41 / 67

第41話春に向けて【2】

 王都の街並みにジャレッドは目を瞬かせた。  街のど真ん中を斜めに横切るナパ運河に沿って飾り付けがされ、王宮側に近いアランテアトロン広場の方では曲芸団が奏でる楽しげな歌や曲が響き、お祭り騒ぎの歓声が聞こえる。 「すごい・・・・・・、これ全部がイーノク兄さんへのお祝い?」 「そうですよ、イーノク様だけでなく、ジネウラ姫を歓迎しての(もよお)しです」  驚いた。今日出発したとしても、ジネウラを連れて戻ってくるのはまだ幾らか先の日なのに。 「兄さんたちが帰ってくるまでずっと、こんな感じでいるつもりなのか?」 「帰って来てからはきっと、さらに賑やかになります。それだけ二人の結婚は喜ばれているのでしょう。どうしました? 腑に落ちてない顔ですね」 「・・・・・・んー、うん」  ジネウラは妖精の血を引いている。美しい王家の娘たちはヨハネス国王のご自慢で、謳い文句にもなっているくらいに、どの国にも伝わる有名な話だ。  妖精といえば、魔法。魔法を使う種族はこの国では憎まれているのではなかったのか?  それを言うと、ギルはなるほどと相槌を打った。 「そういうことでしたか。エルフと違い、使い魔と属される妖精は扱いが別なのですよ」 「え、なに? エ?」  そういえばそうだった。キレットの古城で聞いた話でそんなようなことを言っていたような・・・・・・なかったような。  エルフだったり、使い魔だったり、ややこしくて難しい。ジャレッドが人間以外の種族について、これまでの講師から教わったのは、それぞれの呼び名と簡単な概要(がいよう)をさらっと。妖精は一括(ひとくく)りで覚えさせられていた。  教え方が雑すぎて、当時の講師に文句の一つを言ってもバチはあたらないだろうな。 「使い魔というのは単体では力を持たず、いたって無害です。誰か、もしくは何かと契約をしてはじめて力を発揮できる。そのことから、魔法ではない別の点が注目される」  説明しながらも、ギルはクツクツと笑う。 「こら、笑ってないで早く言え」 「すみません、目をぐるぐるさせているジャレッド様が可愛らしくて」  ジャレッドはどついてやりたい衝動をおさえ、ギルの余計な一言には知らん顔をした。  するとギルは「こほん」と静かに咳払いをし、真面目に口を開く。 「ジネウラ姫の容貌をご覧になったことがありましたよね? では想像ができると思います。使い魔はこの世のものとは思えない美しい容貌を備えている。国によっては女神と呼ばれたり、精霊やフェアリーと称されて愛されたり、ヴィエボ国でも使い魔は神や天使に近しい存在として認識されています。あらゆる国で信仰の対象とされ、熱心に(あが)めれば加護が受けられると信じられているのです」  わずかに顎をひき、ジャレッドは「ふぅん」とこぼす。 「ジネウラ姫を歓迎している理由はもう一つあります。ラーナの本を、ジャレッド様はご存知ですか?」 「うん。そりゃ知ってるよ」  ジャレッドは頷く。  ラーナとは、『黒髪ラーナ』という絵本である。  お城に住む心優しいお姫様の成長を描いた内容で、お話の最後では美しい女性に成長したラーナが異国の王子に見染められて幸せになる。  ヴィエボ国に生まれた子どもなら、皆がこの絵本を読んで育つ。知らない奴がいるなら、ぜひ会ってみたい。それほどに親しまれている絵本だ。 「ではこのこともご存じでしょうか。この絵本はヴィエボ国に実在した王妃様をモデルに描かれています」 「ああ、ヴィエボ国初代の王妃だろ?」  豊かな黒髪は、王族の象徴。  ラーナは漆黒の髪を持つ王族の生みの母。最初の黒髪の王族である。  美しい見た目と綺麗な心を持ったラーナ姫を嫌いという子どもは滅多にいない。子どもたちは夢中になって絵本を読むうちに、自然と王家への忠誠心を芽生えさせていく。『黒髪ラーナ』は愛国心を育てるための国民教育の役割を担った絵本でもあるのだ。 「おっしゃる通りです。そのラーナに、ジネウラ姫が似ていると国民の間で話題になっているのです。国民の頭の中には常に心優しいラーナ姫がいますから、ジネウラ姫への期待もひとしおなのでしょう」  ジネウラ姫を直接見たのは、ちょうど一年前の見合いの席で。