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第42話春に向けて【3】

「・・・・・・わかりました、約束しましたからね。今夜、忘れないでくださいね」  しょうがなく、まさしく渋々といった空気が言葉の端々から漏れ出ている。  しかし、ともかくギルの懐から解放されて、ジャレッドは「助かった」と胸を撫で下ろした。  そのタイミングだ。 「あれれー?」  ジャレッドの心臓は大きく跳ねた。バクンバクンと鼓動が早鳴り、大太鼓のような動悸のダブルパンチが襲う。 「あー、やっぱりジャレッド様だ! 今日はギルさんもいるんだね!」  この見知った声は犬獣人の女の子、チェヤンである。  後ろで花を積んだ荷車を押しているのは双子の兄のチェロル。 「やあ、チェロルにチェヤンじゃないか。こんにちは。奇遇だね」  衣服の乱れをさりげなくチェックしながら、ジャレッドは平静を装った。 「ねえ、そこで何してるの?」  純粋な瞳に純粋な投げかけ、たまらずグッと言葉に詰まる。  助けを求めてギルを見ると、ジャレッドの焦りなどどこ吹く風、ギルは堂々と構えている。 「とても大きな野良猫がいたように見えてね、でも違ったみたいだ」  内心でこの野郎と毒突きながら、ジャレッドは怪しまれないように愛想良く言い、ギルの袖を引っ張った。 「行こう」  と目配せすると、ギルは頷いてジャレッドの後ろに着き、イヌ耳の双子がこちらを覗いている通りに出た。 「働き者の少年にお嬢さん、こんにちは。このお花をどこまで運ぶのですか?」  ジャレッドに習って愛想良く挨拶をし、ギルが冗談めかしてそんなことを言う。  チェロルはクスクス笑い、気をよくしたチェヤンはドレスでやるようにズボンを軽く持ちあげ、ご挨拶を返した。 「こんにちはギルさん、お花を運ぶのはアランテアトロンの広場よ」 「ここからは距離がありますね、重たくないですか?」 「うん。チェロルが頑張って押してくれてるけど、重たくて大変で、可哀想なの」  でもどうしてもお花が足りなくて、必要だと頼まれたの、だから運ばなくちゃいけないのよと、チェヤンは言う。  終わりに差し掛かっているとはいえ季節はまだ冬のうちに入る。この時期に咲いている花を用意できるとしたら、一年中温室を完備している王宮か高位貴族家の屋敷くらいなもの。  ジャレッドはギルと顔を見合わせた。  無表情のギルからは助けてあげたいという善意と、できれば早く帰りたいという思惑がせめぎ合っているのが伝わる。 「ふっ、手伝うよ、ギルがぜひ運ばせて欲しいって」  恐らく後者の気持ちの方が強いとわかったが、ちょっとしたお仕置きだ。  それにジャレッドはまだ帰りたくなかった。広場は行けば、久しぶりに会いたいヤツが居るかもしれない。 「いいよね? ギル」 「もちろんです、喜んで」  当然、それ以外の返事はない。 「では行きましょう」  ギルはチェロルに「代ろう」と言い、引き手を持った。  背が高くガタイの良いギルと、荷台に敷き詰められた可憐な花々との不釣り合いさ加減がとても小気味よく、ジャレッドは笑いを噛み殺す。  それを言うと、後で何をされるかわからないので口には出さないが・・・・・・いや、それじゃ面白くないからベッドの上で悪戯しながら言ってやろう。  ついに含み笑ったところで、広場が見えて来た。  広場に近づくにつれ、これまた随分と人が多くなった。ぼおっとしていたら、人混みに紛れてはぐれてしまいそうだ。しかしギルの背が周囲の人よりも頭ひとつ高いおかげで、迷子にならずにすみそうである。  チェロルが大きな台車を通すために、前に移動し、人々に声をかけて道を作る。そうやって人混みをかき分け、約束しているという場所まで着くと、「こっちだよ」と双子を呼ぶ人物が待っていた。 「フィリアお姉ちゃん!」  駆け寄っていくチェヤンとチェロルの背を見て、この人が例の結婚式の・・・・・・とジャレッドは思い出した。  