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リュートさんのお店
夏木が迷いない足取りでバーに踏み入るから、躊躇しながら後に続いた。
いらっしゃいませ、と笑顔をくれたマスターが、俺の姿に気付くと首を小さく傾げる。
「あれ?皐月くん…?」
ここは悠さんがオーナーを務めるお店だ。
マスターのリュートさんは悠さんの従弟で、俺は彼に弟みたいに可愛がってもらってる。
お店の名前はRose …………なんとか。
悠さんかリュートさんに訊けば分かるから、まぁ覚えてなくても…大丈夫。
通称『ローズ』ってトコだけ覚えとけば問題ない!と思う。
「こんばんは…」
挨拶を返すと、夏木が不思議そうな顔をした。
「広川、あの後にも何度か来たの?」
「えーっと…、何度かって言うか…」
悠さんによく連れてきてもらってるからすっかり常連です、とは答えづらい。
「あの水槽、見に」
嘘じゃない理由を伝えて、カウンター席についた。
10席座れる広いカウンターから半円に広がる部屋。その弧を描く部分、真ん中の扉以外の壁の縦幅1m程の一列が水槽になっている。
入口入って右側の水槽前には、前に夏木と来た時には置いてなかった2人掛けのソファーと小さな丸テーブルの席が新しく出来ていた。
テーブルの上には『予約席』の文字が書かれたシルバーの仰々しいプレートが乗っている。
「広川、何飲む?」
夏木は早々に自分の分のビールを頼むと、リュートさんから受け取ったメニューを開いて見せてくれた。
「えーっと…テキーラ、とか?」
「皐月くんはダメだよ」
ちょっと酔いたい気分なのに、リュートさんに止められる。
「じゃあ、デカンタでワイン頼んで一緒に飲む?」
「うーん…、今ワインじゃないなぁ。飲みやすくて甘いのがいい」
「なら、カルーアミルクとか」
「ダメですよ、おにいさん。皐月くんはお酒弱いから、飲みやすくて度数の高いお酒はお勧めできませんね」
リュートさんがにっこり笑うと、夏木は何故か俺の背後に身を隠し、すみませんと小さく呟いた。
リュートさんが綺麗すぎて緊張しちゃったんだろうか。
「それとも、皐月くんのことを酔わせて口説こうとしてるのかな?」
冗談を言って、ふふっと微笑むリュートさん。
近くの席に座る常連さんが、その笑顔にポーッとしているのが見えた。
このバーは所謂ゲイバーで、カップル同士以外にも、出会いを求めたり、リュートさん目当てのお客さんも少なくない。
夏木はそういうの無いだろうから、やっぱり俺と同じでこの水槽が気に入って、また来たかったんだろうな。
同性愛者以外が一人で入るにはこの店は、レベルが高すぎる。
俺を誘うのも道理だ。
「リュートさん、夏木からかっちゃダメですよ」
「ごめんごめん」
くすくす笑いながらリュートさんは、少し外すね、と裏へ引っ込んでいった。
その後ろ姿を見送って、夏木がポツリと呟く。
「あの人、おっかねーな…」
「え?どこが?」
いつも笑顔で優しいリュートさん。
俺は怒られたことだって一回も無い。
気が利くし、癒やしだし。
ゲイの中でもネコって言う、なんて言うか、その……、主 に抱かれる側の人らしくて、そのせいかな。優しいお姉さんって感じることがあったりする。
反対に、悠さんみたいな人は男性側のタチ──悠さん曰く「突っ込む専門」、バリタチって言うらしい。
なら、対になる二人が惹かれ合うことはなかったのかな…?
不安になって訊いてみると、リュートさんは兄さんは好みではないのだとキッパリと否定してくれた。
体力のある年下に、余裕のない感じで強引に犯される…と言うのが理想のシチュエーションらしい。
悠さんは食傷気味の顔をして、
「嫌だよ、こんな腹黒」
と手のひらで額を押さえた。
腹黒って…、リュートさんは優しくて黒い部分を隠してるようには見えないし、肌も白くて綺麗だ。
こんな綺麗な人なんだから、内臓だって綺麗に違いない。
煙草を吸わないから肺も汚れてないだろうし。
じゃあ、付き合ってる人がヘビースモーカーなのかな?
そう自分の中で結論づけて、副流煙は迷惑だよね、と伝えた。
リュートさんは笑顔で「そうだね」と頷いてくれて、悠さんは乾いた声で小さく笑った。
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