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第29話後悔と約束【3】

 ギルはなんとか倒れる前に踏み留まった。  隣に立っていたはずのクライノートはそこにおらず、後方から呻き声が聞こえる。それに加えてクライノートをなじる男たちの声。 「ふははは、聞いていた通り、獣人は堪え性がないね」 「おつむが弱いとも言うな。野生の感だか何だか知らないけど、直感だけで動くからそうなるんだ」  獅子と恐れられる男になんて事を。  ひやひやしながらギルが振り返ると、クライノートは複数人の男に囲まれており、背中を踏みつけられ動きを封じられている。 「は、いい過ぎ。可愛いじゃん、猫ちゃんのお耳としっぽ。ほらゴロゴロ言ってみろ」  男の一人がクライノートの顎の下を指先でくすぐる真似をする。 「ぐるるっ! 触るな」  クライノートは唸り声をあげ、男たちを鋭く睨みつけた。 「おお! 猫ちゃんに噛み付かれるぞ」 「こわい、こわい」  気の立ったクライノートを相手にしても、取り囲む集団に怖がる様子はなく、「わははははっ」と笑い声が上がる。  ———これは何が起こっているんだ?  ギルの頭は混乱していた。  男たちは全部で二十・・・二、三人。  文化も身分もごちゃ混ぜになったかの統一感が全く無い集まりで、服装は騎士風であったり、庶民の質素なシャツであったり、刺繍の施された衣装や糸を編み込んだマクラメの腰飾りをつけているエスニックな奴もいる。  所持している武器もばらばらだ。  他国の軍隊員ではなさそうだが訓練された経験のある者がちらほら居るとみえる。魔力不足で弱った状態とはいえ、獣人のクライノートを押さえつけておくには並以上の武術の実力がないと難しい。  そしてその中に一人、厄介なのを見つけてしまった。  ゲーニウスの軍服の男が一人混じっている。  ギルはそいつの顔と名前を知っていた。 「何故お前が、ユーリ・エヴァンソン」  憐れみを誘う、おどおどした態度は演技だったのだ。  困り顔で下がっていた眉は、人を小馬鹿にしたように吊り上がり、純情そうな泣きぼくろがとたんに憎たらしく思えてくる。 「小隊長さんもおつむが弱いの? 君たちを騙したのは俺さ! 俺が城砦に侵入して、魔力持ちが誰なのかオウグスティン家を嗅ぎ回っていたんだよ。まあ、アンタじゃないのは直ぐにわかったけどね」  ・・・・・・おまけに口調まで最悪だ。  けれども本人は「やってやったぜ! 俺は最高の男さ!」とでも主張するように、自信に満ち溢れている。 「そんなことをして何になる? クライノートを離すんだ、ユーリ」  ギルは押さえ込まれたクライノートの様子をチラチラ見ながら、ユーリに話しかける。  短時間のうちにクライノートは背の後ろで腕を縛られ、目元を覆う布がかけられていた。  非常に手際がいい。いかに魔法を使うのか、知られているとみて間違いない。 「ふふん、どうしようかな」  ユーリはそう言い、クライノートの背中にドカッと腰を下ろす。 「ぐぅっ・・・・・・」  クライノートの口元が屈辱に歪んでいる。  これだけ大勢ではギル一人で太刀打ちできないだろう。自分も押さえつけられる前に王宮の近衛騎士を呼びに行くべきか、だがクライノートを一人残して行けない。  状況を打開するための時間稼ぎを・・・・・・。 「やめろ! お前らの目的はなんだ? クライの暗殺じゃなかったのか? それだけ強いのなら、こんなに目立つようなことをしなくてもとっくに殺せていただろう?」  ギルが投げた質問は逆効果だった。  痛いところを突いてしまったらしく、ユーリは顔を引き攣らせる。 「そうだな、猫ちゃんの周りにべったりとまとわりついてたお邪魔虫さえいなけりゃな。