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第10話

 浦東(プートン)地区の高級ホテルでのパーティーに行くからと、文維(ぶんい)はタクシーを呼んだ。 「煜瑾(いくきん)は、1人で(とう)家に行くのですか?」  大切な煜瑾が心配で、文維は顔を覗き込むが、煜瑾はニコニコとしている。 「もうすぐ、お兄さまがお仕事の帰りにお迎えに来て下さいます。ご心配には及びませんよ、文維」  結局、文維は、煜瑾が選んだエルメスのグレイ系のスーツに淡い水色のドレスシャツ、それにネイビーにシルバーのラインの入ったネクタイと、文維らしいクールなブルー系で統一されたスタイルで出掛けることになった。 「ん~」  そんな文維を真剣な表情で観察しながら、煜瑾は考え込んでいた。 「煜瑾?」 「文維は、ブルー系がよく似合うし、クールでイメージにも合うのですが…」  せっかく着替えて支度を済ませたというのに、今さらダメ出しされるのかと文維は焦った。 「もっと冒険するのも必要かもしれません。暖色系を取り入れるのも、今後は考えましょう」  直近の仕事がアパレル店舗のデザインだったせいか、煜瑾のファッションチェックはますます厳格になっていて、文維も緊張する。 「でも…」  急に煜瑾は表情を緩め、文維に縋り、ギュッと抱き締めた。 「でも、どんどん文維がステキになると、たくさんの人を魅了するのではないかと心配です」  珍しくそんな風に甘える煜瑾が愛らしくて、文維はすっかり柔らかい表情になってしまう。 「私には煜瑾しか見えないのですが?」  濃艶に文維は囁いて、煜瑾の唇を塞いだ。 「では、安心して文維をお見送りしますね」 「じゃあ、行って来ます」  名残惜しそうに文維はパーティーへと出掛けて行った。  それを見送った煜瑾は、すぐに自分も支度を始めた。愛する人と離れたばかりだと言うのに、どこかウキウキとしている。  実は煜瑾は、唐家で恋人の肖像画を描いていることを文維には隠していた。文維にバレないよう、シャワーを浴びて絵の具の匂いを消すなど、工夫をしてきたつもりだ。  今夜は、パーティーに出掛ける素敵な文維を見たことで、創作意欲が湧き、今はアトリエにしている以前の自分の寝室に戻りたくて仕方が無かった。  その時、兄からチャットメールが届いた。煜瑾は急いでお気に入りの「お城」を飛び出した。その高級レジデンスの専用駐車場に、唐家のお抱え運転手の(おう)さんがハンドルを握る、唐家が新しく購入したばかりのロールスロイスが停まっていた。 「お兄さま、お待たせしました!」  煜瑾が駆けこむと、兄の唐煜瓔(とう・いくえい)はにこやかに出迎える。 「文維に置き去りにされた?」 「違いますよ。文維に楽しんで欲しくて、私が遠慮したのです。それに…」  はにかんで俯いた煜瑾が、言いあぐねて唇を軽く噛んだ。  幼い頃からの煜瑾の癖に、唐煜瓔の頬も緩む。 「早く絵が描きたくて…」  幸せそうな煜瑾に、弟を心から愛する唐煜瓔も満足そうに頷いた。

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