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架け橋

「マスター、1杯ご馳走しても良い?」 人が減って店が落ち着いたのを見計らって、常連のお客さんが声を掛けてきた。 兄さんの経営するイタリアンレストランの店長でもある赤瀬さんだ。 「いつもありがとうございます。じゃあ、ファジー・ネーブルを頂きますね」 「そんなに可愛いカクテルでいいの?俺としては、マスターにはマティーニやアンジュを飲んでほしいな」 「ダメですよ、赤瀬さん。僕がお酒に弱いの知ってるでしょう?」 特に弱い訳ではないけれど、こう言っておけば強い酒を飲まされて仕事にならなくなることも無くなる。 「マスター、大人っぽく見えるのに、意外ですね」 一つ席を開けて座っているお客さんが、身を乗り出して話しかけてきた。 「若作りしてるつもりなんですが、そんなにおじさんに見えちゃってますか?困ったな」 ふふ、と笑ってみせると、その人は焦ったように慌てて否定する。 「違いますよっ!しっとりとして色っぽいって言うか!」 「嬉しいな。ありがとうございます」 色っぽい…か。 時々そう言われたりするけれど、それはこの仕事をしているからそう見えたりするだけなのだろう。 間接照明や、バーテンの服装のせいだ。 今まで付き合った相手はあまり僕に触れようとしなかったから、経験値が低く、色気なんて出る訳がない。 「いただきます」とグラスを掲げて甘いカクテルに口を付ける。 微笑んで僕を見つめる瞳は渋くて余裕で、口説くことをゲームとして楽しんでいる様子が伺える。 バーのマスターを相手にスマートに甘い言葉を囁くなんてことは、大人の男の嗜みの一つに過ぎないのだろう。 ……いつも、そうだな…。 僕はいつも、一番にはなれない遊び相手なんだ。 「マスター、俺からも1杯、プレゼントしてもいいですか?」 若いお客さんが、お替わりのついでにそう訊いてきた。 隣の大人の男の物腰に惚れたのか。 若い頃は無理して背伸びしないで、そのままの勢いで愛を伝えれば、それが一番素敵なのに。 「嬉しいです。でも、僕はお酒を飲み過ぎるとエッチな気分になっちゃうので」 「えっ…」 正直に告白して断ると、お客さんは驚いた顔で視線を合わせたまま暫く固まった。 変なコト、言っちゃったかな…? 「だからまた、次にいらした時に、ご馳走して頂いてもいいですか?」 「えっ…、あっ、はいっ!モチロンですっ!!」 「マスター、若い子には少し、刺激が強すぎるかな」 赤瀬さんが可笑しそうに低い声で笑った。 刺激───やはり変なことを言ってしまったのだろう。 「ごめんなさい、えぇと…」 「林ですっ!」 「林さん。…林くん、かな?」 「あ、オレ、こないだ二十歳になったばっかなんで」 「じゃあ、林くん。僕は年上だし別段面白味のない男ですが、また会いに来てくれますか?」 「───来ます!絶対っ!!」 勢い良く立ち上がった林くんに、ぎゅーっと手を握られた。 ゲイの世界は狭くて、自分がそうなのだと曝け出せる場所はなかなか無いものだから、この店が彼らにとっての憩いになれば、それが一番嬉しい。 林くんもここで、我慢しないで自分を出して、誰か素敵な人と出逢えたら……。 『ローズ』が愛の架け橋になれば、こんな嬉しいことはない。 そうしてみんなが幸せになっていくのをただ見守るのは、少しだけ、淋しいけれど。

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