さっさと、こうやって心臓をひと刺しにしてやれたのになあっ!」  腹立たしそうに吐き捨て、ユーリは懐に手を入れる。  ギルが息を呑む眼前で素早く短剣を取り出すと、クライノートの背上に振り翳した。 「やめろっ!」  ギルの叫びも虚しく、ユーリはニヤリと笑い、短剣の切っ先をわずかに背中にめり込ませる。 「やめてくれるかな?」  その声にユーリの手が止まった。 「ちっ、やっとお出ましかよ・・・・・・お邪魔虫」 「まったく酷いな。お邪魔虫は君たちじゃない? ベラベラと情報提供ありがとう、ミツバチくん。私のクライノートを傷つけるなんて許さないよ」  王宮の廊下をリヒトが優雅に歩み寄ってくる。  声の主が姿を現すと、ユーリはあっさりと身体を引き、短剣を胸元にしまった。クライノートを本気で殺す気はなかったのか。  ギルは安堵と共に肩の力が抜ける。どうやってここに・・・・・・と不思議に思えて仕方がないが、今はそんなことどうでもいい。 「ふぅん? もはや騎士でも無い貴様ら、たった三人で何ができる?」    ユーリがほくそ笑む。  リヒトの後ろには執事のパトロとオズニエルが控えて立っていた。  たしかにギルは不安を禁じ得ない。  残念ながら手放しで喜べない状況だった。執事二人では寡勢(かせい)と呼ぶには少々頼りなくないだろうか? これでは護る対象が増えてしまっただけ。せめて自分以外の騎士を連れてきてくれたら良かったのに。  こうなれば戦闘員はギルのみ、己れがしっかりせねばならない。  ギルは背中に収めた大剣の柄に手をかける。 「義父さま! はやくこちらへ! 俺の後ろへ隠れてください」  切羽詰まったギルの声とは対照的に、リヒトは「大丈夫」だと頷き返した。 「しかし・・・・・・」 「私が考えなしに来たと思っているなら、ギル、君はオウグスティン家を(あなど)りすぎだね」  そう言われてもギルは益々、理解に苦しむ。 「さあ、では私の自慢の執事たちを初お披露目といこうか」  リヒトは両手を広げてギルに言い聞かせると、髪をかきあげ、余裕たっぷりにウィンクを投げた。  そこで後ろの執事の姿が消えていると気がつく。ギルが視線を移して二人の姿を探そうとした時、ユーリが「うごっ」とうめき、(うなじ)を押さえて倒れ込んだ。  ユーリの傍らにはパトロが姿勢良く立っており、その手は手刀の構えを見せている。  ———そうかっ! リヒトは自らの演説で関心を逸らし、パトロをユーリのそばまで寄らせたのだ。気配を消すのはパトロの身体に染み付いた得意の芸当である。  ではオズニエルはどこに行った?  ギルが首を回すと、彼の居場所はすぐに見つかった。  林の中で樹が次々と切り倒されていくかのように、敵の集団は中心からばたばたと気絶していく。その様は異様なほど静かで滑らかで、敵は声を上げることも叶わない。  やがてオズニエルの姿が見えてくると、いつの間にか彼は両手に武器を所持していた。右手に槍、左手にはなんだ? 湾曲に曲がった刃のついた・・・・・・小型の(かま)を持っている。そしてそれらを折ると、ぽいっと投げ捨てた。  驚いた。オズニエルは相手に外傷をつけることなく的確に急所へ拳を入れ、次々と武器具を奪いながら戦っているのだ。  頼りないなんてとんでもない。  パトロとオズニエルは訓練された衛兵同然。  恐らくすれば、オウグスティン家の執事とはそのような教育を受けているのかもしれない。古くから重役を担ってきた家系だ、ありえない話ではなかった。  相手の男たちも手練れであるのは違いない、しかし明らかに一手が遅れていた。「まさか執事が? たった三人で?」と執事に対する先入観を理由するところからリヒトの作戦だったのだろう。

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