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それは楽屋言葉ではありませぬ
「俺は種族違いだから、天狗の求愛がどんなもんだかはわからないんだけれども。」
ごりり、と青藍が薬研で磨り潰しているのは漢方だ。
「なんというか、旦那が総大将に座してから百余年。嫁探しもしないもんで、てっきりそういう縛りで総大将になったのかって俺等は勘違いしていたよ。」
「まて、だから俺は総大将もなんなのかわかんねーし、百年超えてるとかいわれてもイメージつかねんだわ…俺21だし。」
天嘉の言葉に、熱冷ましの薬を調合していた青藍は、ぎょっとした顔をして振り向いた。驚いたのは年齢である。妖怪は長命な分、妖力が枯渇しない限りは容姿も変わらない。
天嘉は妖力もまったく感じないのに、21という年齢でそれだとは早世がすぎるということに驚いたのだ。
「死ぬではないか!!」
「は!?」
いきなり物騒なことを叫んだ青藍は、顔を青褪めさせると天嘉の頬を包み込むようにして、柔らかな手のひらで顔をこちらに向けさせる。
その顔は天嘉のほうが心配してしまうような動揺具合で、何かとんでもない早とちりをしているのではないかと思わず戸惑った。
「何なんだそれ!そういう種族!?あ、でも天狗の嫁なら妖力が空に近いほうが受け入れるのか。いや、それにしても21は赤子同然だしな、えええ、てことは旦那、幼児が趣味…?いやでも見た目は元服してるからやっぱり合法?それにしても、」
「だから俺は人だから!!!」
「人なんて種族はいない!!人間じゃあるまいし!」
「だから人間なんだってば!!」
痺れを切らした天嘉が怒鳴る。青藍は中腰で、天嘉の両肩を鷲掴んだまま口を真一文字に引き結ぶ。
そのままゆっくりと両手を肩から離すと、すっと天嘉の顔の前に向けるように手のひらを差出した。
「いいかい、天嘉。カラスが白くなれないように、妖怪は憧れても人にはなれないんだ。」
わかるね?
そっと諭すように言う青藍に、天嘉は白けた顔をした。こいつまでなにを言っているのだと思ったためである。
天嘉は面倒臭そうに鞄からスマホを取り出すと、青藍に渡した。
「これスマホ。」
「すまほ。」
「俺ら人間は、これをつかって連絡を取り合ったり、写真を取ったりをするんだ。ここの電源おしてみ。」
「ええ、この板でかい?なんだか妙ちくりんなからくりだなあ。連絡なら一反木綿が一番早いだろう。」
「なにそれ逆にきになるんだけど。」
天嘉が一反木綿に反応をしているなか、青藍の手によって立ち上げられたスマホの移り変わる画面を見て、青藍は手の中のそれをぶん投げそうになってしまった。
だって、こんな景色が変わるカラクリなんて始めてみたのだ。
天嘉が慣れた手付きでアルバムをタップすると、一番上にはツルバミとの写真はあったが、そこからあとは青藍が見たことも無いような景色が多く写っていた。
この景色は都内の写真なのだが、青藍が目を丸くして震えたのはバスの写真だった。
「ま、まて…なんかこの化け物の腹にみんな飲み込まれている…ここは、地獄か?」
「青藍が化け物っていってんのがバス。そんでそのバスが止まってるここがバスターミナル。」
「ば、ばすたーみなる…という地獄か」
青藍は、八大地獄のようにいくつかあるうちのそれだと思った。天嘉は青藍の真顔に思わず吹き出す。
アルバムの中からバイト先の居酒屋での飲み会の様子を映した動画を再生すると、青藍は驚きすぎて思わず鼬に戻ってしまった。
ぽひゅ、と情けない音を立てて可愛らしい鼬の顔になった青藍は、口をあんぐりと開けて呆気にとられている。
「し、信じられない。ここにちいさき天嘉がいる…ええ、これみんな里のものかい?この雌はどうして頭におしぼりなんか乗っけてるんだ。」
「いや、これはヘアバンド…や、カチューシャか?まあ女がするファッションアイテム的な…」
「ふぁっそ…なんだそれ…こんな狭っ苦しい箱に詰められて、飯を与えられて…繁殖部屋かい?天嘉のお里は随分と奔放なようじゃないか」
「オイコラ、個室居酒屋なんだっつの!ヤり部屋じゃねえっつの…まあ、しけこむやつはいるけどよ。」
はぁあ、だの、ほおぉ、だの。青藍はつぶらな瞳を爛々に輝かせて、青藍は天嘉の動画を食い入るように見つめる。やはり、娯楽はあまり無いらしい。ちぎれんばかりに振り回す尾をみながら、天嘉は放置された薬研と擦り途中の漢方をみてため息を吐いた。
「んで、俺の話は信じたかよ。」
「天嘉が人間だってことかい?ううん、まあ俺たちはあまり人里に行かないけど、こんな妙ちくりんで面白いカラクリは妖かしたちは知らないだろうしなあ。」
