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第33話リヒトの遺言【2】
あるいは国民に伝えられてきた過程そのものが嘘偽りのハリボテだったら?
この話題をした時のイーノクが言った意味深な言葉も気にかかる。・・・・・・そもそも知っているなら回りくどくせず素直に教えてくれてもいいのに、あの人も意地が悪い。
「先代は好 いた人の魔力だから良いのだと、おっしゃられていませんでしたか?」
「義父さん自身は実際にそう思っていたのかもしれない。だがその言葉をそのまま信じられるか? 魔法大国であった時代のヴィエボ国は荒 んでいたんだぞ。王家御用達のおいしい禁術がそう簡単に国民に伝わると思うか?」
隠し事が大好きで、都合の悪い部分を捻じ曲げる力を持つのが権力者だ。
それを言うとスティーヴィーは難しい顔をして黙る。
耳で聞いた話ではなく目で見たままを信じるとしたら、・・・・・・リヒトの変態的妄想は妄想じゃないのだろう。ギルの予想が当たっているとしたら、おそらくアレでもいける。
そしてクライノートから得た情報をもとに判断するならば、魔法をかけるには相当神経を使う。正しく教えられていなかったクライノートが禁術なるものを扱えるのか疑わしい。
そこから推測するに、魔力を渡すのと身代わりの禁術は切り離せない関係にあるけれど『別物』というのがギルの立てた仮説だった。
胸の印がはたしてどちらでつくのかは謎であるが。
あの印の形をギルの眼前に晒したということは、おそらくは・・・・・・。
「んーなるほど。しかし噂を揉み消すんじゃなくて、捻じ曲げたのは何故でょうね? 大昔から仕えている家柄のお師匠やオズニエルさんがいれば知っているかもしれないですけれどね・・・・・・今度聞いてみようかな」
スティーヴィーは腕を組んで「うーん」と悩み出す。
「そうだな」
大方その理由が魔法大国の終焉 に関わっているに違いない。ギルが続けて答えようとした時、部屋の扉が開き、ジャレッドが出てきた。
「お話は終わりましたか?」
ギルからの問いに小さく頷き、ジャレッドはスティーヴィーにツンと話しかける。
「当主はすこし休むと言っていたぞ」
「そうですか、お伝え頂きありがとうございます。では私は当主の様子を見舞ってゆきますので、これにて」
スティーヴィーがクライノートのところへと向かったのち、ジャレッドは「俺たちの部屋に戻ろう」と無表情でギルの袖を引っ張る。
クライノートの部屋を出てから元いた部屋に着くまで、ジャレッドは一言も喋らなかった。
じっと物思いに沈み、遠い空を眺め、小さく悲しげな背中が今は何も言うなと語っている。踏み締めるような足取りを見て、彼は胸の内のわだかまりに懸命に整理をつけようとしているのだと、ギルは思った。
二人が部屋に戻ると、ベッドの上は乱れた状態で放置されている。出て行った時のシーツの皺もそのままだ。
ジャレッドに使わせている客間には、ギル以外の者によるベッドメイキングや掃除の手は入らない。ギルがそのように手配をしていた。
「ジャレッド様、失礼します」
ギルは口付けの痕跡を見つめるジャレッドの肩を後ろから強めに押した。
ジャレッドは前屈みにベッドの縁に手をつき、振り返る。
「いきなり、何をする!」
「物欲しそうな顔でシーツを見つめていらっしゃったので。どうしますか、キスの続きをしましょうか?」
見開いた翡翠の瞳は動揺に大きく揺れる。
「今はいい・・・・・・、それより話をしたい」
「そんなことをおっしゃらずに、後で好きなだけ殴っていただいて構いませんから」
ギルは上目気味に睨みつけているジャレッドの顎をクイッと掴み、無理やり唇を重ねる。
———話すことなど何もないのだ。
真実を知られたくなかった。
ジャレッドが現実を受け入れてしまったら、二人の関係に覚悟を決めてしまったら、もう自分は拒みきれなくなる。
それなら何も考えさせずに、本能に畳み掛けるのが一番良い。礼儀的に契りを終わらせてしまえば、ジャレッドの熱も去るに決まっている。
それが男のサガであるから。
「ン———、ふ、う、んん・・・・・・」
ジャレッドは激しい接吻の合間にドンドンとギルの胸を叩く。そんな抵抗など屈強なギルにとっては痛くも痒くもない、仔犬に戯れつかれているみたいなもの。
強引に顎を抑えつけ、ギルは舌を捻じ込ませた。息つく間も与えずに唇を塞いでやれば、色ごとの経験の乏しいジャレッドにはもう抵抗はできまい。
しかしその瞬間、舌に鋭い痛みが走った。
口内に広がる錆びついた鉄の味。
「・・・・・・っつ」
ギルはたまらず唇を解放する。
