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第73話 遠くてもどかしい

 ――それじゃあ。  優しい優しいキスだった。  ――青葉。  静かで誰もいなくて、それはまるで僕らしかいない世界みたいで。  僕は、このままずっとグリーンとここにいられたらいいのにって、そんな切ないことを考えて。  でも、そんな切ないことを考えるのはまるでこれが最後のお別れだと思ってるみたいで。 「今日はラフ頑張って、描いて……ます……っと」  僕はそんなことを考えるのをやめた。 「よーし……」  だって、これはお別れじゃないんだからって、そう思って。 「さて、と」  でも、グリーンがアメリカに戻ってから二日、話はしてない。した、けど、してない。  時差があるから。僕がメッセージを送ると、来るのはそれから数時間後のことで。  だから僕らが交わした言葉はとても少なくて、もどかしいくらいに少なくて。  ――着いたよ。まだ半年も経っていないのに、なんだかすごく久しぶりな気がする。  ――おかえりなさい。飛行機たくさん乗った?  ――ずっと座りっぱなしはやっぱり疲れる。ちょっと今すぐ走り回りたいくらいだよ。  ――そんなに?  ここで僕らの会話は止まってる。  僕は一回だけ飛行機に乗ったことがあるけど、国内で修学旅行の時だから一時間とちょっとくらいで、海を、あんな大きな海を横断したことがないから、どんなものなのか想像もつかなくて。  どのくらい乗っていたの?  眠れた?  一人だから退屈だよね。  話したいこと、訊きたいことがたくさんあるけれど、でも、次に返事が来るのはきっと明日の朝だ。  距離が離れてると何もかもが遠くに感じられた。  だって、ここと時間すら違うんだ。  時差がある。  アメリカは日本よりずっと広いから、同じ国の中でも時間が違っていたりするくらいで。  時差、なんて。  そんなもの考えたことなかった。グリーンがアメリカにいた時たくさんいいねをくれていたのは十五時間分も時間がずれるような遠いところからだったなんて。 「……」  タブレットをしまおうとして、世界時計を見てみるとアメリカの今の時刻が書かれてる。  不思議だ。  そこに「昨日」って文字があるんだ。今、まだグリーンのいるアメリカは昨日の時刻なんだなぁって、頭がゴチャゴチャしてくるんだ。 「バイト、行ってきまーす」  そんなの、ちっとも知らなかったよ。  夕方だとグリーンのところでは深夜で、僕が寝てる頃がグリーンのところでは昼間で。  おじいちゃんはどうだったんだろう。  元気かな。  元気だといいなぁ。  お見舞い終わってグリーンの元気な姿を見せて、早く。  早く。  でもそれを今訊いたとしても返事はやっぱりきっと明日の朝。  遠くてもどかしい。  難しい講義の解説だってすぐ近くにいたら直接話しながら教えてもらえるのに、今は文字だけだから、そんなの到底できなくて。 「あ、冨永君、お疲れ様」 「あ、坂部さんも今からバイトですか?」 「そう、本当は後一時間遅くだったんだけど、前シフトの人が風邪で休んじゃってるらしくて、早めに入れないかって店長が」 「そうなんですね」  早く、日本に。 「じゃあ、今日は同じタイミングですね」 「そうだね。すごい滅多にないから、なんか変な感じ」 「ですね〜」  帰って来て欲しい。 「冨永君?」 「はい」 「大丈夫?」  グリーンに会いたい。 「なんかあった?」 「…………ぁ」  やっぱり坂部さんって超能力者じゃないのかな。どうして僕の考えてること、思ってること、今、感じてることがわかっちゃうんだろ。すごいよね。  それとも、僕が顔に出過ぎなのかな。 「目、赤いよ?」 「! だ、大丈夫です!」  あんまり眠れてないんだ。ちょっとした音で起きちゃうし、ずっとスマホを握ってるから、なんか、寝こけてぽろっとスマホを落っことした瞬間に飛び起きちゃうし。だからちゃんと眠れてなくて。  気にしすぎなのかもしれないけど。ただおじいちゃんのお見舞いってだけなのに、不安になりすぎなのかもしれないけど、でも。  ――バイバイ。  あの時のグリーンの表情を思い出すと、ソワソワする。何かできるわけでもないのにじっとしていられない。  このまま。 「富永君?」  グリーンは。 「戻ってこないかもしれないって……」 「え?」 「おーい、二人ともー! 時間来ちゃうよ!」 「! す、すみません!」  バイト、早くしないと遅刻扱いになっちゃうとこだった。僕の前のシフトの人が声をかけてくれて、ぴょんと背筋を伸ばしてから急いでタイムカードを押しに中へと向かった。  不安で仕方ない。  前よりもずっと届かなくなってしまったメッセージに。  交わすのが難しくなった言葉たちに。  おーい、って気軽に呼んでもどうにもならない海を越えちゃうくらいの距離に。  そんな遠くにいっちゃったグリーンはまるで別世界にでも行ってしまったようで、不安になりそうで。  でも、そんなことないでしょ。帰ってくるよ。だって日本の文化が大好きでそれに関わる仕事がしたいって言ってたじゃん。  僕の新刊楽しみにしてくれてたじゃん。  日本にいたいって言ってたじゃん。  だから大丈夫。  そう思う、願う気持ちと、不安とがくるくるくるくる目まぐるしく入れ替わり立ち替わり僕の目の前にやってきては、またいなくなって、またやってきて。 「……」  そして、そんな不安な要らないんだって確認したくて、今日何度目かスマホを眺めては、返事の来ていない画面にため息が自然と一つ、零れ落ちてしまった。

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