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第42話
「夏樹」
「おっ、何だ? キスすっか?」
「はぁ……」
違ったようだ。すっげぇあきれたような溜息を吐かれた。
名前を呼んでまでおれの注意を引き付けるんだから、何か用事があるのは間違いないとは思うんだけど……。
小焼は繋いだままの手を引っ張って、おれを風呂から引っ張り出した。ごうっと吹いた風が冷たくて、ショック死しそうだ。無敵モードが解除されたような気分。もっとこう、寒さがやんわりくるとか思ってたんだけど、こりゃあ冬の風呂場での死亡事故が多いのも頷ける。
じゃなくてだな!
「おれをショック死させようとしてんのか!? そういうプレイか!?」
「違いますよ。それなら私も出ないでしょうが。お前がのぼせてそうだから出しただけです」
「あー……、そいつはありがとな……。言ってからにしてほしかったけど」
「次からは善処します」
「善処するって断ってるんだぞ。おまえは知らないかもしれないけどよ」
帰国子女の小焼にとっちゃ、日本語の表現は難しいかもしれない。と言いたいところだが、小学生の時から日本にいたらわかってる気がする。こいつ、おれと違って文系の学科にいるし……、どうみても体育会系なのに、なんでか文系の講義受けてたはずだ。
と、おれが考えている間に小焼はおれを放置して頭を洗っている。
「シャンプーしてやろうか?」
「嫌です」
「なんだよそりゃ」
「夏樹に触られると変になる」
「う、うん? そ、そっかぁ……」
断られたのでやめておこう。おれの力じゃ小焼に絶対敵わない。無理矢理頭を洗うってどういうシチュエーションなんだよってなるだろうし、洗われるのを嫌がる猫の世話でもしてんのかって感じになっちまう。ネコなのは間違いないな、うん。
仕方ないので隣に座って、ハンドルを捻る。勢いよく出てきたお湯がすっげぇ熱くてすぐに戻した。
「あっつ! あっつ!」
「何してんですか」
「いや、あっついだろ! おまえ熱くないのかよ!?」
「……湯加減調整したらどうですか?」
「あ」
「それとも熱湯を浴びるプレイですか? それなら冷水と熱湯を繰り返してやるの手伝いますが」
「それはもう虐待だ。やめてくれ」
「冗談ですよ」
目が冗談じゃないんだよ。本気でやる顔してんだよ。とは口が裂けても言えない。言ったら本当に熱湯プレイをされそうだ。
小焼が教えてくれたので、湯加減を調整するよくわからないパーツをくるくる回す。よし、これで大丈夫なはずだ。
「つめたっ!」
「極端にふりすぎですよ。バカなんですか? いや、バカだったか。バカ」
「バカって言ったほうがバカなんだよ! バーカバーカ!」
「お湯出しながら調整すれば良いでしょうが」
「それはそう」
「本当にバカなんですか?」
「お、おう。憐れんだ目をありがとな。ご褒美だ」
「きもちわるい」
「あんまり罵るなよ。興奮しちまうぞ」
「……」
蔑んだ目で睨まれてゾクゾクする。さすが小焼だ。容赦なくズケズケ言ってくる。
歯に衣着せぬ言い方だから冷たいやつって思われるけど、小焼なりの優しさだっておれはわかってる。変な社交辞令を使われるよりもズケズケ言ってくれるほうが助かる。
まあ、小焼の場合はもう少し愛想良くふるまって欲しい時もあるんだけど、愛想の良い小焼なんて、みんな好きになっちまうだろうから、駄目だ。おれが独り占めできなくなっちまう!
「頭、洗ってやりましょうか?」
「おっ! 良いのか? 頼むよ!」
「犬のトリマー動画を見たんでやってみたかったんです」
「おれは犬じゃねぇよ」
「夏樹は犬ですよ」
「違う違う。おれは犬じゃねぇって、人間だって。ホモサピエンスだ。ヒトだ」
「You are a dog」
「英語の例文みたいなこと言うな。そんな例文が教科書に載ってたら嫌だな」
犬の挿絵のところなら良いけど、口枷つけた全裸のおっさんの絵だったら嫌だな……。
小焼は特になにも言わずにおれを頭をガッと掴んでガシガシ洗い始めた。こいつ、本当に犬の洗い方してねぇか? おれが豆柴犬洗ってる時と同じような洗い方してんぞ。でもけっこう気持ち良い。
「かゆいところはありませんね」
「断定してんのな。ねぇけどさ」
そこは疑問形で尋ねるところだろ、とは思うが、いつものことだから良い。小焼は基本的に話を聞いていないようなもんだし。
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