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第45話変動の兆し【2】
そんなこと街の人は誰も・・・・・・、たまに訪れる来賓客も誰も。自分以外の皆が知っているはずなのに。だがどうだろう、その時にジャレッドは思い当たった。
———ジャレッド、ほんとに何も知らないんだな。
以前に、インガルが言おうとしていたのはこのこと?
言わなかったのは、言えなかったから?
それだけじゃない、チェロルとチェヤンが生まれ育った国の話を避けたのも言えなかったから?
社交の場では、どの国同士も腹の探り合いをしている間柄、自国の内情に繋がる部分は隠したいと思う。ましてジャレッドのそばにはギルがいる。聞かせたくない部分ではギルがジャレッドの耳を塞いでいるだろう。
しかし気になることは、まだある。
「遠征軍・・・・・・」
ジャレッドがぽつりと溢すと、ギルが弓を弾いたように顔を上げた。
「ジャレッド様、そのことをどこで?!」
「街の・・・・・・」
ジャレッドは言葉を切った。
「誰だったっけ? どこかの子どもだったけど忘れたよ。話の中にちょこっと含まれてたのが聞こえただけ」
もし他国の話題に厳しく緘口令が敷かれているのなら、罰せられる可能性が否定できない。教えちゃいけない。
それより、遠征軍の方が大問題だ。
ヴィエボ国は他国を攻めず、先代の教えを貫いているんじゃなかったのか? 軍を遠征に出す目的は一つしかないじゃないか。
ジャレッドはアンデレに向き直った。
「ヴィエボ国軍は侵略 行為を行なっているのですね?」
「国のためだ」
「国のため・・・・・・?」
ジャレッドの声が震える。
「非人道的な行いをするのが国のためなのか?」
つい口調まで荒くなる。
「・・・・・・ふぅ、これだから教えるべきではないと私は言っておったのだよ。ギル」
溜息を吐き、アンデレは玉座に肘をついて目を閉じた。
「はっ、申し訳ございません」
「ジャレッドよ、イーノクの死を悼 むのなら、理解できなくてもする努力をしろ。イーノクから託されたものを無駄にしてやるな」
「・・・・・・っ、ぐっ」
託されたもの。
ジャレッドは腰にさした剣の柄を握り締めた。
兄から託されたものはこの剣と、王太子の地位、いずれはこの国を背負う覚悟だ。
「お前がそのようでは話にならん。外で頭を冷やしてからまた来なさい。お前は違うのかもしれんが、私は考えごとをする時には一人になりたい人間なのでな」
アンデレは冷たく言い放ち、もう行けと命じる。
「行きましょう、ジャレッド様」
言いたいことはまだ山ほどあったけれど、貝のように目を閉じてしまった父に伝わりそうなことは何もない。
仕方なくジャレッドはギルに腕を引かれ、命じられるがままに講堂を出るしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「———あれが国王陛下様なりの優しさではないでしょうか」
ジャレッドは寝室へ真っ直ぐに戻らず、気晴らしにと中庭へ出た。その直後にギルが口を開いた。
「あの嫌味のどこが? どのへんが優しさに思えたの?」
ギルの言葉に笑いが込み上げる。
父には失望しか感じなかった。インガルの家族から爵位を取り上げたのは、間違いなくあの無機質な目なのだ。信じたくなかったのに、疑いようがなくなってしまった。
「んー、そうですね。わかりやすいのは最後の言葉でしょうか」
「は? 最後なんて、邪魔者扱いされて追い出されただけだろ」
思い切り吐き捨てると、唐突にギルがジャレッドの手を握った。
「あ、なに・・・・・・? そういうのは部屋に戻ってからにしてよ、てゆうか今はそんな気分じゃ」
「ジャレッド様の手、汗びっしょりですね」
ジャレッドはぽかんとする。
「・・・・・・だから、なんだよ」
「震えてましたね? 手も、声も」
「それは怒りで」
でも、とギルは言う。
「講堂を出た瞬間、ほっとしたんじゃないですか?」
「は?」
ジャレッドが目を見開くと、ギルは同じ質問を続けて重ねる。
「どうして震えていたんですか? ジャレッド様」
「・・・・・・それは当たり前だ」
———当たり前だ。
「イーノク兄さんが、・・・・・・死んだんだから」
「そうですね」
ギルの手が頬に伸びてきて、そこでジャレッドは自分が泣いていることに気がついた。
「あー、もう、お前が変なことを言うから・・・・・・」
せめて部屋までは堪えなくちゃいけないのに。ジャレッドはブラウスの袖で瞼をこする。
「くっそ・・・・・・、いやだ、泣きたくない」
意地を張ったものの、一度出た涙はじわじわと瞼に溜まっていく。
「いいじゃないですか、辛い時には泣きましょうよ。それに私の前では今さらですよ」
「けどっ、泣いている姿を人に見られたら恥ずべきことだ」
「ではこうしましょうか」
そう言うと共に、ギルは背の高い薔薇の垣根と自身との間にジャレッドを隠した。
「こうしていれば、わたしが一人で中庭に居るように見えます。何をしているのかと聞かれたら、恋人にプレゼントするための薔薇を選んでいるとでも言いますよ」
ギルは垣根に手をつき、キザなふりをして見下ろしてくる。
「・・・・・・似合わないな、そのセリフ」
思わず笑いながら、ジャレッドは鼻を啜 った。
「そうですね」
私もそう思います、とギルは眉尻を下げて微笑んだ。
「ふん、ギルのくせに調子に乗りやがって・・・・・・。ありがとう」
大きな優しさに包まれると、懸命に抑えていた涙が次から次に頬を濡らして止まらなくなった。
それを見てギルは自身も辛そうに、けれど安心したように溜息をついた。
「・・・・・・ふ、うう、兄さん、ン、うう」
嗚咽をあげるジャレッドの目尻にそっと唇が触れる。
「貴方はそれでいいんですよ」
と、ギルの優しい言葉が耳に響いた。
ジャレッドの涙は止めどなく頬を伝う。顎からこぼれた涙の雫が雪の結晶のようにチラチラと地面に降り積もり、誰にも見つけられないまま溶けるように消えていく。
もしも誰かの目に映っていたとしたならば、それは薔薇たちが涙を流しているみたいに綺麗であって、クライノートが見せてくれたあの日の幻影に似てとても儚く、心悲しげに見えていたに違いなかった。
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