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第7話 ハイネの気持ち

 気絶するまでメスイキさせられた翌日、鏡の前で思わず「うわぁ」と声に出してしまった。それくらいくっきりと付いていた噛み痕は、その後十日ほどかかってようやく目立たなくなった。  さすがにこの傷を人に見られるのはどうだろうと思い、痕が薄くなるまでは首周りが隠れる服を着ざるを得なかった。それが白手袋の魔術士たちが好む格好に似ていたせいで、「やっぱり白手袋じゃないか」なんて噂が広がったのは失敗だった。  解毒魔法を使った翌日から夜の担当に戻った俺の前には、白手袋かどうか確認する人や白手袋だと思い込んでパーティに誘ってくる人、中には弟子にしてくれと言い出す人までやって来るようになった。  はじめのうちは毎回ちゃんと訂正していたのだが、依頼を受ける冒険者より白手袋の件でやって来る人たちのほうが圧倒的に多くなると、段々と訂正するのが面倒になった。何より仕事が滞るようになり、いろいろと辟易していたのだ。  そんな俺の姿を見て、さすがにこのままではよくないだろうと声を上げてくれたのはヒューゲルさんだった。 「ハイネは白手袋ではないし冒険者でもない。ギルドの世話になっている俺たちが受付の仕事の邪魔をしてどうする」  そのひと言でほとんどの冒険者たちはハッとしてくれたようで、二週間も経つ頃にはようやく落ち着きを取り戻すことができた。それでも別の街からやって来る冒険者には白手袋のことで声をかけられることもあるが、そのたびに微笑みながら「依頼の受付ですか?」と声をかければ静かになる。  こうして俺が面倒なことになっていた間、首に噛み付きとんでもない痕を残したニゲルはというと、古代遺跡に行ったきり顔を見せなかった。  豪華なホテルで気絶するように眠ってしまった翌日の昼過ぎ、目を覚ますと朝食兼昼食と一枚の書き置きがあった。紙には“古代遺跡に行ってきます。帰ってきたら食事とお酒をご馳走しますね”と書かれていた。  内容からして、ニゲルはギルドが出す依頼とは関係なく古代遺跡に向かったのだろう。冒険者の中には依頼を専門に受ける人たちもいるが、依頼以外にフリーで魔獣討伐や遺跡探索を行う冒険者たちもいる。だから珍しいことではないが、どうして急にと疑問には思った。  冒険者たちにとってギルドの依頼を受けるメリットは、達成すれば必ず報酬がもらえることだ。ほかにも、内容によっては必要な道具や武具を提供してもらえることがある。一方、フリーの討伐などにはそういったメリットがない代わりに、ランクに関係なく自由に行き先や目標を決めることができた。  どちらの場合も討伐の証である魔獣石や魔蟲石などは手に入るため、ランクアップは可能だ。石を売ればお金にもなる。なかにはパーティでフリーの討伐を数多く行う冒険者もいて、圧倒的な討伐数から早いランクアップを叶える人たちもいた。  ニゲルが何を目的に古代遺跡に行ったのかはわからない。シルバーランクの剣士が単独で行きたくなるような、高ランクの魔獣が出たという話も聞いていない。そもそもニゲルはランクアップを目指しているようには見えないから、別の目的があるのだろう。  広大な古代遺跡には、まだ知られていないエリアや魔獣の出現ポイントがあると考えられている。それを解明しに行くとしても冒険者が単独で行くことはなく、調査や発掘などに特化した探索士を連れて行くはずだ。探索士はギルドに所属していないから、個人的に雇うのなら俺には関知できないことになる。  だが、これまでのニゲルの言動を思い出す限り、そういった知的好奇心がメインの探索には興味があるとは思えない。 (……なんでニゲルのことばかり考えているんだ)  ニゲルが顔を見せなくなって二週間、白手袋の件で疲れているはずなのに、気がつけば仕事中もニゲルのことを考える時間が増えていた。酒場で古代遺跡の話が漏れ聞こえれば、そっと聞き耳を立てることさえあった。  こんなことは初めてだった。これまでいろんな冒険者たちとベッドを共にしてきたが、ここまで相手のことを気にかけたことはなく、こんなに考えたこともない。そういうことが嫌で後腐れのない関係を続けていたというのに、いまの俺は正反対の状態だ。  これでは、まるで俺が――。 「浮かない顔だな」 「……ヒューゲルさん」  受付台を覆った大きな影を見上げると、相変わらずいい体をしたヒューゲルさんが立っていた。 「その顔の原因は、あのシルバーランクの剣士か?」 「違いますよ」 「そういえば、もう二週間くらい顔を見てないな」 「古代遺跡に行っているみたいです」 「古代遺跡に? シルバーの剣士がか?」  ヒューゲルさんも首を傾げている。 「それほどの依頼は出ていなかったはずでは?」 「依頼じゃないようですよ」 「……ほう」  今度は何か考えるように顎に手を当てた。 「ハイネは、古代遺跡に行った顔馴染みを心配しているのか」 「心配……、ですかね」 「心配じゃないのか?」 「シルバーランクですし、行き先は古代遺跡ですから、心配することはないと思います」 「その割には浮かない顔だな」  そう言われても、ニゲルを心配していないのは本当だ。