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ごめんね
林くんにお替りを出して、ここで結ばれたカップルを3人でイジっていると、
カランカラン───
入口の扉のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
声を掛けるも、先程カウンターの右端にいた片割れの顔だと思い当たる。
「お帰りなさい」
夏木くんは会釈をすると、キョロキョロと店内を見回した。
広川くんを探しているのだろう。
携帯を取り出して、画面をタップしている。
メール?SNSかな?
彼の飲んでいたビールはもうグラスの汗も引いて、すっかり温くなっていることだろう。
連れの広川くんのグラスは下げてしまった。
兄さんがお持ち帰りしたってことは、もう戻ってこないのだろうし。
置いていかれちゃったね…。
少し切ない気持ちになって、兄さんを恨めしく思った。
他人の連れてきた子にちょっかいを出さなくても、あの男ならばいくらでも可愛い子が手に入るだろうに。
カクテルを1杯作って、彼の前に差し出す。
グラスの上は深い蒼で、下はピンクの逆三角。
キラキラと細かい銀色の光が揺れながらゆっくりと落ちていく。
『ナイトアフロディーテ』
星の舞い落ちる夜空の下、出会った二人に愛が芽生える。
貴方にも 素敵な出逢いが訪れますように───想いを込めて。
「彼、少し飲み過ぎたみたいで、オーナーが送って帰られましたよ」
「えっ……!?そうなんですか!? 広川ヒデェーッ」
カウンターへ倒れ伏したその指先にカクテルグラスが当たる。
「あれ…?コレ…?」
上がった目線が、探るように僕の瞳を捉えた。
「1杯、僕から贈らせてください。彼を止められなかった、そのお詫びです」
「えっ、そんな、マスターなんも悪くないじゃないですか。これ頂きますけど、ちゃんと伝票に付けといてください」
確かに、僕は悪くないのかもしれない。
兄さんのあの様子じゃあ、止めたって聞きはしないだろうし。
広川くんも夏木くんのことをすっかり忘れているようだった。
でも……そうだな。忘れていたからこそ、思い出させてあげれば、広川くんも兄さんについて行ったりはしなかったろうに。
それなら広川くんが帰ってしまったのは、やっぱり僕のせいでもある。
「ごめんなさい。これぐらいでは許してもらえませんか?」
頭を下げると、
「君、マスターを困らせてはいけないよ」
赤瀬さんが加勢をしてくれた。
「いやっ、許すもなにもっ」
「飲んでいただけますか?」
「飲みますっ!いただきます!」
「───よかった…」
ホッとして息を吐きだすと、赤瀬さんたちが可笑しそうに笑った。
「いいなぁ。俺、今日マスターに逆に断られたのにーっ」
林くんがフザケて頬を膨らませる。
「でも林くんは、また次に来た時にご馳走してくれるんですよね?」
「します!毎日だって来るし!明日ご馳走に来ます!」
お酒の勢いか、林くんは元気に明日の来店を約束してくれる。
「だから、夏木さんもまたいらして頂ければ、今日の一杯分の売上げよりも、僕としては嬉しいのですが」
「流石マスター、しっかりしてるね」
赤瀬さんが小さく笑うと、ずっと大人しくしていたカップルのネコの方、ミヤちゃんこと都 くんがボソリと呟いた。
「ここ、縁結びスポットだし、来て損とか、ねーし…」
ミヤちゃんはテレ屋で、本当は優しいのに無愛想になってしまうところがとっても可愛い。
「こんな素敵な人とも出逢えちゃうんですよ!」
彼氏の関谷くんはミヤちゃんのそんな所も含めて全力で愛してて、ミヤちゃんの方も関谷くんにだけは全身で甘えられて…。
とっても素敵な恋人同士だ。
2人共、ここに来るまでは同じ性癖の相手に会うことなんかなくて、初めて来た日に隣同士に座って、右利きのミヤちゃんと左利きの関谷くんのグラスを取る手が触れ合って───
運命を感じた、って。
運命、か。
いいな……。
運命なんて、何回も感じているつもりなのに。
受験の日に、駅の階段で転びそうになったところを助けてくれた人が、入学した高校で隣の席に、とか。
痴漢から助けてくれた人がクラスメイトのお兄さんだった、とか。
郵便局の窓口に行ったら、小さい頃に結婚しようって言ってくれた男の子が応対してくれた、とか。
結局全員、運命なんかじゃなかったけれど。
夏木くんはお酒が入って饒舌になったのか、入社前研修で広川くんに一目惚れしたのだと、その出逢いから語ってくれた。
どれだけ彼が可愛いのか、どれだけ彼を好きなのか……
こんな風に愛されたいと、広川くんを羨ましく思った。
そしてやっぱり、彼を兄さんに攫わせてしまってごめんって。
貴方の愛を守ってあげられなくてごめんね。
話を聞いている時、チェックの時、席を立った時、店を出る時、
何度も何度もまた来て欲しいと伝えたけれど……
次に彼がローズに訪れたのは、初めの来店からもう半年も過ぎた頃だった。
兄さんの恋人になった、同棲中の皐月くんを連れて、彼は僕の前に現れたのだった。
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