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第46話変動の兆し【3】

「ねえ、父上はもしかして俺に時間をくれた・・・・・・の?」 「そうだと思います」  考えごとをするために厄介払いをしたのではなくて?  ほんとかなあ? とジャレッドは首を傾げる。  ジャレッドは一通り泣いた後で、すっきりした表情をしていた。薔薇の垣根を背に二人でしゃがみ込み、朝焼けの空を見上げているところだ。   「凄くわかりにくいんだけど」    溜息混じりにジャレッドが苦言を呈すると、そうですねとギルは呟き、「ふつうなら」そう思いますねと雲の上に向かって目を細めた。   「なぁにそれ、感情表現が不器用な者どうし馬が合うのか?」 「違いますよ。聞いたことがあるんですイーノク様から」 「兄さんから?」 「はい、・・・・・・あ、申し訳ありません」    ギルがハッとして、ジャレッドの顔色をうかがう。   「ん? ああ、もう怒らないよ」    数日前にくだらなく嫉妬し合ったことを、ギルは気にしているのだろう。  むしろ、今は聞きたい。  自分の知らない兄の姿を心に留めておきたかった。  同じ親から生まれた兄弟であって、イーノクとジャレッドは正反対の育てられ方をした。イーノクが厳しい教育のもとで躾けられていた横で、ジャレッドは外に出られないといじけて、機嫌をとろうとする大人たちを振り回していた。  イーノクから見たら、閉じ込められていたという面よりも、わがまま放題の一面の方が目立っていただろう。  それでいてイーノクはジャレッドにいつも優しくて、それがずっと不思議だった。   「話してよ、仲良しだったんだね兄さんと」 「仲良しというか・・・・・・遊ばれていたというか・・・・・・、馬鹿にされていたといいますか・・・・・・」 「ははは、なんか分かる。言い返せばよかったのに」 「出来ませんよ・・・・・・。それに、イーノク様が楽しそうにしてくださるなら良いかと。イーノク様は私が出会った当初から賢く聡明で幼さを感じさせない子どもでした、私はその姿を見ていて胸が痛むことが多々あったのです」    ジャレッドは「うん」と、ギルの話に聞き入る。   「けれど私の愚かな気遣いなどお見通しで、ある時イーノク様は打ち明けてくださった」    ———ごくたまに、感情を爆発させて発狂してしまいたくなる時があるんだよね。  ある日にイーノクはそう言った。  ギルの瞳に映った暗い色に沈んだ双眸からも、裏腹にニヒルに笑んだ口元からも、真意を読み取ることは出来なかったそうだ。  ヴィエボ国王家の王子教育は感情をコントロールするすべを叩き込まれることから始まる。  血の中にわずかでも存在する魔力が、高ぶった感情を引き金にして現れ出ては困るからである。決して露出(ろしゅつ)してはいけない秘密を秘密のままにしておくために、国民の平穏のために、王家の人間は感情を殺し、自分自身を殺して生きるのだ。  それは自身の中に流れる血を否定することで、己れだけでなく、家族をも否定することに繋がってしまう。  そのときのイーノクは、「だんだんわからなくなるんだ」とも、ギルに言ったそうだ。  我々に敵意をむけるような奴らを「なぜ」身を粉にしてまで守り、導き、治めてやらねばならないのだろうと。だが、そうすることもまた血のせいであるのだと、苦虫を噛んだような複雑な顔で吐露(とろ)した。 「『王家の人間は国民を捨てられない。だから俺が王家のために自分を犠牲にするのは贖罪(しょくざい)なんだ。己れと家族を(ないがし)ろにして生きることへの贖罪だ』 ・・・・・・イーノク様はそうおっしゃられました」  ギルはイーノクの言葉をありのまま引用し、ジャレッドに教えた。 「もしかして、妻を(めと)ろうとしたのも?」  ジャレッドは悲痛な声を上げる。 「おそらく、ジネウラ姫との婚姻にイーノク様としてのご意志は反映されておりません。ヴィエボ国の今後を見据えた、王太子としての英断だったのでしょう。そして、イーノク様はいつも国王陛下の背中を見ていらっしゃいました」 「そうか・・・・・・」  兄がそうであるなら、父も。 「国王陛下は何も教えないことで、王家の抱えるしがらみから貴方を解放したかったのかもしれません。それは非常に深甚(しんじん)たるお考えだと思います。