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第31話後悔と約束【5】
「とんだお騒がせな道具だ。街が破壊しつくされる前に、速やかに鎮圧へとかかろう。使い物にならない王都軍には国民の避難の誘導を、俺たちは二手に分かれて鏡の破片を回収するぞ。俺は先に野党どもを追うから、ギルは王都軍を探してその旨を伝えろ」
クライノートの指示をうけ、ギルは街へと走った。
街の惨状は酷かった。王都軍を探す道すがら、傷付けられた人々の姿を目にするたび、胸がはち切れそうになった。
今起きている惨劇はお騒がせというレベルではない。街が壊され、人々の生活が奪われている。
ギルはその現実がとても直視できなかった。しだいにギルの視線は下がり、気づけば地面を見つめていた。
王都はギルの育った街だった。あの魚屋も、あの肉屋も、八百屋も果物屋も・・・・・・、焼けて跡形もなくなった酒屋も、子どもの頃にお使いで世話になった場所だった。
実家の食事処はどうなっただろうか。実父は実母は、兄弟姉妹たちは無事なのか。
できることなら任務など投げ捨てて駆けつけてやりたいと思うのに。しかし今は、ギルは歯を食いしばる。・・・・・・己れの責務を果たさなければならない。
そうやってギルが衝動を堪えた時だった、ギルの視界に悍ましい光景が映り込んだ。
「貴様っっ! 何をしている!!」
ギルは怒りに叫ぶ。
それは今まさに子どもの首が#刎__は__#ねられようとする寸前の場面だった。子どもの後ろには怪我を負い、歩けなくなった母親らしき女性がいる。
母親の衣服は半分はだけ、強姦まがいの仕打ちを受けたと見てとれる。母親を庇った子どもに腹を立て、悪戯半分に殺そうとしている瞬間なのだろう。にやついた野党の顔が、その通りであると証明している。
ギルは間一髪で子どもから男を引き離すと、男の顔を殴りつけた。
どれだけ殴ったのか、男はとっくに気を失い、原型がわからぬほどに顔が腫れている。我を忘れて男を殴打し続け、ギルの拳は血にまみれてヒリヒリと痛んでいた。
「・・・・・・ゲーニウス様、もういいですから。ありがとうございます」
母親からの呼びかけでギルはぴたりと殴る手を止める。
振り返ると、子どもは母親の胸に縋 りついて啜 り泣いている。その姿を見て、ギルはようやく正気を取り戻した。
「怖いところを見せてしまいました。申し訳ありません。君は立派にお母さんを護って勇敢でしたね。もう少しだけ頑張れますか?」
膝をついて話しかけると、子どもは涙をこぼして頷く。
「偉いな坊や、ではできるだけ早く王都軍の騎士を連れきます。君はここでお母さんを護っていて」
ギルは子どもの頭を撫で、その場を去った。
それから幾分も行かぬうちに王都軍の騎士を見つけ、母子の元へやり、その騎士から街の被害情報を得た。
王都軍はそこから直線に進んだ場に集まっているという。聞かされたように走ると、開けた場所に王都軍の軍旗があるのを捉えた。
あの場に大勢が集まっているはずだ。指揮官もそこにいると聞いている。
だが向かう途中で地面が大きく揺れ、地割れが起きた。
ギルは立ち止まり、悪夢を見ているのかと現実を疑う。
ギルが向かおうとしていた広場が、真っ二つに割れたのだ。地面は中心に向かってすり鉢状に吸い込まれ、集まっていた騎士たちは底なし沼のごとく沈んでいく。
騎士らはもがき苦しみ、瓦礫 から腕を突き出している。その手を引き上げてやらねばならないのに、近付くことは叶わなかった。助けを求めて空をかいた指先は、ギルの目の前で崩れて粉々になった地面へと無惨にも消える。
ギルの胸に絶望が走った。
———なんでこんなことを・・・・・・、ヴィエボ国に降伏しろとでも言っているのだろうか・・・・・・っ?
