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第44話変動の兆し【1】

 訃報(ふほう)の知らせが来たのは、それから十日後の明け方近く。  ジャレッドは叩き起こされて聞かされた内容を、思わず二度も聞き直した。  先んじて報告を受けた王妃マルティーナはショックに倒れ、床に伏せってしまったという。  誰が予測できただろうか。  ———イーノク王太子殿下が殺された、などと。 「父上、起きていらっしゃいますね! どういうことでしょう!?」  ジャレッドは青ざめたギルを従え、父アンデレ国王のもとへ向かった。  国王の玉座は王宮本殿ではなく、その真後ろに控えた講堂内にある。中は格式高い神殿を模倣した造りとなっており、そこで堂々と鎮座する国王陛下こそ、国を護り導く絶対の権力者なのであると言わしめているようだ。 「静かにしなさい、ジャレッド」  近衛兵の静止を振り切って飛び込んできたジャレッドを、アンデレが第一声で(いさ)めた。  講堂の中にアンデレは一人でいた。  漆黒の髪は一本の白髪もなく、歳の割に皺も少ない。普通ならば疑問に思う若々しさも、ヴィエボ王家には魔法族に加え、使い魔の血が流れていると知ったあとでは納得がいく。  アンデレの碧眼は家族の誰よりも透明に近い。ガラス玉と同じで無機質だ。昔はそこに温かみがちゃんとあったように思えたが、今はそれが見られなかった。  とても冷たく、ジャレッドが見る限り、父は落ち着き払った様子で玉座に腰掛けている。そしてアンデレの視線はジャレッドの後方下へ向いた。 「ギル、これのこういった暴走を止めるのがお前の役目だろう?」 「はっ、申し訳ございません」  いつの間にかギルは跪き、頭を下げている。 「父上!」  ジャレッドは頭ごなしな父の態度に苛立ちを覚え、叫んだ。  「・・・・・・ジャレッド、静かにしなさいと何度言えば伝わる?」  まるでお前はいつも騒々しいと言わんばかりの言い方だ。 「どうして、静かになんかしていられるのですか・・・・・・っ」  ジャレッドは父に食ってかかった。  イーノクが死んだと言われたのだ、冷静でいられる方がおかしい。ジャレッドにとっては兄で、父にとっては息子で、大切な家族。  それに———大人しくしていたって何も教えてくれないのを知っている・・・・・・。 「なぜジネウラ姫を迎えにいっただけのイーノク兄さんが殺されなければならないのでしょうか?! これは絶対に何かの間違いですよね? 父上、答えてください・・・・・・、世界は今、平和なのですよね・・・・・・??」    けれど、そんな必死の訴えかけにもアンデレは感情を見せない。   「口を慎みなさいジャレッド。私は間違いなくお前の父であるが、それ以前にヴィエボ国の王であるのだ。たとえ息子であれど礼節を(わきま)えて振る舞えと教育されたであろう。そうでなければ、下の者へ示しがつけられない。これからはお前が王太子とならねばならないのだぞ」  あくまでも淡々としたアンデレの口調に、背に冷や汗が伝った。  微かに抱いていた、兄の死は伝達間違いだったのではという願いが砕け、暗く重たいものが胸に広がる。 「イーノクは殺された。信頼のおける筋からの情報であり、誤りではない。しかし予測できなかった事態ではなく、これはイーノクの失態だ」  「・・・・・・なんて酷いことをッ、父上でも言っていいことと悪いことがあるでしょう?!」  ジャレッドは兄を侮辱され、頭に血がのぼる。  アンデレは溜息をつき、殴りかかってきそうなジャレッドを冷淡に一瞥すると、ギルに視線を向けた。 「ギル、ジャレッドに与えた知識はどこまでだ」 「はっ、国の内情においてはすべて」 「それはイーノクの指示か?」    即座に問いを返され、ギルは一瞬の迷いを見せた。だが「はい」と認め、肯首する。 「そうか、・・・・・・それで?」  そう促すアンデレの視線は、ギルの腰、そしてジャレッドの腰へと移行する。ガラス玉のような瞳に映されたものが、各々の腰に携えられた剣であることは火を見るよりも明らかだった。  それがどのような形で彼の瞳に映されているのか、なんとなく嫌な予感しかしない。  ジャレッドらが思い描いたものとは真逆のカタチに歪んでいないといいなと思う・・・・・・。  