そうやって愛する方法もあるのですね」 「愛する・・・・・・」    愛するという単語が頭の中枢に沁み込み、ツキンツキンと内から響くみたいに脈打つ。  そのことがとても、ジャレッドには「痛」かった。 「・・・・・・それ、似たようなことをクライノートにも言われたよ」  けれどあの時も今も家族からの愛を素直に受け入れられなかった。愛する裏で当人が泣いているのなら、それは尊いではなく、悲しいの間違いだ。  兄の言葉がジャレッドの胸を刺す。  悲しみをもたらす「しがらみ」が血のせいならば、ジャレッドはどこまで遠ざけられても結局は痛みの上に立ったまま。  そのことに、どう考えても父や母が気がつかないはずがない。  わかっていて目を逸らしていたのだろう。他にどうしようもなかったから。  兄は・・・・・・だから、ジャレッドに真実をくれたのだ。  理解してしまったとたんに、ジャレッドは絶望の淵から突き落とされたような心地になった。 「ギル、俺さ、覚悟が足りなかったかもしれない」  そう言うと、小刻みに震える手を握りしめる。   「・・・・・・俺の生活は毎日が穏やかに過ぎていってしまうから、クライノートに聞いた話も魔法のことも、心のどこかでは関係のない話なんだって思ってた。剣の契りも形だけで、ギルと想いが通じ合った嬉しさだけが先行して、意味を成す時なんて永遠に訪れないって安心してた。でも実は、俺は常に悪夢の中心にいた。それなのに、俺はギルをとんでもないことに巻き込んでしまったんだね・・・・・・」 「契りを結んだことが怖くなりました?」  率直にジャレッドは頷く。  するとギルは学問の講師が学術書の上でやるみたいに、とんとんと地面を指先で叩き、真っ直ぐ縦に「1」と引いた。 「聞いてジャレッド様。まず一つ、契りは双方の同意があって行なった。心配なさらずとも、貴方が今やっと気がついたことを私はずっと以前から知っていました」  ギルは続けて「2」と地面に記す。 「二つめ、こちらの方が大事ですよ。私と貴方の契りは、騎士の間で結ばれるそれではなかったのですか? そうでしょう? さあ、マイ ディア、それがどんなものであるか唱えて」  ギルはそっとジャレッドの頭を引き寄せ、こめかみにキスを落とした。  今にも(とろ)けてしまいそうなくすぐったさに身をすくめながら、ジャレッドは口を開く。 「・・・・・・お互いを特別な相手とみなし、助け合い、鼓舞し合いながら、永遠に一心同体となって闘うことを誓う・・・・・・?」  ギルはギュッとジャレッドを抱き締める。 「ええ、さようでございます。永遠を誓い合ったのは身体だけでなく心も、何もかもすべてですよ。ならばそれぞれに降りかかることも、二人に起きたことだと思うのです。ジャレッド様が私の苦しみを拭い去ってくれたように、貴方の苦しみを私にも分けて欲しい。一人で立てなくなったら、遠慮なく私に掴まればいいのです」  そうしてギルは「私にはそれが嬉しい」と、想いが通じ合う前から変わらない、眉尻を下げた優しい顔をした。 「たとえ私の身に何があっても、出来うる限りはジャレッド様と共に闘いたい。そのことを私に許していただけますか?」  すぐさまジャレッドは頷く。  改めてギルの深い愛情を思い知る。  ギルが注いでくれる愛は、契りの有無に関係なくそこに在るのだ。なによりも確実で、眩い光を放っている。  優しく大きくて、とても熱い———。  その瞬間、ぶわっとジャレッドの身体が銀粉のもやに包まれた。  雪化粧のごとく飾られた薔薇の垣根に朝日が差し、あたりには先程とは打って変わった、きらきらとした少女めいた雰囲気が増す。  ———兄が与えてくれたものは真実だけではなかったな・・・・・・。 「そんなこと・・・・・・俺に許していいのか? 父上の話を聞いて苦しくなったら父上の前で手を繋ぐぞ」  ジャレッドが照れ隠しにぼやくと、さすがにギルが狼狽えたように息を呑む。  王宮内で散々べたべたくっついてくるくせに、国王陛下の前では借りてきた犬よろしくビシッと跪き、真摯な騎士面をしているのでからかってやりたくなったのだ。 「契りを交わしたって教えちゃったんだから、お利口に見せたってもう無駄じゃない? じゃ、父上のところに行こっか」  と笑いながら、ジャレッドはギルの頬にキスをした。

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