「おうよ、人間様の文明の利器はやべえだろ。ていっても、ここ電波ねえし充電できねえから…まあ、電源がきれたら終わりなんだけど。」
「人間、人間なあ。ううん、俺は信じてもいいけど、ちっくとまずいなあ。」
青藍はもふもふの手で摘んでは撫でるように自らのおひげをぴょんびょんとさせて遊んでいる。感情表現豊かな鼬の化け物は、人型のときよりも長い胴に短い足で天嘉に肉球を見せつけるようにどてりと座ると、顔を上げて短い腕で首元の毛並みを撫でる。
恐らく人型なら顎を撫でているのだろう。
天嘉はピンクの足の裏の肉球を見つめながら、触ったら怒るだろうかなどと考えていた。
「でも、人間だとしたら辻褄は合うなあ。天嘉、お前にほのかな妖力を感じたのは、恐らくやまのけの呪のせいだろう。そんで、旦那が嫁が降ってきたって勘違いして種付けしたから、今度はほんとうに妖力がやどっちまったんだ。」
「種付け…あけすけな…、てか宿っちまったって言われてもよ…そもそも嫁だって同意してねえっつの。」
「そうだよなあ、人間なら雄同士で孕まないもんなあ。」
ううん、やれどうしたものか。青藍は妖怪の常識が人間である天嘉に通じないことに関しては、実に柔軟な思考で納得してくれた。まさにとばっちりでこの里に落ちてきたのだ、右も左も分からないややこが、急に目が冷めたら男と番わされていたなどと、大層仰天したにちがいない。
21歳というのは、妖怪にとっては赤子である。赤子が赤子を孕むという前代未聞な現象は、天嘉が妖力をまとった人間だからできた芸当である。
人間の成人が20だと知らない青藍は、見た目は大人でも中身は…と天嘉をみて、旦那って稚児趣味なのだなあと少しだけ見る目を変えた。
「なあ、一個聞いていいか。」
「うん?」
「俺がここにいても、平気なのか?」
青藍は天嘉の何気ない質問に、きゅむっとその口吻を閉じた。むにりとあがった口元がかわいい。しかし、その顔は困ったといわんばかりにしおしおと崩れる。
どうやらあまり良くないらしい。というか、青藍は理解してくれたが、ツルバミも蘇芳も天嘉が人間だと言うことを理解していない。
そして、天嘉自身もその身に起きている事を理解せず認めぬように、ツルバミも蘇芳も人間だと言っても信じない。
青藍はなんとも面倒くさいことに板挟みをされ、こんなことになるなら安請け合いをするんじゃなかったと後悔をした。
「まずいんだ、」
「…ううん、うん。まあ、事情が事情だしな。蘇芳の旦那に理解してもらって、総大将が受け入れたんならって周りが自然と広めるほうが手っ取り早い気がするなあ。」
天嘉殿にはこちら以外の行き場など御座いませぬ!
そういったツルバミも、天嘉が妖怪だと思っての言葉だろう。
小さく呟いた、ふうん。という天嘉の相槌に寂寥感が滲む。ここでも、天嘉は居場所がない。結局ツルバミが蘇芳の家から出さぬというのも、人間だとわかるまでだろう。
そうしたら、天嘉は人里にもどれるのだろうか。
それとも、この居場所の無い里の中で、一人寂しく死ぬのだろうか。
青藍は戸惑ったようにひげを揺らすと、四足でそろそろと近づいて、天嘉の顔を覗き込む。泣いているのかもと思ったのだ。
「ツルバミにも、旦那にも、俺から天嘉が人間だといってやろうか。それが助けになるかはわからんが、まあ腹の子のこともある。捨て置かれることはないと信じよう。」
ふんふん、と慰めるように天嘉の手に顎を載せて鼻を引くつかせる。上目に見上げれば、天嘉は苦笑いをしながら妊娠してねえってば。と言う。
くしくしと青藍の顎の後ろをくすぐってやりながら、天嘉はポツリと呟いた。
「ダチいねえと、やだな。ひとりはやだ。」
「だち?」
「ともだち。ダチって言うんだよ、友達っていうの恥ずかしいだろ。」
青藍は、繁殖部屋には恥ずかしがらなかったのになあ。などと思いながら、天嘉を見上げる。熱だけ出ない頬の紅さは照れているのだろうか。
青藍はふさふさの尾で畳をひと撫ですると、いいよといった。
「なろう、だち。俺が天嘉のだちになる。人間のだちははじめてだが、まあ少しずつ歩み寄っていけばいい。」
「まじで!」
「うはは、そんなに元気になるとはなあ。だち、だちかぁ。その代わり天嘉は俺に里の言葉をおしえてくれ。」
「いいよ。ちなみにまじでは本当に?とかなるほどとか。まあそんなとこだ。」
青藍はなるほど、まじとは便利な同意であると感心した。余計な言葉を省き完成された二文字は、すまほなる文明の利器を作り出す人間らしい、満遍なく使える言葉なのだときちんと理解して、まじだ。といった。
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