たとえSランクの魔獣に出くわしたとしても、あの男なら何なく討伐してしまうだろう。剣士だというのに返り血を浴びることなく、いつも澄ました顔で戻ってくるほどの腕前だ。  だから心配なんてしていないのに、ヒューゲルさんにはそう見えている、ということだろうか。 「ご無沙汰なら、わたしの隣で眠るか?」  硬くなった指で手の甲を撫でられ、そういえばもう二週間かと気がついた。  セックスをしたのは、ニゲルに気絶させられた二週間前が最後だ。これまでなら、もうとっくに別の誰かとベッドを共にしている。俺は自分で思っている以上に性欲があるらしく、仕事が忙しいとき以外は三、四日に一度は誰かと寝ていた。それが二週間もご無沙汰なんて自分でも驚いてしまう。  そういえば、ニゲルとそういう関係になってからは、ほかの人とはすっかりご無沙汰になっていた。それもニゲルが二日と開けずにベッドに連れ込むからだが、二週間も性欲に駆られなかったのはその反動だろうか。  もしくは歳のせいか……、いや、まだ二十八だし、枯れるには早い。  そんなことを考えながら、ヒューゲルさんの手を見た。  ベテラン剣士らしいゴツゴツとした大きな手だ。手のひらは剣ダコで硬く、その手で肌を撫でられるのは気持ちがいい。大きく逞しい体に包まれるのも心地いいし、丁寧な愛撫や情熱的なセックスは俺好みだ。  爽やかなシャンパンで喉を潤し、戯れるようなキスをしながら、次第に熱のこもったセックスになだれ込む……そんなヒューゲルさんとの一夜を気に入って、何度もベッドを共にした。たくさんいる相手の中でも、ヒューゲルさんとの回数が圧倒的に多いのは俺のお気に入りだったからだ。いつも“悪くない相手だ”なんて思っていたけれど、間違いなく“いい相手”だった。 (それなのに、そういう気にならないな……)  どうしてか、手の甲を撫でている指に体温が上がらない。以前なら腰が疼いていたはずなのに、その感覚を忘れたかのようにどこも疼くことがない。 「今夜はやめておこうか。そうだな、ハイネが忙しくないときに一緒に過ごそう」 「……すみません」 「謝らないで。それではわたしが振られたみたいだ」 「あー……、」  いまのは俺が悪い。振られたのは俺のほうで、ヒューゲルさんに申し訳ないと思ったのは俺の勝手だ。 (……俺が気分じゃないってわかったんだろうな)  だから自分から身を引いてくれたというのに、こういうときの大人のやり取りまですっかり忘れてしまっている。 「ははは、冗談だよ。ハイネがその気になったら、いつでも声をかけてくれ」 「ヒューゲルさんが暇だったら、そのときはぜひ」 「きみ以上の急用はないから、いつでも大歓迎だ」 「またまた、人気者のゴールド剣士が冗談でしょう」 「冗談ではないよ。わたしはずっと、ハイネの特別になりたいと思っているんだ」  手の甲を撫でていた指が止まった。見上げた黒目は真っ直ぐに俺を射抜き、いつもの人のよさそうな雰囲気は陰を潜めている。 「きみにそんな顔をさせてみたいと、ずっと思っていた。誰にもなびかないハイネだから、そういう日は来ないだろうと勝手に思ってもいた。しかし、見事にあの若造に持っていかれたな」 「ヒューゲルさん、」 「ニゲルのことが嫌になったら、わたしのところに来ればいい。喜んで胸を貸すよ」  そう言ったヒューゲルさんは俺の頬をひと撫でしてからにこりと笑い、酒場のほうへと去って行った。  それからの俺は、ヒューゲルさんに言われたことを思い出しては頭を振り、ニゲルのことを考えては打ち消すということをくり返した。仕事とは関係ないことばかりに気を取られ、今夜は処理しなければいけない書類が少なくてよかったと心底思うほどだった。  さらに一週間が経ち、ニゲルに抱き潰されて三週間余りが経った。いつもどおり受付の仕事を始めようとしていたとき、ニゲルがギルドに顔を出した。  久しぶりに見るニゲルは、以前とまったく変わらない様子だった。整った顔には傷一つなく、爽やかな笑みを浮かべれば年齢よりも若く見える。冒険者たちや酒場の女性たちにすぐさま取り囲まれた姿は、すっかりギルドの人気者といった感じだった。 (無事だったんだな)  ふとそう思ってしまった自分に驚いた。  以前ヒューゲルさんに話したとおり、俺はニゲルの心配などしていなかったはず。それなのに、笑っている顔を見てどうしてホッとしてしまったのだろうか。 (それに……)  すぐさま酒場に連れて行かれた背中を見ただけで、グッと体温が上がった。久しぶりに目にした逞しい背中だけで、腰が疼くのを感じてしまった。 (これじゃあ本当に……)  その先は、あえて考えないようにした。考えてしまえば、そのとおりだと納得してしまいそうだった。  余計なことを考えないようにひたすら業務をこなし、ようやく受付を閉じる午前0時を迎えた俺の前に、懐かしくもすっかり見慣れてしまった人影が近づいてきた。 「約束どおり、食事とお酒をご馳走しますね」  久しぶりに聞く声に、馴染み深い痺れが背筋を這い上がるのを感じた。

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