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第45話

 部屋へ戻る。体が温まっているせいか、いつもより少し眠気が早くやってきそうだ。  いつの間にか布団がぴったりくっつけて敷かれていた。どうしてこんなにくっつける必要があるのだろうか……。男女ならまだしも男同士でここまでのサービスをするのは妙だ。新婚旅行の扱いでも受けているのだろうか。いや、そもそも、結婚式の真似事の撮影をしただけであり、本当に結婚式を挙げたわけではない。そして、私と夏樹は結婚できない。現状では。  そんなことを考えている間に、夏樹は何の遠慮もなく布団の上にごろんと転がった。湯上がりの火照った顔で、満足げに天井を見上げている。こういうところが、本当に犬みたいだと思う。 「小焼も寝転がったらどうだ?」 「私は良いです。どうせ後で寝ますし」 「いやいや、旅館の布団ってめっちゃ気持ち良いからさ。今試してみろって」 「……仕方ないですね」  私はゆっくりと布団に横になった。寝るつもりはないが、少しくらいなら休んでもいいだろう。旅館の天井は思ったよりも高く、木の香りが心地良い。 「なあ、小焼」 「何ですか?」 「こうやって並んでるとさ、なんか……落ち着くな」 「そうですね」  それは私も同じだった。夏樹と一緒にいると、無駄に気を張る必要がなくなる。常に喋っている彼の声を聞いているだけで、不思議と安心することがある。話を聞き流していても彼は気にせずにいるから、楽だ。他の人だとこうはいかない。 「ずっとこうしていたいって思うのは、ダメか?」 「別に、悪いことではないでしょう」  夏樹は私の言葉に少し驚いたようにこちらを見た。おそらく、もっと適当に流されると思っていたのだろう。 「へへ……小焼がそんなこと言うと、なんか特別感あるな」 「何が特別なんですか?」 「おまえ、あんまり感情見せねぇだろ。けど、今はちょっとだけ、心の内が透けて見えた気がする」  そんなことを気にしているのか、と私は目を伏せた。感情を見せないわけではないのだが……、無駄なことに心を乱されたくないし、必要のないやりとりを省くにはちょうど良いとは思っている。そもそも、私に近付いてくる人間が少ないので、何も考えていないということもあるのだが。  夏樹は満足げに笑い、布団の上で無駄にゴロゴロと転がっている。子犬のような動きに、私は微かに笑いそうになった。  彼がこうして無邪気に笑っているのを見ると、不思議と安心する。自分が何か特別なことをしているわけではないのに、彼が楽しそうにしているのが、なぜか少し嬉しい。  ふと、夏樹がこちらを見上げる。 「なぁ、小焼」 「今度は何ですか?」 「あのさ、キスしたい」 「急に何言うんですか」 「だってさぁ、せっかく二人っきりになったんだし? 夜食が来るまでまだ時間あるだろ?」 「キスだけで止められますか?」 「えー、あー、なんか、そう言われたら、ちょっと、自信無くなってきた。けど、おまえが『待て』って言うなら、おれは待てるぞ!」 「本当に犬みたいだな、お前は」 「犬じゃねぇから!」  夏樹は頬を膨らませ、拗ねたように言うが、私から見れば、それこそ犬が構ってほしくてじゃれているようにしか見えなかった。今もないはずのくるんと巻いた尻尾を振っているように幻視する。ぺたりと垂れた耳が可愛い豆芝犬のようだ。 「……まあ、いいですよ」  そう言うと、夏樹の目がぱっと輝いた。 「おっ! やった!」 「そんなに喜ぶことですか? ただし、キスだけで」 「お、おう! わかった!」  ここまで素直に喜ばれると、こちらが少し気恥ずかしくなってくる。  私は少しだけ身を起こして、彼の方へ顔を近づけた。夏樹は、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにゆっくりと私の動きに合わせるように顔を寄せてきた。触れるか触れないかの距離で、一瞬だけ間が生まれる。  そして、ほんの軽く、唇を押し当てる。唇を離すと、夏樹はぼうっとした表情で私を見ていた。 「……おまえ、意外とこういうの積極的だよな」 「何を言ってるんですか、今更」 「もっと深いのしたいって言ったら?」 「『待て』」 「待てか。そっかぁ……。じゃあ、待ったらしても良いってことだよな?」 「いつまで待たされるかわかりませんけどね」 「そんなこと言うなよぉ……」  すぐに感情が顔に出るので、わかりやすい。見るからに夏樹はしょげている。  あまりかまうと調子に乗らせてしまうのだが、まだ時間はあるだろうか。 「仕方ないですね。深いのですよね?」 「おう! って、え、んっんんんっ!」  私は夏樹の顎を掴み、唇を重ねる。驚いて開いた口に舌を挿し入れると、夏樹の肩がびくりと跳ねた。  素直に反応するのが可笑しくて、舌先で彼の口内を探るようにゆっくりと動かす。私が舌を絡めると、夏樹は甘く息を漏らした。 「んっ……、こ、小焼……」  呼ばれたが、すぐには離さない。せっかく「深いの」を望んだのなら、それなりに応えてやるべきだろう。  舌を絡め、軽く吸い上げると、夏樹の喉が震えた。夏樹も調子に乗って来たようで、応えるように舌を絡めてくる。舌が絡み合い、呼吸が徐々に浅くなっていくのがわかる。  夏樹の手が私の首の後ろに回る。もっと深くしたいということなのだと思う。更に腰を擦りつけてきているので、これはつまり、やりたいということなのだろう。 「小焼。したい……」 「キスだけって言ってましたよね?」 「そ、そうだけど、そうだけどさぁ……。おれのエクスカリバーがもう、こんなことにぃ」 「お前はアーサー王のことを好きな人々に怒られたほうが良いですよ」 「ま、まあ、それはそうかもしれねぇけどさ」 「はぁ。じゃあ、見ててやりますから、ひとりでしてください」 「まじか……」 「『待て』」 「わかったよ。待ってるから……」 「キスならしてあげますけど?」 「じゃあ、キスしよう! いっぱい!」  彼の目は、これまでのふざけた表情とは違い、真剣な光を宿している。  夏樹の熱意に応えるように、そっと唇を重ねた。最初のキスは、軽く、あどけない感触だった。けれど、すぐに夏樹の唇は熱を増し、激しさを帯びる。彼の舌が、ためらいもなく私の口内に忍び込み、互いの感触を確かめ合う。息が浅くなり、熱が帯びていくのを感じる。  彼の手が私の浴衣の襟元にそっと触れる。  私はそっと夏樹の手を抑え、キスを切り上げた。 「『待て』と言ったでしょう。珍しいですね。夏樹がきちんと待てないなんて」 「っ、だ、だって……」  それだけ興奮しているということだろうが……。  夏樹は大きな瞳を熱で潤ませている。興奮しているのは見てわかる。必死に隠している股間部分も膨張しているのはわかりきっていた。  私が冷ややかな視線を送っているだけでも、彼にとっては刺激になるらしく、一瞬呼吸を詰まらせたと思えば、ぎゅうっと浴衣の裾を握っていた。 「もしかして、出ました?」 「……そんな目で見るからだろぉ!」 「ド変態ですね」 「うぅう……」  夏樹はうなだれて枕に顔を押し付けると、悔しそうにうめき声をあげた。まるで拗ねた子犬のようだが、その身体は明らかに人間の証拠を主張している。  まあ、今夜は元々そういうつもりではあったので、抱かせることもできるのだが……、夜食がもうすぐ来るので、旅館の人に気まずい思いをさせたくはない。

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