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第47話

 腹いっぱいになると、眠い。もう満足した。私があくびしている横で夏樹はまだそわそわと落ち着かない様子だ。律儀に『待て』をしているのだから、『よし』と言えば飛びついてきそうだが、とてつもなく眠い。歯磨きでもして寝るか。  私がすっ、と立ち上がれば、夏樹もついてきた。 「何ですか?」 「え、いや、急に立つからさ。何処行くんだ? 腹ごなしに散歩か?」 「いえ、歯磨きをしに洗面台へ行くんですが」 「おー、そっかそっか。じゃあ、おれ行かなくて良いか」 「お前も歯磨きしろ。医者だろ」 「医者なのは関係ねぇが、二人並んで歯磨きできるようなスペースあっかなぁ……」  と言いつつも、夏樹がついてくる。洗面台の広さは、というと……、それほど広くない。小柄な女性なら二人並んで入れそうだが、私と夏樹ではすし詰めのようになってしまう。 「狭いな!」 「出てくださいよ」 「いや、おれも鏡見ながら歯磨きしたいんだよ」 「順番待ちしてくださいよ」 「そりゃそうだな!」  たまに、夏樹がバカになるのは何でだ? 地頭は良いはずだ。医師免許を取得できるくらいには努力家なところもある。だが、どうしてこういう時はバカになる?  私が考えたところで何も解決することはないだろうから、歯を磨く。夏樹が横でじーっとこちらを見ている。 「そういえば、下、出たんですよね。着替えたんですか?」 「おまえなぁ、ずっと一緒にいるのにおれが着替えてるかどうかわかるだろ? 張り付いたまんまだよ」 「気持ち悪い」 「そんな目で見るなって。ゾクゾクしちまうから」 「着替えたらどうですか? コインランドリーありましたよね?」 「あー、フロントの横らへんにあったな。でもなぁ、おれの遺伝子塗れの下着だけ洗うのもなんだし、一緒に小焼のも洗おうぜ? どれだけ洗っても料金一緒なんだし」 「そうします」  下着だけだと割高になるが、来てきた服も洗うとなれば、お得な気にもなってくる。  歯磨きを終わらせてからコインランドリーに向かうことにした。  夏樹は下着を脱いで洗面台で軽く洗っている。白濁の液体が排水口に吸い込まれていく。 「どれだけ出したらそうなるんですか。パンツに吸収されないくらい出てるってことですよね?」 「その言い方やめてくれよ。あと、おまえが思うほどパンツに精液は吸収されねぇからな! エロ漫画じゃあるまいし!」 「日常的にこういう会話が出ることがおかしいと気付いてもらったほうが私は嬉しいんですが」 「お言いのとおりでー。とりあえず、下洗いしといたから、これでコインランドリーで洗っても安心だな」 「排水口の先で何かの受精卵ができていないか心配ですが」 「そりゃやべぇな!」  夏樹は大口を洗って笑っているが、けっこうな問題になりそうだ。  洗面台の電気を落とし、下着をTシャツを包んで廊下へ出る。  午前一時。旅館の長い廊下は薄暗く、非常灯だけがぽつぽつ並んでいる。 「こんな時間に洗濯機回して迷惑になんねぇかな。まず、使用不可とかだったらどうする?」 「その時はその時ですね」  コインランドリーはフロント脇の小部屋にあった。  『ご自由にお使いください(深夜利用可)』の札がかかっていたので夏樹が小さくガッツポーズしている。喜ぶところがおかしいが、いつものことなので気にしないでおく。  中に入ると稼働中のドラム型洗濯機が三台。一台だけちょうど空いていたので、すぐに使えそうだ。洗剤も自動投入型で、乾燥まで一気にしてくれる。こんなに便利なものがあるんだな。 「よーし! おれと小焼の分だけだと早い時間で済みそうだな! 重さを計測して自動的になんか色々してくれるらしいぜ!」 「ハイテクなんですね」 「だなー。大学にもこれ置いたら良いのにな。ラグビー部とか汗臭ぇし」 「それ、ラグビー部の前で言えますか?」 「タックルされそうだから言えねぇな」  話しながらも夏樹は洗い物を洗濯機に放り込み、硬貨を入れ、スイッチを押した。  ゴウン、ゴウン、回転音が夜更けの廊下に低く響く。洗濯物が、銀色のドラムの中でふわりと踊る。黒いシャツが、泡の中で夏樹の下着と絡んだのを見て、なんとも言えない気分になった。一応下洗いされていたが、複雑な気分だ。 「乾燥まで入れて約一時間といったところですね」 「そだな。部屋戻るか?」 「また出てくるのも面倒臭いですね。夏樹だけで行ってくれますか?」 「えー。良いけどさあ」 「不満そうですね」 「というか、お前部屋戻ったら寝そうだしな」 「実際、眠いので」 「あいあい。わかったよ」  けっきょく、部屋へ戻らずに洗濯室の隅のベンチに腰かけた。  洗濯物の回る音だけが響いている。他の客の洗濯物が終わったピーっという電子音の後に、女性が一人洗濯室に入って来た。 「小焼。あんまり人の洗濯物見るなよ。女性相手だと不安になっちまうだろ。おまえ、ただでさえ目つき悪い強面なうえに屈強なんだからさ」 「急に悪口言ってますか?」 「悪口じゃない、事実を列挙しただけだ。あと、おまえの二の腕で洗濯物しぼれそう」 「してほしいんですか?」 「してほしい。ていうか、いっそおれもしぼってほしい」 「じゃあ夏樹は脱水コースですね」 「全裸で乾燥までお願いします」 「お客様、当施設では人体の脱水および乾燥は対応しておりません」 「ご家庭でもご遠慮ください、って書いてあるやつだな」  くだらない会話をしていたら、女性客はそそくさと洗濯物を放り込んで、足早に出て行った。 「……なんか、逆に怖がらせちまった気がするな」 「そうですね。配慮の方向性を間違えていた気がします」 「小焼がノリ良く当施設では、とか言うからだろ」 「私のせいにしないでください。夏樹がしぼってほしいとか言うからでしょう」 「うーん、それもそうだな。うん、おれが悪かったかぁ」  良いとか悪いとかの問題でもないような気がするが、夏樹は何か考えている様子だったので、そっとしておこう。

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