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第43話
夏樹は本当に手がかかる。だからこそ放っておけないのだが、放っておくべき時もあるのではないかと、自問する瞬間が多すぎる。放っておくとそれはそれで彼にとって「放置プレイ」というご褒美にもなってしまうので、どうしてやるのが正解なのかよくわからない。まあ、一緒にいて居心地が良いのだけは確かなので、かまってやる必要はある。
ふわふわのくせっ毛を洗い終わり、シャワーで流してやる。本当に犬を洗ってるような感覚になる。夏樹は犬ではないはずなのだが、犬っぽい。尻尾があるわけでも犬のような耳があるわけでもないのに、何か幻覚が見えているようだ。
「ほら、終わりですよ」
「サンキューな! よし! おれもおまえを洗ってやるぜ!」
「断ります」
「えー、やっぱり駄目かぁ」
彼は何故しょぼくれているのか理解できない。先程も断られていることをもう忘れているのだろうか。
夏樹に触られると確実に変なことになるので断っているのだが、彼にはどうも上手く伝わっていないようだ。これはこれで「おあずけ」という意味でご褒美になっているのかもしれないが、そこはどうなのだか……。
触られるのはどうかと思ったので、頭を洗うくらいはしてやった。
私は自分で自分の体を洗う。その間、夏樹も自分で体を洗っていた。
「なぁ小焼。幸せだなぁ」
「急に何言いだすんですか? 死ぬんですか?」
「おいおい、急におれを殺さないでくれよ。いや、まあ、ちょっと寒さでショック死しそうにはなったけどよ」
「私が倒れてもお前は医者なので手当てができますが、お前が倒れたら私は何もできませんよ」
「そりゃそうだ。倒れねぇから安心してくれ」
「そうですか。それなら良いですが……心配になるような行動は控えてください」
夏樹がほっとしたようにへにゃっと笑った。その表情を見て、私は何も言わずに視線を逸らした。
彼が楽しそうに笑っているのを見るのは嫌いじゃない。それどころか、嬉しいとすら思う。けれど、それを彼に伝えたところで調子に乗るだけなのはわかっている。
「でさ、小焼。おれ達ってさ、変かな?」
「……どういう意味ですか?」
「いやさ、他の客とか見てると、みんな普通の夫婦とか、男女の恋人って感じだろ? あと、女子会とかか? なんかさ、おれらはどう見えんのかなって……」
夏樹が少し気まずそうに目を泳がせながら言う。
また彼なりに謎の不安に向き合っているようだ。時折、こうやって他人と自分を比べることがある。誰が何と言おうが、他人は他人なので自分とは関係ないと思うのだが……、夏樹は気にするようだ。
それに、女子会があるのだから、男子会にも見えるかもしれない。女子会かと思えば、あっちはあっちでカップルの可能性がある。とは思うのだが、夏樹には女子が2人並んでいてもカップルに見えないのだろうか。
「一つ聞きたいんですが、夏樹って女子が2人並んでいてもカップルだと思わないんですか?」
「んー、そりゃあ、だいたい友達同士って感じだろ?」
「それなら、私達も、他人からは友達同士に見えると思いますよ」
「そっかぁ……。でもさ、ここ、予約する時にカップルだって言われてねぇか?」
「気にする必要はないです。他人がどう思おうと私は興味無い」
「そっか。小焼がそう言うなら、そうだな!」
あっさり納得して、再び笑顔を見せる夏樹。
これはこれで少し心配になるところもある。夏樹は私の言うことは大概聞くからな……。命令じゃなくても、勝手に行動することがある。ただ、間違っていることに関してはきっちり反論してくれるので、それが救いだ。
「そんじゃ、風呂上がったら次どうする?」
「……牛乳でも飲みますか? 夏樹の身長が伸びるかもしれない」
「そうだな! おれの身長が20センチぐらい伸びるかもしれねぇ!」
「それはおそらく無理だと思いますし、20センチ伸びたところで、私より少し高いだけですよ」
「良いじゃねぇか! 小焼より身長が高いってことは、おれの男前度が上がるってことだろ?」
「はぁ?」
何を言ってるんだこいつは……。まあ、いつものことだから良いか。
私は少しだけ冷めた目で夏樹を見る。身長が伸びたところで、彼の男前度が上がるわけではないと思うが、彼の気持ちを否定する気にはならない。
「おっ! 蔑んだ目はご褒美になるぞ! でもさ、おれ、身長が伸びたらもっと男前になると思うんだよな」
「そんなことはありません」
「そっかなぁ、モテモテになっちまうかもしれねぇぞ?」
「そもそも、もうお前の背は伸びませんよ」
「断定すんなよ! まだもうちょっと伸びるかもしれねぇだろ!」
「無理です」
いい加減に成長が止まっていることを認めてほしいものだ。
夏樹は相変わらずの笑顔を私に向けている。本当に豆柴犬っぽいな。眉をぐりぐり押してやりたくなる。
「じゃあ、風呂上がったら牛乳で乾杯だな! おれも楽しみ!」
「……無駄に盛り上がってますけど、別に乾杯するほどのことでもないですよ」
「おお、そうだな。まあ、そんなこともあるさ!」
どうでもいいことで盛り上がる夏樹に、あきれると同時に、なんだか癒されるような気もしてきた。
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