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第15話

 兄の唐煜瓔(とう・いくえい)と共に唐家の邸宅に戻った煜瑾(いくきん)を待っていたのは、嬉しいゲストだった。 「ベッキオ先生!」  煜瑾は、忙しいベッキオ先生に、週1回、油絵の個人指導をお願いしていた。それが昨日だったというのに、今夜もまた敬愛する師に会えたことが素直に嬉しかった。 「今夜は、ベッキオ先生を夕食にご招待したよ。久しぶりに、この家で煜瑾と一緒に食事が出来ると思ってね」  弟を溺愛する唐煜瓔の配慮に、煜瑾は少し恥ずかしそうに微笑みながらも兄への感謝を忘れなかった。 「嬉しいです、お兄さま。私も、熱心に指導して下さる先生に、何かお礼をしたかったのです」 「今宵は、お夕食にお招きありがとう」  ベッキオ師は、相好を崩し、煜瑾の手を取った。才能のある、素直な愛弟子が、実の子供のように愛しくてならないようだ。 「さあ、食事にしましょう。(ぼう)執事、ベッキオ先生をご案内しなさい」  主として威厳のある態度で唐煜瓔が命じると、茅執事も丁重な態度でベッキオ師を食堂へと案内した。  広々とした唐家のダイニングは、かつては多くのゲストをもてなした。  だが、煜瑾が独立した今では、主人である唐煜瓔も1人での食事は気に入らないのか、外食が増え、家での食事も書斎や寝室で簡単に済ませるようになってしまった。  そんな忘れられたようなダイニングルームだったが、今夜は別だ。 「わあ、美味しそうですね」  大きなダイニングテーブルに溢れるほどに運ばれた料理は、さながら満漢全席で、上海料理、広東料理などの中華料理以外にも、伊勢海老のグラタンや、フルーツのピザや、チーズの入ったハンバーグなど、子供の頃から煜瑾が好きだったものばかりが並んでいた。 「たまに煜瑾が帰ってくると、素晴らしいご馳走にありつけるということらしい」  唐家専属の(よう)シェフをからかうように唐煜瓔が言うと、使用人を取りまとめる茅執事が恭しく頭を下げた。結局、楊シェフが用意したメニューに最終チェックをし、許可を出すのが茅執事だからだ。  茅執事も、「共犯」でなければ、このようなメニューが並ぶはずが無かった。 「このジェノベーゼソースのパスタは絶品だ。上海中のどんな高級イタリアンレストランでも、これほどの美味はいただけない」  長年上海に暮らし、言葉も不自由のないベッキオ師ではあったが、やはり故郷であるイタリアの味には厳しいようだ。そのベッキオ師も唐家のパスタやサラダには満足そうだった。 「毎日これほど美味しいものがいただけるのなら、煜瑾のレッスンをもっと増やすべきですな」  ベッキオ師がそう言うと、唐煜瓔も楽しそうに笑った。 「だ、そうだよ、煜瑾。いっそ、ここへ帰って来ては?」  弟を手放したくない唐煜瓔は、今でもまだ煜瑾が実家であるこの屋敷に戻って来るのを期待している。 「時々だから、こんなに歓迎されるのです。これからも、帰るのは時々にしますね」  賢い煜瑾が、可愛らしく答えると、唐煜瓔だけでなく、ベッキオ師も、唐家の使用人たちも少し残念そうに笑った。

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