナは表沙汰にされていないが、クライノートと遠縁の親戚関係にあり、王族の血筋だ。一族暗殺未遂の件から命を狙われるのを危惧し、彼女の先祖にあたる子どもは高位貴族の家に養子に出されていた。貴族家で生まれ育った彼女は、王太子だったアンデレに見初められ、のちに王妃となった。 「あれではもはや、混ざり血なしの純粋な魔法族の力と同等。都合悪く王宮に立ち入ってしまった者には忘却術をかけているが万全じゃない。今の王宮はネズミが通れる穴だらけだからね、もう何かしらは勘付かれているだろう」 「じゃあ」  ———だとしたら俺は・・・・・・。  ギルは胸の鼓動が早まるのを感じた。次に告げられる言葉を聞きたくない。 「うん、赤子は生まれても王宮内に一生幽閉される。私もそうすべきかなって思う」 「・・・・・・あ、??」  身構えていたせいか言葉が頭にすっと入ってこない。 「ゆうへい? いっしょう・・・・・・死ぬまでってこと?」  隣に座ったクライノートがテーブルを叩きつけ、怒りをぶつける。 「ああ、そうだ! 魔力持ちっつうのは実は王族の中でも滅多に生まれない。実際に魔法を目にして怖くなったんだろう。お偉い立場の国王側近のじじい共は、面倒な赤子を殺すか殺さないかで揉めだして、どうせ狙われるのなら同じだろうなんて言いやがったっ! それを苦労して、なんとか思い留まらせた。ったく、これから生まれてくるっていうのに胸くその悪い」 「うん、ほんとに酷いよ。どんな力を持とうとも子どもに罪はない。だが野放しにはしておけない。辛いところだね」  腹の赤子には敵だらけだ。幽閉は妥協案ではあるが、新しく生まれる子を魔の手から護るためにも必要な措置だった。 「そうなると、俺はどうなりますか」  ギルにとっては最重要なことだ。 「君はお役御免だよ、ギル。子どもは王宮内で常に監視下に置かれる。護衛の必要はないだろう」  ギルはホッとして、湧き出た感情に逆らえずに破顔(はがん)した。 「・・・・・・ごめんなさい、喜んじゃいけないですよね」  リヒトは首を横に振る。 「いいや、君の活躍は聞いているからその反応は予期していたよ。長い間拘束して悪かったね。今後はゲーニウスで君の素晴らしい才能を活かしてくれ」 「はい! お心遣い感謝します」  話を終え、立ち上がり際にリヒトが「あっ」と口を開く。 「そうだ、またご褒美をあげないとね。遠慮せずに何でも言いなさい」  慣れとは恐ろしい。リヒトの発言を動じずに受け入れてしまっていた。 「では・・・・・・」  とギルは額を掻いた。

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