扇子で口元を隠して下を向いていたからか、奥ゆかしいというイメージが強く、顔はイマイチ記憶にない。  思い出せるのは黒く長い髪を妖麗にまとめ上げていたヘアスタイルのみ。  そして「ここからは」とギルが声を潜める。 「ここからは機密事項になりますので大きな声では言えませんが、国民が思う初代とは、今の・・・・・・人間国としてのヴィエボ国初代の王妃を示します。それはつまり、魔法国最後の王妃でもあるわけで、じつは彼女はジネウラ姫と同じく使い魔の血を引く者でした」 「へ? ええー?!」  ギルは笑いながら、「声を落として」と咳払いをする。 「国民が感じているジネウラ姫への印象は大正解だってこと?」 「そうなりますね」 「ふぅん、てゆうかギル、お前・・・・・・やたらと詳しいな。さては兄さんに聞いていたな? お前ばかりずるいんじゃないのか?」  恨めしげに睨みつけ、ジャレッドが腹を立てると、ギルは少々驚いたように目を丸くする。 「そんなことはないと思いますけど」 「いや、あるね」  ジャレッドはきっぱりと断言した。  実際、ギルは兄についていろんなことを知っているのに、ジャレッドは知らない。 「兄さんに呼び出されることも多いよなぁ??」  可愛くない言い方をしてしまったが、口から出てしまった後では遅い。 「はあ、ジャレッド様ちょっとこちらへ」  ギルはため息をつき、困り果てた様子でジャレッドの腕を引いて物陰に連れ込んだ。  ジャレッドを壁側に追いやり、「さっき屋敷を出る前に一度抱いておけばよかったですね・・・・・・」と意味深に呟く。  たちまち追い詰められ、ジャレッドは背中を壁に押し付ける。顔の両脇に手を置かれれば、あっという間に男の懐の中に囲われてしまう。 「ジャレッド様は、イーノク様と私、いったいどちらに嫉妬していらっしゃるのですか? 返答次第では今ここで貴方を抱きます」  声色にほんのりと怒気が混ざっている。  しまったと思った。  今度はギルのジェラシースイッチを押してしまった。  あまり素直じゃない者同士、こうした些細な衝突が多いのだ。  今回はジャレッドの方が断然に部が悪い、素直に謝ったほうがいいだろう。誰が見てるかもわからない屋外で、好き勝手に身体を触られるなんてたまったものじゃない・・・・・・。 「ごめんなさいギル。もちろん、兄さんに対してだよ。いつもギルを独り占めするから、カッとなってしまった」  ついでにギルを喜ばせる言葉をプラスしてやれば、とたんに大きな男はぶんぶんと尻尾を振り、顔を輝かせる。 「ジャレッド様・・・・・・かわいい」 「へ・・・・・・あ、おい」  囲いから抜け出すすべもなく、ギルの顔が近づき唇が重ねられた。  最初から容赦のない、熱い口付け。  とろとろと唾液を含ませながら、唇を吸われ、上顎の裏をくすぐられる。くちゅくちゅとうねる舌先が絡み合い、あったかくて柔らかくて、きもちいい———。 「ん、んあっ・・・・・・、ちゃんと、謝った・・・・・・・だろ」 「ええ、でもしたくなったので、ジャレッド様が可愛いから」 「な、ふざけんな・・・・・・よ」  ギルは熱に浮かされたみたいに、うっとりとジャレッドを見下ろし、逞しい腕で抱き締めてくる。  大人の色気をむんむんさせ、そのくせ語彙力は三歳児並みに少なくなり、「可愛い」しか言えなくなってしまうのだ。  こんなところで、駄目に決まっている。  建物と建物の間の路地。  公衆の面前とまではいかなくても、人の行き交う足音や声はすぐ近くにあった。  背中の後ろの壁、この建物の一階はカフェだ。突き当たりの角から日除けのパラソルが見えているじゃないか。 「駄目だ・・・・・・ギル、帰ったら好きなだけしていいから。待て、できるな?」  ———頼むから、ここは忠実であってくれ。  この駄犬は最近言うことを聞かなくなってきた。  ベッドの上でならこちらも尻尾を振ってやらないこともないが、今は。 「俺だって我慢してるんだよ? ね?」  ジャレッドはギルを上目気味に見つめ、だめ押しをした。

ともだちにシェアしよう!