ジャレッドはぐしゃぐしゃに歪んだ顔で口元を拭った。手の甲には鉄の味の犯人——ギルの舌を噛んだときの血が付着している。
「勘違いするな、飼い主は俺だ・・・・・・」
ジャレッドは負けじとギルを睨む。けれど強気に始まった声はしだいに蚊の鳴くように消え、最後には小さな声で「ちがう」とこぼした。
「そんなことが言いたいんじゃない」
無理やりされるのを警戒し、ジャレッドはギルから視線を外さずに距離をとった。じりじりと離れ、ベッドの端っこに座る。
「俺にはお前が何を考えているのか・・・・・・わからない」
真っ直ぐにギルを見つめたまま、ジャレッドが悲壮を感じさせる声で呟いた。
ギルは極力、落ち着いた声で答えを述べる。
「私はいつもジャレッド様の身の安全と健やかな成長を願っていますよ」
「は? 俺を何歳だと思ってんだよっ! 子ども扱いしたって誤魔化されないからな!」
ジャレッドは苛立ったように叫ぶ。
ギルが次の言葉に詰まっていると、ジャレッドは不貞腐れた顔で先に口を開いた。
「・・・・・・ギルが俺の護衛騎士になったのは前当主に託されたからなの?」
その問いには迷いなく頷ける。
「そうです」
「じゃあ、契りを交わしてくれるのも使命感?」
ギルの唇が引き攣った。それでもわずかな躊躇いを押し殺して、首を縦にふった。
「そうです」
「他人のために命を捨てるんだぞ?」
「ええ、そうです」
「うそだ」
「・・・・・・うそではありません、本当のことです」
ギルは言葉尻を強めた。
ジャレッドのために命を捧げてもいいと思っているのは『嘘』ではない。
「じゃあ、俺のキスに応えてくれたのも使命感?」
「そ・・・・・・」
不意打ちでギルは言葉を噛み、口を引き結ぶ。
「あーあ、ばればれ。ギルの無表情は不自然なんだよ。思ってることが顔に出やすいって、もう知ってるんだからな」
・・・・・・そうか。
真実を話したことで生まれた弊害がここにもあったとは。
「正直になってよギル。俺の気持ちはわかってるよね? それとも口に出して言った方がいいの?」
険しい眼差しが緩み、上目使いのジャレッドの瞳は甘えた色に変わる。
「・・・・・・いいえ言ってはいけません。ジャレッド様のためです」
ギルは慌てて目を逸らし、ほとんど願うように言っていた。
ものの見事な形成逆転劇だ。
ジャレッドは今の今までビクビクしていたにも関わらず、今度はギルのそばに寄り、下から顔を覗き込んでくる。
「俺のためってなに? 隠し事はなしだ、ギル」
ジャレッドの仕草にギルはボッと耳を赤くした。
ん? と首を傾けるジャレッドが不覚にも可愛いくてたまらない。
ああ、もう———愛おしい・・・・・・。好きだ。愛してる。
いつだって本当は心から叫びたかった。
そんな邪 な想いに蓋をし、ギルを騎士たらしく真摯に取り繕っていたベールは剥がれ落ちた。
イーノクからの後押しもあり身分の問題は解決済。なおかつジャレッドがギルの心も身体も受け入れようとしてくれているのならば、ジャレッドからの求愛を阻む理由は最初から存在しない。
「ジャレッド様、私は・・・・・・」
どくんどくんと鼓動が胸を打つ。
ギルはジャレッドの肩に手を乗せ、筋肉の丸みに沿うように撫であげた。
ギルの手にジャレッドは手を重ねる。
「うん、言ってギル、俺は聞きたいな」
ジャレッドの澄んだ瞳がギルの答えを待っていた。
自身の想いに身を委ねるという、簡単なことがどうしてこんなに難しくなったのだろうか。
安堵と決心、ギルはふわりと喉元から溜息を落とす。
ギルが大きく息を吐いた時、きっと神様も気まぐれに溜息をついたのかもしれない。
ギルの高揚した胸にコロンと破片が転がる音がした。
——————あ・・・・・・、だめだ。
リヒトがクライノートのために命を捧げた日から、ギルの心の奥底に置き去りにされた砕けた鏡の欠片。
気にするほどでもないのかもしれない、けれど気が付いてしまうと煩 わしく、ギルの中に居座り続けてきたもの。
ギルは誘惑から目を逸らし、ジャレッドの肩をぐっと掴むと思いの丈を絞り出す。
「・・・・・・魔法族の寿命は、身体に宿している魔力の強さに準ずるのだそうです」
それを聞いて、ジャレッドは薄く微笑む。
「うん?」
ギルはジャレッドの肩をきつく掴んだまま、話を続けた。
「クライノートと義父は他人が立ち入る隙間のないくらいに、とても深い関係でした。・・・・・・義父が亡くなってすぐ、クライはショックから立ち直れず、自ら魔力を枯渇 させて死のうとしたのです」
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