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第40話春に向けて【1】

 その日の王宮は賑やかだった。  正門付近には十数台の馬車や荷車が並んで停められている。うちの三台の馬車においては、キャビンはもちろん車輪、馬にあてさせる(くら)や手綱に至るまで金細工で彩られ、それらを引く馬は一台につき四頭ずつ用意されている。馬は白い毛並みで揃えられており、どれも抜群の外見を備えた最高品種たちだ。  馬車と王宮内の合間では使用人らがせっせと動き回って荷物を運び込み、旅支度を整えている。  ジャレッドは王宮内で兄のイーノクを探していた。  働きアリのように荷物を抱えて列を成している使用人を順に追っていくと、備蓄庫、厨房等に枝分かれしていき、残った列は兄の書斎部屋、衣装部屋、寝室へと向かう。  運び出しの指示を出しているのは、専属侍従のフィン。彼に訊ねてみると、とっくにイーノクは身支度を終えて、積み込まれる荷物の最終チェックをするために馬車の近くで監督作業をしているという。  彼へ礼を言い、ジャレッドは外へ出た。  すると正門のそばでイーノクの姿を見つけた。兄は積み込まれる前の荷物の横で羊皮紙に目を落とし、使用人たちへあれこれと細かく申し付けているところだった。 「イーノク兄さん」  ジャレッドは兄へ近寄り、こそっと声をかける。 「ん? なんだジャレッドじゃないか。また痴話喧嘩の愚痴でも言いにきたのかい? それなら今は忙しいぞ」 「ち、ちがうよっ」 「はは、そうだろうな」  次々とやってくる荷物を振り分けながら、イーノクは微笑み、さりげなく首元に指をやる。 「・・・・・・・・っ!」  兄のジェスチャーを見て、ジャレッドは真っ赤になってブラウスの襟を引き上げた。  ジャレッドの着ているブラウスは襟高でフリルのデザインが施してある。それを一番上のボタンまできっちりと止め、さらにスカーフを巻いている。どこから見ても覗ける隙のない装いでいるはずだが、ジャレッドの若々しく引き締まった肢体には、昨晩も誰かさんにつけられた噛み痕とキスマークの痣でいっぱいなのだ。  イーノクはそんな様子をにやにやと見つめ、ジャレッドの肩に手を回した。 「わざわざ見送りをありがとう、ジャレッド。腰に剣を携えていても、俺の弟はやはり世界一可愛いな。アイツにやってしまったのが今更ながら惜しい」  冗談混じりにそう言い、ジャレッドの顔に頬擦りする。 「もう兄さんったら・・・・・・からかわないでくださいよ」 「からかってなんかいないさ、ジャレッドが幸せそうで兄さんは嬉しいよ」  兄は優しさの裏で何を考えているのか分からない、本心の読めない人。ジャレッドはなんともいえない気持ちで「うん、ありがとう」と兄の頬に親愛のキスを返した。  その時、「ジャレッド様」と後ろから声がかかる。ギルが王宮内からジャレッドの後を追って出てきたようだ。  ギルは護衛騎士であり、恋人でもある。紆余曲折(うよきょくせつ)ののちに無事に想いが実り、契りを交わし、ジャレッドに命を捧げる誓いを立ててくれた。世の恋人たち以上に深いつながりを得ている男だ。    キレットの古城でジャレッドが知ったことはほんの一部であり、まだまだ隠されている真実も多いのだろう。全てを消化できたわけではないけれど、だがジャレッドはとっても幸せに過ごしている。  困ったことといえば、ギルの過保護っぷりが増したというくらいか。  ジャレッドの暗殺を企むような輩に対してだけではなく、いかなる男でも主人のそばに寄ろうものなら噛みついてやるぞと言わんばかりだ。  毎晩のようにそんな男を「噛み付くのなら俺にだけにしてね」と、よしよしと宥めてあげているのである・・・・・・。 「イーノク様が見つかってよかったですね」  ギルはイーノクからジャレッドをやんわりと引き剥がし、自身の背中の後ろに隠す。  ジャレッドの目には兄弟同士のスキンシップへの対抗心がメラメラとして見える。 「ふふ、穏やかじゃないなぁ。ギルが怖い顔をしているから、もう行くよ」  いつの間にやら荷物の積み込みは終わり、使用人の行列が消えていた。旅の団員は配置につき、イーノクが馬車に乗り込むのを待っている。 「あ、あの、兄さん。