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第6話

 自分が作ったバナナパンケーキを、満足そうに食べている煜瑾(いくきん)が可愛くて、文維(ぶんい)は真っ白なマグカップの中のブラックコーヒーを飲みながら、ジッと見守っていた。 「本当に文維の作ったパンケーキは美味しいです。(とう)家のシェフのパンケーキも素晴らしく美味しいのですが、文維のは…」 「愛情の込め方が違いますよ」  素直な煜瑾を一言で黙らせ、文維は楽しそうに笑う。その笑顔に、煜瑾はまた魅せられてしまい、頬を染める可愛らしさだ。 「文維は、パンケーキを焼くのが、とても上手なのですね」  何気ない煜瑾の一言に、文維も軽い気持ちで答えた。 「アメリカ留学中に毎朝のように焼いていましたから…」  文維の一言に、煜瑾は急に手にしたナイフとフォークを静かにお皿に戻した。 「煜瑾?」 「……」  複雑な表情で俯いてしまった煜瑾は、気持ちを巧く文維に伝えられずに、唇を噛んでいる。 「どうしました、煜瑾?」 「…文維は…」  やっと顔を上げた煜瑾の黒目勝ちの深淵な瞳は潤んでいる。文維に訴えかけるように開いた唇は、少し震えてさえいた。 「文維は…、どれだけたくさんの人に、パンケーキを焼いて差し上げたのですか?」  心細げな煜瑾に、文維は慌ててカップを置き、向かいに座る煜瑾の手を掴んだ。 「煜瑾!そんなことを言わないで下さい。何もかも、君と再会するまでの、過去のことです。今も、これからも、私は煜瑾のため以外には、もうパンケーキは焼きませんよ」 「……それは…、分かっているのです」  無垢で清純な煜瑾は、文維の誠意を決して疑うことはしない。けれど、それでも煜瑾の繊細な心は痛むのだ。 「君を…、傷付けたのなら謝ります。でもね、煜瑾…、過去は変えられない。忘れることしか出来ないのです」 「文維…。こんなに美味しいパンケーキを、もう一度食べたいと思っている人がいるかもしれません」  憂いを帯びた悩ましい煜瑾の表情に、文維も胸が痛む。 「いるでしょうね、きっと」 「!」  驚いて目を見張った煜瑾が、(いとけな)い。 「それでも、私は、煜瑾のため以外には、決してパンケーキを焼きません」  キッパリと言い切る文維に、花の蕾がほころぶように煜瑾が笑顔になった。 「嬉しいです、文維」 「心配しないで下さい、煜瑾」  2人は朝食を途中で諦めて、互いを味わうのに夢中になった。

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