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契約完了
「皐月、ブランデーは?」
「あー、いたらきます」
「あ…、ちょっと待て」
差し出したグラスを戻そうとした香島さんから、素早くグラスを奪って口をつける。
…あ、飲める。
って言うか、美味しい。
ブランデーって、ウィスキーと違ってまろやかで飲みやすいんだ。
こくんこくんと喉を鳴らしていると、香島さんに皐月、と名前を呼ばれた。
顔を向けると、
「大丈夫か?」
ほっぺを優しく包み込まれる。
「らいじょーぶれすよ?」
グラスを口に運んで、
「……?」
あれ?と自分の手を見つめる。
いつの間にか、ブランデーのグラスが無い。
どこ行った?俺のグラス。
「口説く用のカクテルだから、飲みやすくて酔いやすくは作ってあるんだが…」
口説く…?
ああ、確かさっきそんなこと言ってたなぁ。
じゃあ俺のグラス、口説かれる用の……
「皐月、お前酒弱かったんだな。ごめんな、気分悪くないか?」
「かしまさ…、おれ、男れすよっ。くろくってなんれすか、くろくって!」
「え…?…あー、待て待て、なんだって?」
「なんらってらなーいっ!おれくろいても、なんも得しらいもん」
「えーと…?お前口説いても、なんにも得しないって言いたいのか?」
「そうらよ!」
「いや、でも俺は、また皐月に会いたいよ」
「あいたい…?」
「ああ、逢いたい」
香島さんは瞳を覗き込むみたいに俺を見つめて───
俺よりおっきくて優しい手のひらに、ほっぺを包み込まれた。
香島さん、ほっぺた触るのも好きなのかな?
なんか俺も、香島さんに触られんの、好き…かも……
「……皐月、俺と契約してくれる?」
じっと見つめ返してると、おでこにおでこがコツンと当たる。
ちょっと、近い…かな…。
ちょっと、恥ずかしい……。
だから照れてるのがバレないように、わざと元気に返事した。
「いーよ!おれも、かしまさんにあいたい」
「こらこら、即決しない。内容ぐらいは確認しなさい」
自分から言い出したくせに、咎めるみたいにそんな事を言う。
「なんらよぉっ、かしまさんは会いたくないのかよぉ」
「…そんな筈がないだろう?」
「じゃあ、またおれと会って、あそぼ。契約切った~!」
小指を絡めてからピッと外すと、香島さんは苦笑してふぅ、と息を吐きだした。
「だめ……?」
勝手に指切りしたの、ダメだったかな……。
不安になって見上げると、香島さんは困った顔で笑って、
「契約完了、な」
頭を撫でてくれた。
そして、すぐに椅子から立ち上がる。
「皐月、送って行こう」
「え?あ、はーい」
これも契約の一部、なのかな?
倣って立ち上がってから、マスターを見上げる。
「えーと……」
「えーと?」
マスターが首を傾げる。
なんて言ったっけ?お会計………
「あっ!ますたー、ごちそうさまれす。ちぇっく、おれがいしゎす」
マスターは口元を緩めて、笑い声を漏らした。
「もう香島さんから頂いてますよ」
「えっ!?」
マスターの手が香島さんを示すから見上げると、ご馳走するって言ったろ、とウインクされる。
オトナだ……。
ヤバイ、オトナの男、ほんと格好良い。
「ごちそうさまれす!」
「いいえ。じゃあ、リュート。後は宜しく」
「はい。香島さん」
香島さんはよろけそうになった俺の腰に手を回して、力強く支えてくれた。
なんか嬉しかったから、そのまま香島さんに寄り添って歩く。
大通りに出て、香島さんがタクシーを拾ってくれた。
ふと、何かを忘れているような気がしたけど、逞しい肩に寄りかかってうとうとしている間にすっかり忘れてしまっていた。
玄関の前まで送ってくれた後、香島さんは待たせていたタクシーで帰っていった。
俺はそれをドアの陰からこっそり見送って。
タクシーが見えなくなってから漸く、なんだかフワフワとした気分のまま、玄関を施錠した。
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