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新米弁護士[1]
【悠Side】
朝一で、顧問弁護士へ連絡を取りつけた。
その後、ローズの入るビルの各店舗へ謝罪へ赴き、マンションも一部屋一部屋訪問して事情を説明、外出中の住居者には謝罪の電話を入れ、出直し直接謝罪することを約束した。
リュートの元を訪れ、部外者が入れないようエレベーター、ドアの施錠を確認し、最後リュートにマンション側の階段扉を施錠させ、階段を使って下まで下った。
午後一時の約束で弁護士事務所へ出掛けた。
「社長、ローズのサイトが炎上してるわ」
オーナーとして経営している店のホームページを一気に受け持つネット関係の担当者から報告を受けたのは、出社して間もなくの事だった。
本人は桜井姫花と名乗っているが、履歴書にある本名は木村藤史郎と言う、女装家だ。
基本うちの本社には、男性も女性もゲイかバイしかいない。そこから更に性別の異なる服装を好む社員も数名。
特に選んで採用したわけではないが、大学時代のアルバイト先での知り合いの伝手などを使って人員を集めていたら、気付いた時にはそうなっていた。
一般の会社では出せない部分を隠さなくていい我社は、同胞達にとって心地よい空間になっているらしい。
聞く所によると、夏木の営業の手腕も中々なものだと言う。
何かあれば、…いや、何かが起こる前に、皐月と共に引き入れたいと日頃からリュートと話してはいるんだが……。
皐月はリュートからの誘いを冗談としてしか受け止めないし、夏木には「そこまで香島さんに甘えられないッス。つか、そしたら俺、いつまで経っても香島さんに勝てないじゃないですか」と、きっぱり断られた。
こいつ、いつか俺に勝つつもりでいたのか…と、その時はその頼もしさに笑ってしまったが。
姫花の話では、昨日の種崎ゆかりと言うタレントが自身のツイッターに上げたツイートに火が点き、ローズへと飛び火したのだと言う。
直ぐ様、見せられたものを確認すると、そこにはリュートがするべくもない悪事の書き込みが溢れていた。
とても本人や皐月に見せられたものではない。
店が特定できるよう、最寄り駅の名称まで書かれている。一文字伏せ字にしたところで、あまりに明確だ。
顧問弁護士の田崎先生に、皐月から、そしてその後夏木、リュートから聞いた情報を整理して伝え、ネットニュース及び種崎のツイートを確認してもらった。
「なるほど…」
先生は顎を指先で擦り、視線を落とした。
「信用毀損罪、業務妨害罪…そう言ったものに値しませんか?
質の悪いマスコミ崩れやファンが押しかけ危害を、また近隣の方に迷惑をお掛けしないとも限らない。その為、店は暫く営業を控えることにしました。
この書き込みにもある店の責任者ですが、天然の金髪、整った容姿、見ればすぐにそれと分かる外見をしていますから、本人にも外出は控えるようにと伝えてあります。通常の生活を送れないような環境を強いられている」
「しかし、その書き込みを偽りだと証明する者は、本人と身内の合わせて3名のみ」
先生は難しい表情を作って、眉間の皺を人差し指と中指二本でトントンと叩いた。
「正しく偽りだと証明できる部分は、オネエ、と言う一文だけです。例え第三者が被害者を意地悪ではないと擁護したところでそれは相手の主観次第でしょうから。
しかし、現在の日本では未だに、性同一性障害、女装家、同性愛者というものを一緒くたにする色が濃い。ゲイとオネエと呼ばれる者の区別での訴えは無意味なものだと私でも理解できます。
ですから、別の方向から攻めていかなければならないと」
「この書き込みにより生じた、本来発生する筈だった営業利益を侵害した事に対する損害賠償、と言う形での請求をタレントの所属事務所へ求める、と言う案は如何でしょうか?」
「本来経営者、責任者と言う形でお話すべきなのでしょうが、実はこの被害者は、私と兄弟のように育ってきた従弟でして、この事に私の連れ合いも大変心を痛めております。タレント本人からの訂正、謝罪を要求し、彼らの心を晴らしてやりたい。
なんとかお願いできないでしょうか、先生!」
俺の脳内に、ローズの扉を開いた瞬間に目に入った、ひきつけを起こしそうになりながら俺の名を必死に叫んで泣きじゃくっていた皐月の姿が、こびりついて離れない。
大切な皐月をあんなにも傷付けた、そしてリュートに手を掛けようとした相手に対する怒りは、一日 のもとに消え去る様なものではない。
あれから一晩、まだ1日も経っていないのだ。
リュートを襲い、失敗したとあればこの様な汚い手まで使い、何故ここまで他人を軽いものと扱えるのか。我々が芸能人で無いからか、それとも誰に対してもそうなのか。
しかしそんなことは関係ない。
相手に同じだけの苦しみを与えてやりたい。いや、皐月とリュート、そして愛する者を傷付けられた夏木の痛みを、何千倍にもしてぶつけてやりたい。
黒い気持ちが溢れ出して止まらない。
心の綺麗な皐月がこんなに醜い俺の胸の内を知れば、……幻滅されるだろうか。
「先生、この案件、私に任せては頂けませんでしょうか?」
膝の上で握りしめていた拳から目を上げ、斜め前に座る男を視界に映す。
勉強の為、と同席した新米弁護士だ。
ナチュラルな黒髪に、地味ながらもよくよく見れば整った顔。しかしどうにも存在感が薄く、田崎先生と話している間に、そこに座る彼の存在をすっかり忘れてしまっていたほどだ。
「勝算はあるのかね?」
視線を向ける田崎先生に、若弁護士は静かに頷いて見せる。
「あります」
先生は膝の上の手をソファーの手すりに掛けると、
「では、杵築 君に任せよう」
その場から立ち上がった。
「田崎先生?先生はこの件を軽くお考えで?」
つい責める口調で、追いかけて立ち上がる。
先生は首を横に振ると、若弁護士を掌で指し示した。
「杵築先生は新米だが、大変優秀な弁護士です。取分け、この類の案件には私よりも有能だ。香島さんのお役に立てると思いますよ」
そして弁護士事務所のベテラン所長は、俺に向けて深く深く頭を下げたのだった。
「杵築弁護士をよろしくお願い致します」
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