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怒りと悲しみと
「カシスオレンジでいい?」
目の前に、コトリとグラスが置かれる。
「うん。いただきます」
夏木の前にもビールが置かれて、二人で乾杯を交わした。
「皐月くん、兄さんは?」
「家にいるんじゃないですか」
家を出る前の悠さんの態度を思い出して、つい口調が尖ってしまう。
フフっと笑ったリュートさんに、おでこをツンと突付かれた。
「ケンカした?」
「してないです」
ケンカとか、そういうもんでもないだろう、あれは。
向こうが勝手に、喜ばせておいて突き落としたんだから。
リュートさんは苦笑すると、俺の頭を宥めるように撫でた。
そして、手を振ると別のお客さんの方へ歩いていく。
「え、と…?広川、ケンカして荒れてた?その…マスターのお兄さんと?」
「ケンカ、してないし…」
ぷーっとほっぺが勝手に膨らむ。
「あのさ、夏木!俺いま付き合ってる人いるんだけどさ」
「えっ!?…あ、…えー……」
「なんだよぉ、その反応!俺に恋人いたら変?」
「いっ、いや!へぇーって言ったの!ほら、普通の相槌!」
「なんだ、その興味なさ気な相槌は」
愚痴聞いてくれるって言っただろー、と口を尖らせると、夏木は誤魔化すように乾いた声で笑い、疲れた顔でため息をついた。
「…もしかして、聞くのイヤ?俺、めんどくさい?」
「いやっ、平気!全然聞くし!」
「ならそう言う態度とんなよなー」
カシスオレンジのグラスを持って、氷をカラカラ回す。
「ごめん。で?」
ビールをゴクゴクと流し込むと、夏木は改まってこっちに顔を向けた。
「年上で、大人で、優しくて、見た目もすっごくステキでさ…。俺、その人のことすっげー好きなんだ」
目を瞑ると、瞼の裏にからかうような笑顔が浮かぶ。
それから愛しそうに笑って、好きだよって言ってくれる。
長い指で髪を梳いて、「皐月」って甘い声で呼んでくれる。
「ずっと、一生一緒にいたいって、むしろ一緒に居るもんだって思ってて…」
「広川……」
握り締めた拳に、手が重ねられた。
目を開けて、へへ…と笑ってみせる。
情けない顔、してんだろうな。
「その人にね、結婚したいから考えて欲しいって言われたんだ。
でね、俺、結婚するってすぐに答えた。
だってそれは俺にとって、考えるまでもない、嬉しいことだった、から」
なのに悠さんは怖い顔をして───
「わかんない。俺、いきなり突き放されたんだ」
記憶の中の優しい笑顔が、あの時の悠さんの顔にすり替わって……
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