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第29話
しかし物事は上手くいかないもので、文化祭一週間前という理由で土日も合奏をやると顧問が言い出した。休むには顧問への申し出が必要で、冬哉と二人で行くのははばかられるので、春輝一人で行く事になった。
「絶対、ぜーったい、無事に帰って来てね」
冬哉が泣きそうになりながらも駅まで送ってくれたので、春輝は苦笑して手を振った。今のところ、周りで怪しい動きは無いので、ホッとする。
(結局、顧問にも貴之にも、嘘をついて出てきちゃったな……)
親戚が危篤だと言って顧問に申し出たら、病院はどこだと突っ込まれたけれど、咄嗟に春輝の実家近くの総合病院だと言って難を逃れた。春輝の実家は新幹線で五時間近くかかるため、一日で戻って来れるかとも聞かれたけれど、親戚の状態で判断しますと返しておいた。
貴之にも同じように説明し、しんどかったらゆっくりしてから帰って来いと言われ、少しの間キスをして寮を出て来たのだ。
春輝は電車を乗り継ぎ目的の場所へ向かう。商業ビルが立ち並ぶ大通りを一本中に入り、ひたすら歩いた。
朝出てくる時は、シャツにカーディガンでも寒かったのに、歩いているせいもあり、日が照っていて暑い。
そして、とあるビルの前で立ち止まった。その入り口には大学名と、合同個展と書かれた看板が立っている。
(二階だな……)
春輝は一つ深呼吸をして、歩みを進めた。
二階に着くと、出入口に受付があった。受付担当の学生らしい女性からパンフを受け取ると、中へ入っていく。
(線の細い人……いないな)
学生の合同個展とあって、人通りはまばらだ。とりあえず見て回りながら探そう、そう思って展示されている絵や陶器、オブジェなどを眺めながら歩いた。
(……あ)
すると春輝は奥の方で、ひときわ惹かれる絵を見つける。遠くからでも分かるその絵は水彩画で、水槽に入った赤く、尾の長い金魚だ。水の中の屈折した光の中をゆったりと泳ぐその姿は、まるで作者の性格を表しているようで、一瞬で氷上の作品だと春輝は思った。
そしてその近くに、宮下から聞いた通りの線の細い男性と、ガタイが良くて背の高い男性が立っている。彼らは談笑しており、見た目からして背の高い方も学生っぽいと春輝は感じた。
春輝は拳を握りしめた。一気に緊張してきたけれど、この為に来たんだ、と早足で距離を詰める。
「あのっ、……あなたが、氷上先輩ですか?」
近くまで来て声を掛けると、二人とも春輝を見た。すると背の高い方が庇うように前に出て、誰だお前、と睨んでくる。
春輝はその視線に怯みそうになりながらも、緊張で震える声で続けた。
「突然、すみません……オレは一之瀬と言います。氷上先輩がいらした高校の一年で……」
「帰れ。高校の後輩なら尚更用は無い」
男は春輝の言葉を最後まで聞く前に、春輝を追い出そうとする。それで、この人は氷上の過去を知っている人なんだと分かった。
「でも……」
話ができなければ、ここに来た意味が無い。春輝が食い下がろうとすると、いいよ、大地 、と高めの声がする。
その一言でその場を退いた男は、あっちにいるから、と出入口の方へ歩いていった。
「……僕が氷上だよ。一之瀬くんは、どうしてここに来たのかなー?」
小首を傾げてゆったり話す姿は、なるほど、可愛いという形容詞が合っている、と春輝は思った。春輝より白い肌、細い身体にダボダボのシャツにジーパンを着ていて、大きな目は笑っていて細められている。かなり明るい茶髪は細く、後頭部で一つにまとめられているけれど、お世辞にも整えているとは思えないくらいボサボサだ。
「あの、本当に突然すみません。貴之の事で、話をしたくて」
「……そう」
柔らかく微笑んだ氷上は、やっぱりゆったりとした動きで周りを見渡した。そして女性を見つけると名前を呼んで、この子と外、出てきていーい? と聞いている。
その女性からオーケーをもらった氷上は、こっちだよー、と春輝と展示場を出ようとした。すると大地と呼ばれていた男が、俺も行く、と付いてこようとする。
「いいよぉ。僕だって喫茶店でお茶くらい頼めるよー」
口を尖らせる氷上に、大地はそうじゃない、と語気を強めた。
「もう高校とは関わらない方が良いだろ。そんな奴放っておけ」
春輝はその言葉に、グッと息を詰めた。確かに、氷上にとって良い思い出のない高校だ。けれど、今一番情報を持っていそうなのは氷上なのだ。
「もー、大地は……せっかく可愛い後輩が来てくれたんだから、おもてなしくらいさせてよー」
そう言いながら、氷上は受付付近にあったらしいリュックサックを取って背負う。身体に似合わず大きなリュックを使うんだな、と春輝は思って、そこにチラリと見えたオストメイトマークのストラップにドキリとしてしまった。
「おい、リュック背負ってどこまで行く気だ」
大地が眉を顰めていると、氷上は、大地に話が聞こえないとこー、とニコニコ笑って展示場を出る。春輝はその後をついて行った。
(背は……冬哉より高いけど、冬哉より細い印象だな)
そう思っていると、ふと、前を歩く氷上が振り返る。
「ねぇ一之瀬くん、この辺喫茶店ってあるー?」
「えっ……」
知らずに歩いていたのか、と春輝はスマホを出す。調べたら割と近くにファミレスがあったので、そこを案内した。
二人でそこに入ると、案内された席に着く。メニューを見た氷上は、最近の喫茶店はご飯もたくさんあるんだねぇ、と言っていた。ファミレスなのでご飯もありますよ、と春輝は言うと、どう違うの? と首を傾げている。どうやら氷上は本当に生活力というか、一般常識が無いようだ。
まあいいや、と何故か氷上が言い注文すると、春輝は何から切り出そうか、と迷う。すると氷上はニコニコしながら聞いてきた。
「一之瀬くんはー、貴之の恋人?」
「えっ? …………はい……」
どうして初対面なのに分かるんだ、と驚き、春輝は顔を赤くしながら答える。そして内心、貴之の事を名前で呼ぶんだ、と嫉妬した。
しかし、そっかぁ、とニコニコしている氷上。他意は無いのか、と春輝は話し始める。
「今、貴之とオレ、学校で嫌がらせされてるんです。でも最近、それが貴之が寮長になってから続いていた事だと知って……」
有沢ができた人だったから、貴之が気に食わない、といつまでも言ってくるのでおかしいと思い、真実を知っていそうな氷上先輩を訪ねました、と春輝は説明した。
すると、氷上はスマホを出す。春輝は心の中で、スマホ買ったんだ、と驚いた。
「……ええと……電話ってどうやってかけるんだっけ?」
困った顔をする氷上に、買ったはいいものの使えないのかよ、と内心突っ込むと、春輝は誰にかけるんですか? とスマホを代わりに操作してあげる。
「大地。やっぱりいてもらった方が安心だよねー」
春輝がスマホを見ると、そこには大地と表示された番号しか入っておらず、迷わずそれに電話をかけた。
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