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第79話 英会話

 今の時間は……朝の五時、か。  こんな時間にアラームなしで自然に目を覚ましたのって初めてだ。きっと時差ぼけのせいなんだと思う。朝、苦手だから、いっつも起きるのに時間かかるのに。  時差ぼけってすごいなぁ。初めてなった。  って、言っても、海外に来たのだって初めてなんだけど。  またあの後、寝ちゃったんだ。サンドイッチいただいて、それから、ほとんどわからない英語をグリーンに通訳してもらいながら、自分のことを話してグリーンの部屋で。 「……」  一緒に寝た……んだけど。 「グリーン?」  いない。  隣にいたはずのグリーンがいなくて、探しに行こうと部屋を出た。階段はうちのよりもずっと狭くて高くて、ちょっと怖い。それから靴で歩くからかあっちこっち絨毯が敷かれてる。  昨日、みんながいたリビングへと入ると、赤ちゃんがゲージの中でおもちゃを握り締めながら、テレビを眺めてた。  テレビ画面には僕も知ってる海外のアニメが放送されていて。  アニメとかって、こっちでは子どもが見るもの、ってなってるんだっけ。特にグリーンのいたここは田舎でそういう古い考え方が多くてって。 「あー、ぶー」  赤ちゃんは僕を見つけて、小さな紅葉みたいな手をパッと広げると手招くみたいにバタつかせた。 「……おはよ」  日本語で言ってもわからないだろうけど、そう声をかけると、もっと手をバタつかせてる。ゲージのすぐそばにしゃがむと。僕の瞳をじっと見つめて、その小さな手で瞳に触ろうとゲージの隙間からいっぱいに手を伸ばしてくる。 「あぅ」  昨日も僕のこと不思議そうに見てたっけ。金色の髪に青い瞳、そんな中に黒い頭に黒い瞳を見つけて、昨日も不思議そうにしてた。 『あら、起きたのね』 「!」  突然背後から声をかけられて、パッと立ち上がるとグリーンのお母さんがキッチンに立っていた。 「あ、えっと……グッモーニング」  昨日はグリーンに通訳してもらえたから良かったけど、今はいなくて、けど、朝の挨拶くらいはできるから。人生初、リアルな英会話体験だ。学校とかで外国から来た先生と英語で話したことはあるけど、教科書片手にだったから。  全然違う。 「グリーン、アウトサイド、ネ」  グリーンは今、外に、行ってるってことかな。  グリーンと同じ瞳をしているお母さんはにっこりと笑うと、優しく、とてもゆっくりと簡単な英語で話してくれた。 「フィールド、ゴー」  昨日、たくさん訊かれたっけ。グリーンは大学でどうですか? とか、日本でどんな様子ですか? って、それをグリーン本人が通訳するから、少し照れてる感じがした。たくさん心配されてるんだって、わかって、少し赤くなりながら、お母さんの質問を日本語で教えてくれて。そして僕が元気にやっていますと言った言葉を、その本人がお母さんに伝えて。少しおかしくて、とてもくすぐったそうだった。  グリーンの優しいところはお母さんに似てる気がした。 「ハングリー?」 「あ、はい。い、イエス」 「オーケー」  赤ちゃんはそばにいる僕の髪に触ろうとずっと手を伸ばしてた。  すると、お母さんが赤ちゃんを抱き上げて、背中をトントンと叩きながら、身体をゆらゆら揺らして、そのままキッチンへと向かう。  作ってくれたのはトースト、それから冷蔵庫から野菜を出してくれて。ちょっと赤ちゃん片手じゃ大変そうだったから、声をかけて抱っこしますってジェスチャーで伝えた。お母さんはにっこりと笑って、赤ちゃんを僕のそばへと連れて行き。険しい顔をしたと思ったら、自身の目を指差して、ぐりぐりと指でそのこめかみのところを突いた。  ビーケアフォーって言ってる。  多分、眼を気をつけてって。ブラックって言ったから、僕の瞳が黒くて、赤ちゃんがいたずらしようとするかもしれないからって。  そしてその間にあつあつにベーコンを焼いてくれた。 『二人で一緒に食べるといいわ』  一緒、って今英語で言った、かな。グリーンとって。  お母さんは目が合うと笑ってくれた。そして、焼き立てのベーコンをさっき焼いたトーストの上に乗せて、野菜も乗せて、もう一枚のトーストで挟んでくれる。  サンドイッチにしてくれてるんだ。 『昨日は時差ぼけで眠いのにたくさんグリーンの様子を教えてくれてありがとうね』  僕には所々しかわからないんだ。でも、グリーンのことで感謝されてるのはわかって。 『あの子、こっちに戻って来るなんて言い出したから驚いたわ。夏休み中だったでしょうに。気にしないでいいって言ったの。ただ知らせないわけにもいかないから知らせたんだけど。主人は地域の銀行員をしていて、グリーンの姉、この子のママね。彼女は看護師をしているの、さっき職場に向かったところなのよ。倒れた時の処置をしてくれたのも娘。グリーンの義理の兄、この子のパパね。彼は、今、海外なのよ。だから、グリーンが麦畑のことを気にかけちゃって』 「……」 『きっと申し訳ない気がするんでしょうね。自分が家族のために何もできてないと思ってるんだと思うわ。好きなことをしてるって。それに、あの子、うちの麦畑がすごく好きなの。それも心配だったんでしょうね。休学して種まきするなんて言い出すんだもの。いいのよ。大丈夫。人を雇うなりすればいいし、親戚に手伝ってもらうことだってできるわ。あの子がやりたいことを我慢なんてしなくていいのにね』  僕にはお母さんが話してることはわからなかった。お母さんは僕に伝えたいとかじゃないのかもしれない。僕が英語を話せないってわかっているはずだから。  でも、ところどころ、わかった単語もあったから。 「あの……」 「?」 「グリーン、は、えっと、日本で勉強、続けてもいい、ですか? ジャパン、スタディ、コンティニュー、OK?」  そう尋ねたんだ。  お母さんは、その質問をする僕の黒い瞳をじっと見つめて、そして、ふわりと微笑んで。 「イエス、オフコース」  そう、僕が学校で外国から来た先生がよく言っていた英語で返事をしてくれた。

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