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第44話
温泉から上がり、体をよく拭いて浴衣を着る。小焼はご丁寧にドライヤーで髪を乾かしていた。おれはタオルドライで充分だと思ったんだけど、小焼に捕まって、無理矢理髪を乾かされる。
「自分でできるから良いってぇ」
「犬のトリミング動画を見たのでやってみたかったんですよ」
「おれは犬じゃねぇし!」
「お前は犬だ」
「お、おう、そういうプレイをご希望なのか?」
鋭い目つきで言われちゃ、従うしかなくなる。
小焼は満足そうに頷いた。本気でそう思ってんのか冗談なのか本当に判断に困るが、たぶんこれは冗談だと思う。家ならまだしも今は温泉旅館だ。温泉旅館でそういうプレイをしたがるとおれ以上の変態になっちまう。
……いや、小焼もけっこう変態だと思うけど。
「冗談ですよ」
「だよな。わかってた」
その一言でどれだけおれが安心すると思ってんだか。
おれの髪も乾かし終わったので、脱衣所を出た。牛乳を飲もうって話してたけど、何処に売ってんだろ。銭湯なら番台横でよく売ってるけど、温泉旅館だしなぁ……。
「小焼。牛乳どこで売ってるか知ってるか?」
「フロント横に自動販売機がありました」
「おお! さっすが小焼、頼りになるな!」
「お前の注意力が散漫なだけでしょう」
「いいや、おれはおまえしか見てなかっただけだ」
「……バカですか?」
「おう。おまえのことが大好きなバカだぞ」
「はぁ」
いつもの溜息をくらった。あきれているけど、ちょっと優しさも感じられるパターンのやつだ。
とりあえず、フロントに向かって、独特のひんやりした廊下をゆっくり歩いていく。他にも客がいるから擦れ違いざまに挨拶しておく。挨拶しなくても良い気はするけど、なんとなく挨拶したくなった。
フロント横にたどり着くと、冷蔵庫の中には牛乳瓶が並んでいた。フルーツ牛乳もコーヒー牛乳もいちご牛乳もある。品ぞろえがけっこう良い。さすが人気の温泉旅館だなぁ……。
とりあえず、小焼も飲むはずだから、二本買おう。
小銭を入れて、冷蔵庫から牛乳瓶を二本取り出す。ひんやりしていて火照った体には最高だ。
「よーし! かんぱーい!」
「あまり大声出さないでください」
小焼はやや眉間に皺を寄せつつも牛乳瓶を軽く持ち上げて、控えめに乾杯してくれた。
冷たい牛乳の喉ごしと温泉後の心地よさが相まって、思わず、ほうっと、ため息が漏れた。隣を見ると、小焼も満足げに瓶を傾けている。
「やっぱ風呂上がりはこれだな! 最高!」
「気が済んだなら、そろそろ部屋に戻りましょう。夜食の時間になる前に一息つけますよ」
「おっ、夜食? なんか出るのか?」
「この旅館は夜食に軽いお茶菓子が用意されるって説明されてましたよね。聞いてませんでしたか?」
「あー……そんな話もあった気がするな。さっすが小焼、ちゃんと覚えてる!」
食べ物のことだから覚えてたのか。いつもは何でも無関心で右から左に聞き流しているような態度だってのに。
廊下がひんやりしてるから、おれは小焼にぴったりと寄り添うように歩いていた。小焼の周りは不思議とあったかい。やっぱり筋肉のお陰であったかいのかもしれない。熱量が違う。
「小焼、今日もありがとな」
「急に何ですか?」
「おまえと一緒に温泉入れて、牛乳飲めて、なんか楽しい時間を過ごせてるよ」
「……別に、特別なことはしてませんよ。ただ、お前が勝手に楽しんでるだけです」
「それが良いんだよ。それが最高なんだ」
いつもは無表情の小焼は少し目を伏せた。おれじゃなかったら見逃してしまうような仕草の変化に、心が躍っちまう。小焼のこういう可愛い面を見れるのはおれだけなんだなぁ。
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