地面のひび割れはギルの立っているすぐそこまで迫って来ている。わかっているが動くことができなかった。
「何をやってる、しっかりしろっ!」
その瞬間、ギルの隣にクライノートが降り立ち、首根っこを掴んで後ろへと引き戻した。
「クライ・・・・・・」
「ちっ、小賢 しいな。そこにも潜んでいたのか」
クライノートは舌打ちをして真正面を見つめる。
「すみません、俺が寄り道をしていたから」
自分のやるせなさ加減に下を向くと、肩を叩かれ、喝を入れられる。
「犠牲は惜しいが、彼らの死を気にし過ぎるな。騎士は命を賭 して国を護るもの、お前のせいではない。お前はお前のやるべき事をしろ!」
クライノートらしい正論だ。
強くて正しい、クライノートはいつもそう。
ギルは拳を震えさせた。母子を助ける為ではあったが、怒りのままに敵を殴りつけてしまった己れがやるせなかった。
「・・・・・・申し訳ありませんでした、肝に銘じます」
「うむ、ん? まて」
クライノートが何かを察知し、頭に巻かれた布を浮かして三角耳をそばだてる。
「新手の敵襲ですか?」
ギルが失望的な声を出すと、クライノートは「いいや」と首を振った。
「一番近くの国境地からの応援だ。リヒトが呼んでいたのだろう」
国境地からの応援は、ゲーニウスを意味する。
ギルの中に安堵が満ちた。彼らが来れば戦況は一気にこちらに傾く。
「安心するのはまだ早いぞ、ここからは一人も死なせるな。いいな!」
「はっ!!」
ゲーニウスの到着は間も無くだった。着くと同時に守備体勢が整えられ、クライノートの指揮下により野党集団は制圧へ向かった。
野党らは全員地下牢へ連行され、直ちに魔道具の処理が行われた。集めた破片は地面に落とすだけでは壊れず、ゲーニウスの騎士が力一杯叩きつけて壊さねばならないほど頑丈な代物だった。
時間をかけて魔道具の全てを破壊し、ようやく張り詰めていた空気が解放感に包まれる。
その頃合いでリヒトが王宮内の誘導を終えて顔を出した。「皆んな無事かな?」と騎士らを労って回るリヒトの顔には心労が見えたが、峠 は越えたと判断できる朗らかな表情をしている。
ギルは砕いた魔道具の欠片を対魔力用の袋に詰める作業を任されており、残りの一つを手に取りながら、その様子を眺めていた。
慎重にと・・・・・・、意識はしていたのだ。
けれども一仕事を終えたあとで油断があったのかもしれない。
手の中の欠片が小さく振動しはじめたことに気がつかなかった。突然に閃光が放たれ、ギルは眩しさに目を閉じる。
目を開けて見えたのは丸太のような緑の柱だった。
欠片から飛び出してきたのは巨大な植物の茎。茎には幾重も葉が生えていて、筒状に丸まった葉の中に細長い触手を隠し持っていた。
緑とグロテスクな赤紫色をした触手はウネウネとしなり、獲物に向かって恐ろしい早さで伸びる。
触手が伸びた先にはクライノートがいた。
「クライっっ!!」
ギルは身を翻 して、クライノートを庇おうと跳んだ。しかし遅かった。
柔らかかった触手はクライノートの身体に到達する瞬間に切っ先を鋭く変化させ、胸に突き刺さった。後から後から何本もの触手が伸びてクライノートを襲い、持ち上げられたクライノートの足が宙に浮く。
触手が貫通 した隙間からドクドクと血が溢れ、浮いた足の下に滴り落ちた血溜まりができる。
肺や心臓を含むあらゆる臓器に穴が開き、そのどれも致命傷になり得る深い傷だった。
それでも即死していないのは、彼が丈夫な獣人族の血をひいているおかげだからか。
その場にいた誰もが、この一瞬の出来事を信じられないでいた。
ひゅるひゅると掠れた呼吸音が響き、ギルは弾かれたように欠片から飛び出している茎の根本を切断した。その後、植物は「ギィ——!」と悲鳴をあげて動かなくなり、クライノートは床に崩れ落ちた。
すぐさまリヒトが駆け寄り、クライノートを抱きとめる。
「ベイビー、かわいそうに」
「・・・・・・はっ・・・・・・はっ、リヒ・・・・・・ト」
息も絶え絶えにリヒトを見つめ、クライノートの唇は戦慄いた。
「かわいそうに。大丈夫だ、愛しい人」
皆が息を止めて見守る中で、リヒトは頭の布の下に三角の獣耳を探り当て、愛おしそうに付け根を掻いた。
「クライはここを掻いてもらうのが好きだったね。私は掻いてあげるのが好きだったよ」
リヒトの優しい声色に、クライノートは虚ろな目で喉をゴロゴロと鳴らす。
「ねぇ、ベイビー、最後にキスをしてもいい? 皆が見ているけど」
リヒトは恋人の唇を汚す真っ赤な血をぬぐう。言葉を発せないクライノートの唇はパクパクと小さく動いただけだったが、ギルにはイエスと言っているように見えた。
自身の頭の重さにも耐えられず、ぐったりと下を向いたクライノートの頬を両手で挟み、リヒトはゆっくりと唇を重ねる・・・・・・。
・・・・・・とても長い口付けの途中で、ギルはさざなみのような微かな違和感を感じた。
その変化をギルが感じ取った直後、口づけを終えたリヒトの身体から力が抜け、そのままクライノートの上に倒れ込んだ。
二人の関係はゲーニウス内では周知の事実だった。周囲の人間はリヒトが悲しみに暮れ、クライノートから離れがたくなっているのだと、そう思い込んでいることだろう。
しかしギルは瞬時に理解し、動悸が止まらなくなった。喪に服したような空気で一人、ギルはガタガタと震えて総毛だつ。
クライノートが血を流したぶんだけ、リヒトが身代わりに傷を受けたのではないだろうか。
微笑んでいるリヒトの顔は傍目 に見れば穏やかだが、気怠げな瞼は今にも閉じられそうだった。そしてひとたび閉じたリヒトの瞼は二度と開くことはない。
これから起こりえる未来はすでに決まっている・・・・・・。
「・・・・・・リヒト・・・・・・俺を騙したな」
こと切れそうだったはずのクライノートの唇に血の気が戻っている。
「リヒト、何故黙っていた?! 何故嘘をついた?! 俺は禁術を発動させていないっ!」
「・・・・・・ベイビー、私が魔法をかける時の最初のアクションは愛しい君へのキスだよ・・・・・・知らなかったかい?」
弱々しくウィンクをしたリヒトを見て、クライノートは唇を噛んだ。
「そんなわけあるか・・・・・・」
クライノートはリヒトをきつく抱き締める。
「ははは、ほんとさ、今決めたんだから。・・・・・・愛してるよ、クライノート・・・・・・、君をまもれてよかった・・・・・・」
リヒトは微笑んで瞼を閉じる。
———こうしたのは私の意思だよ、だからどうか忘れないで欲しい。
それがリヒトからクライノートへの最期の愛の言葉だった。
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