気をつけて行ってきてください。新しい家族が増えることを楽しみに待っています」  ジャレッドがそう伝えると、兄はにっこりと微笑んだ。 「ああ、ありがとうジャレッド。行ってくるよ」  正装用のマントを(ひるがえ)し、イーノクは白馬の引く馬車に乗り込んだ。  その馬車を護り固めるように、前後左右には分厚い隊列を組んだ近衛騎士がつく。 「進め——!」  騎士団長の号令がかかり、物見の高さからラッパの音が鳴り響いた。華やかなファンファーレと共にゆっくりと馬の脚が動き出し、そうして、イーノクをのせた旅団は王宮を旅立っていった。  ヴィエボ国は冬を終えようとしている。  これからイーノクはヨハネス王国へ、妻となるジネウラ姫を迎えに行く。そのまましばらく滞在をして、ヨハネス王国内の式典に出席し、春に予定されている婚姻の儀をめどに帰国する流れであった。 「あーあ、行っちゃった。俺もいっしょに行きたかったなぁ・・・・・・」  ジャレッドは溜息をつく。 「ジャレッド様は公務で国外へ行かれた経験がないですからね」 「ねえ、それってさ、やっぱり俺が魔力持ちなのと関係してるの?」  問いかけにギルは人差し指を唇に押し当て、険しい顔をする。 「ジャレッド様っ、声を落として」 「別にいいじゃん、王宮仕えの者は知っていることなんだろ?」 「まぁ、そうですけれど・・・・・・、ごほんっ、公務に関しては国王陛下のご判断次第です」  ジャレッドは「ふぅん」と肩をすくめた。 「別に国の外までは行かなくてもいいから、俺ももっと同世代の奴らと交流したいなぁ」  そう言うと、しゅんと項垂れる。  王子というのは、本来であれば非常に忙しい。  王太子でなくても公務があり、式典や視察、国の根幹を担う宰相や大臣らが一堂に会する場に出席を求められることが多い。  しかしながらジャレッドに許されている仕事は、大半が母に連れられて貴婦人用のサロンや茶会に顔を出すだけで、退屈で長いが、それ以外は基本的に暇だ。  熱心に取り組んでいた勉学でさえ、最近はあまり手をつけていない。重要な部分が穴だらけの教科書なんて無意味に思え、どうしても読む気になれなかった。  一方でギルは、名だたる公爵家の養子であることがジャレッド公認となったことで、空いた時間にはそちらの仕事を手伝うようになっていた。  その間、ジャレッドはギルとの約束を守り、安全な部屋の中で外を眺めるしかないのだった。 「それでは、今日は街に行ってみますか?」 「え、いいの? でも・・・・・・今日も公爵家の屋敷に顔を出さなきゃいけないって言ってなかった?」  当主のクライノートはキレットの古城で療養中のため、王都の屋敷を利用しているのは専らパトロとオズニエルだ。一時期は貴族の中で浮いた存在だったブリュム公爵家を、ふたたび確固たる地位に押し戻したのは他でもない有能な二人の仕事ぶりから。  本職が執事であるゆえに、普段は一歩ひいた姿勢の二人がひとたび人の前に立てば、それはそれは誰もが(うらや)むほどのリーダーシップの才を発揮した。  今や多忙を極めるブリュム公爵家。少しでも手伝えることがあればと、陰ながら支えたいというギルの気持ちを邪魔できない。  そんな主人の遠慮を感じ取ったのか、ギルはジャレッドの腰を引き寄せて優しく口を開いた。 「ええ、ですが頼まれていたものを届けるだけなので、ジャレッド様も一緒に行きましょう。その帰りに街を散策しては如何ですか。それとも、二人きりのお部屋で楽しいことをしましょうか?」  耳元で囁かれ、ジャレッドは顔を赤くする。 「ッ! はあ? 何言ってるっ! 街に行くに決まっているだろッッ!」    どれだけ嬉しくても、恥ずかしいものは恥ずかしい。  牽制(けんせい)する意味もあるのだろうが、ギルが外でも何処でもべたべたしてくるせいで、見慣れた王宮の人間は誰一人として気に留めなくなったくらいだ。  フンと口を尖らせ、ジャレッドはギルの肩を遠くへ追いやる。 「ほんの冗談だったのですよ? そんなに怒らなくてもいいのに」 「うるさい!」  ジャレッドはぴしゃりと言い、「早く行くぞ」と真っ赤な顔で前を向いた。

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