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嫌われた

いつものように外で食事を済ませて、俺の家へ2人で帰った。 香島さんは、なんでも好きなものを頼みなさいっていつも言ってくれる。 慣れてからは俺も、遠慮なく好きなものを頼ませてもらってた。 今日は朝から食事が喉を通らなくて、せっかく連れて行ってくれたイタリアンレストランでも、スープとパンしか頼めなかった。 そのパンも二口も食べたら進まなくなって、残りは香島さんのお皿に乗せてしまった。 「皐月、疲れた?」 ベッドに腰掛けた香島さんは、またいつものように俺を膝に抱きあげる。 そして頭をひとつ撫でると、顔を覗き込んできた。 「っ…ううん、大丈夫です……」 目が泳いでしまう。香島さんと、目が合わせられない。 どう切り出そう。 心臓が、緊張でドクドクと煩く跳ね回る。 「…あ…の……、俺、話が…あって……」 声が震える。 腰を支えてくれてた右手が離れて、ずるりと膝から滑り落ちた。 ほんの数歩の距離、テレビの横の引き出しの中、封筒を取り出して背中に隠す。 香島さんは静かな瞳で、俺を見つめていた。 「っ……」 唇を噛みしめて、身体の震えを押さえる。 「……俺、もう、…香島さんと、契約できません…!」 視線を合わせないまま、思い切り頭を下げた。 「……そう。それじゃあ、仕方ないね」 香島さんが、短く息を吐き出した。 普段と違う、冷たく響く(おと)。 あぁ…、嫌われた……。 足が、ガクガクと震えた。 こんな、月100万も貰っておいて、もう逢えないなんて勝手に言い出して、こんな我儘な奴…… 嫌われても当然だ─── 当然……なのに、涙があふれて止まらないから、顔を上げられない。 「ごめっ…なさっ……俺っ、(けい)や…っ、だめっで…っ……ごめんなさい…っ!」 言葉がうまく出てこない。 頭が熱くて、重くて、痛くなって─── 「俺がっ…悪いんですっ!契約っもっムリ…でっ…」 香島さんは、何も答えてくれない。 息が詰まる─── 「だからっ……」 目元を袖で拭って、顔を上げた。 冷めた瞳で俺を見つめる香島さんに近づいて、両手で握った封筒を差し出す。 「ここにっ、100万円ありますっ!」 「ああ、…初めて下ろしたと思ったら、違約き──」 「これでっ!香島さんの時間を買わせてください!」 俺を見ている筈なのに、ちゃんと見てくれていなかった──凍り付いたようだった香島さんの瞳が、ハッと見開かれ、確かに俺の姿を捉えた。 交わった視線に縋るように、繋ぎ止めるように、香島さんの手を握りしめる。 「今日だけでいい…朝まで、一緒にいて……っ」 哀しくて、胸が痛くて、ヒグッとしゃくりあげてしまう。 「俺が悪いのはっ、分かってます…っ!奥さっ、いるのにっ、好きに…っ」 「さ…つき……?」 「ごめんなさぃっ!好きです……ごめっ…なさ…っ」 目を開けていられなくて、両腕で顔を覆い隠した。 子供みたいに、嗚咽が漏れて止まらない。 こんな我儘を言って、きっとますます嫌われる。 好きだなんてダメだ! 好きになっちゃいけない人なのに……っ!! 「皐月……?」 心配そうに、名前を呼ばれた。 背中に、香島さんの手の感触。 「───っ!?」 強い力で引き寄せられたかと思えば、きつく包み込まれていた。

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