見るからに優しそうな女性の周りには、たくさんの子どもたちがいる。あれは孤児院の子どもたち。全員あの時にあったことのある、ジャレッドの知った顔だ。  皆んな変わりなく元気そうで安堵した。ただ、その中に会いたかった友人はいない。  ジャレッドは「まあ、そうだよな」と肩を落とす。王侯貴族を嫌うインガルが進んで参加するとは思えない。   「ご苦労だったな、ギル」  そっと振り返ると、ギルは朝飯前といった顔で微笑んだ。 「いいえ。そういえば、先ほど屋敷へ寄った時に、うちもブリュム公爵名義で何か簡単な催しをするとパトロが言っていましたね。詳しく聞いていないのですが、どれでしょう」  街に出る前に屋敷へ寄り、用事を済ませてきた。ギルはそこでも忙しそうに走り回っていたのだが、催し事の話であれば、その間、紅茶を出されて待ちぼうけをくらっていたジャレッドが聞いている。 「花でジネウラ姫のオブジェを作るらしいぞ。それがこの花だったりしてな?」  オブジェはまず土を固めて土台を作り、そこに花を植え込んでいき、展示後は小さな鉢植えに分けて売りに出すようだ。  激務の公爵家の「誰が」その作業をするのかと疑問に思っていたけれど、こういうことであれば納得がいく。   「おや、どうやらジャレッド様の読みどうりかもしれませんね」  ジャレッドはギルの視線の先を見た。フィリアと呼ばれていた孤児院の女性が、子どもたちの群れから離れ、こちらに近づいてくる。  フィリアはそばまで来ると、胸の上で手を揃え、深く腰を折った。 「お花を運んでくださったと、チェロルとチェヤンに伺いました。立派なお召し物から察しますに、旦那様がたは高いご身分の方々であるとお見受けします。私どものような者にまでご親切にありがとうございました」  ジャレッドが何者であるかは、街では極秘事項だ。  子どもたちには、チェロルとチェヤンを通して、ジャレッドに会ったことを言いふらしてはいけないとお願いをしてある。  子どもたちにとって最も親しい「フィリアお姉ちゃん」にも伝えられていないとは、ジャレッドからのお願いはしっかりと守られているらしい。  フィリアの目には、ジャレッドは親切なお金持ちとして映っているのだろう。 「大したことはしていませんから。ところで、こんなに沢山の花をどうするのですか? ああ、待って、当てましょう。ブリュム公からの依頼かな?」 「ええ! そうですが」  フィリアは驚いた声をあげ、後ろではギルが「悪ふざけをして・・・・・・」と呆れて溜息をつく。 「やっぱり、いやぁ、僕はちょっと彼らと親しいものですからお気になさらず。では僕らはこれで失礼しますよ」  紳士を装ってジャレッドは一礼し、くるりと踵を返した。 「あの・・・・・・旦那様」 「何でしょう?」  引き留められ、ジャレッドは品よく首を傾げて見せる。 「もしお会いする機会があるのならば、できればお礼を伝えていただきたいのです。仕事のない子どもたちを雇って賃金をくださるだけで充分ですのに、オブジェを作り終えたのちの、売り上げ分も全額孤児院にまわして頂けるそうで・・・・・・ほんとうにありがたく思っていますと、ブリュム公爵様に・・・・・・」  その瞬間、ジャレッドの陰でギルがきゅっと唇を引き結んだのがわかった。  ———なるほど、そうだったのか・・・・・・パトロの狙いはこちらであったのか。  オブジェを作るために子どもたちを雇うのではなく、子どもたちを雇うためにこの催しを行うのだ。  リヒトの遺言書によって非難の声は止んだものの、オウグスティン家へ懐疑的な印象をもつ国民はまだいる。  公務の一環と言われてしまえばそれまでだが、失った信頼を取り戻すには地道に歩み寄るしかない。  今フィリアが伝えてくれた言葉は、オウグスティン家の長年の努力に対する答えだった。

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