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第20話

 1人、煜瑾(いくきん)の部屋に向かったベッキオ師は、満ち足りて幸せそうに見える煜瑾の恋も、苦しいことがあるのかもしれない、と心から同情し、心配した。  煜瑾がアトリエに使っている寝室のドアを、ベッキオ師は、ノックするも返事が無い。 「煜瑾?」  鍵が掛からない部屋であることを知っているベッキオ師は、ソッとドアを開けた。 「煜瑾!」  ベッキオ師は、自分の目にしたものに驚いて息を呑んだ。 「……。あ!ベッキオ先生…」  それまで集中していた煜瑾が、人の気配に振り向いた。そこに恩師の姿を認め、薄っすらと頬を染めながら立って居た場所から一歩離れた。 「あの…、まだ途中なので、お恥ずかしいのですが…」  それは、あの描きかけの肖像画だった。しかし、昨日までのものとは何かが違っていた。  昨日までそこに描かれていた「包文維(ほう・ぶんい)」は、煜瑾のありったけの愛情を注いだというような、丁寧で美しく、細やかに描いたものだった。それだけでも、ベッキオ師には煜瑾の成長を感じられて好ましい作品だった。  だが、今、目の前にある「包文維」は違った。  煜瑾に愛されているのはもちろんのこと、「包文維」の眼差しや周囲の雰囲気などに何とも言えない慈愛が満ちている。 「ああ、煜瑾…。よくぞここまで、彼の、君への愛情の深さを表現できましたね」  そう言いながら、ベッキオ師は心から2人の愛情に感動し、目には涙さえ浮かんでいた。  才能があり、感性が豊かで、素直な表現力で、煜瑾の絵は幼い頃から卓越していた。それに加えて、この絵の中の青年との恋愛で、煜瑾は人としての深みを増し、表現力にさらに磨きがかかった。 「私は、浅はかでした…。自分が文維を好き過ぎて…。絵画表現としての客観性を見失っていました…」  煜瑾は、文維への想いに夢中になっていた自分を反省していた。けれど、ベッキオ師はゆっくりと首を横に振って否定する。 「確かに、自己満足の絵では他者の共感や感動は得られません。けれど煜瑾のそれは、若い情熱に突き上げられた美しい自己表現でした。煜瑾がどれほどにこの青年を愛しているのかが、こちらまで嬉しくなるほど伝わって来たのです」  笑顔でそこまで言ったベッキオ師だったが、煜瑾の絵の前まで移動すると顔つきが変わった。 「だが、この絵は違う…」

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