ジャレッドの憂いをよそに、ギルは剣を腰から抜き取り、玉座の前まで行くとふたたび跪いてそれを差し出した。 「どうぞ、手に取ってご覧に入れてください」    そう言うだけでなく、「契りは済ませてあります」とまであけすけに報告をする。   「うむ」  アンデレは受け取った剣を隅々まで眺め、「これはヨハネス王国のものだな?」と口調を強めた。   「はい」  ギルの返答に、アンデレが固く目を閉じる。 「相分かった。安心したまえ、私の意向に反したからといってギルを処罰する気はない。先程のイーノクへの言葉だが、半分撤回してやるとしよう。みすみす殺されたのはあいつの落ち度があってだが、何やら先手を打っていたらしいことは誉めてやらねばな」 「え?」  それはジャレッドに向けて言われた言葉のようだ。  アンデレは続けて言い連ねる。 「お前に話すときが来るとは・・・・・・不本意であるが、しかし、知らねばなるまい。ジャレッドよ、よく聞きなさい。すでに己れの力を知っているのならば理解は早いだろう、ヴィエボ国王家はもはやお前を護っておけなくなった。許せ」  父の言うことは、つまり。ジャレッドは唾を飲み込んだ。   「父上、ヴィエボ国民に俺が魔力を持っていると伝えるのですか?」 「そうだ、だがお前のことだけではない、国そのものが魔力を(いしずえ)にして築かれた魔法国であると断言する」    ジャレッドは驚きに目を瞠った、ギルも似た反応を示す。 「イーノクを殺ったのはレヴェネザ王国の連中。火蓋は落とされたのだよ、争いが始まったのだ」 「・・・・・・ちょっ、ちょっと待って下さい。レヴェネザって、あのレヴェネザですか?」    レヴェネザ王国とは、ヴィエボ国の南座標に位置する大国だ。広大な領地と軍事力を誇り、この一帯では最も力を有している国。レヴェネザ王国に目をつけられることは、すなわち滅亡を意味する。  けれど実際はそうならないのを、どの国も知っていた。  レヴェネザ王国は小国同士の小競り合いには口を出さず傍観し、必ず中立の姿勢を見せている。分け隔てなくすべての種族の民を友好的に受け入れており、平和の象徴としても名高い。  外交にとことん疎いジャレッドの耳に入るほど広く知られていることであり、その国が他国の王太子の暗殺を企てるなんて考えがたい。 「私の知っているレヴェネザ王国は一つだが、もし二つも三つも存在するのなら教えて貰いたいものだな」    とアンデレは嫌味を挟み、口を開いた。   「始まりはレヴェネザ前国王の即位から。多種多様の種族が混在しているレヴェネザ王国は王家の中にも様々な血が入り混じっている。歴代の国王と王妃に名を連ねている者たちも多種多様の血筋を持ち、前国王は魔族と人間の混血児であった。正妻の子ではなかったのだが、父は彼が生まれた当時のレヴェネザ国王、母方の魔族の家柄も申し分ない、名実共に優れ国民にも慕われていた。彼の即位が決定した時も、反対する者はいなかった」  ところが、とアンデレは目を伏せる。   「毒殺されたのだ、即位後まもなくのことだった。ましてや彼を殺害した犯人はなんと王妃だった。王子の時代から恋仲であった人間の女で、妻となり王妃となったのちも仲睦まじい様子が目撃されていたのにかかわらず、彼女は毒を混ぜた紅茶を飲ませた直後にこう叫んだそうだ。『魔族の子どもなんか生みたくない』とね」    ジャレッドは言葉も出なかった。黙って聞いているギルの様子を見ると、ギルは知っている話のようだ。   「幸いに、それは朝餉の時間の出来事。その場に居たのは数少ない使用人のみで、彼女の発言に関してはことなきを得たかに思われた。しかし噂とは不思議だ。まるで足でもついているみたいに勝手に広まってゆく。平和の象徴とされていた大国の王妃が他種族を卑下する発言をしたのだから、近隣諸国にとって、こんな影響力の大きいニュースは他にない。そして最悪なことに次に即位した現国王は混ざり血のない人間だった。これはもう、人間から他種族に対しての宣戦布告と取られてもおかしくない。そうして亀裂は国の内部から外へと波状していき、今や人間と他種族の対立はレヴェネザ王国だけに留まらなくなってしまったのだ」

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