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思い馳せるは故郷の町並み
黒い角笛を鬼火に見せつけるように、天嘉はマジマジとそれを見つめていた。
夜、首から下げたそれを指でつまみながら、なんだかこの形状の菓子に見覚えがあるなあと思っていたのだ。
「ああ、スナック菓子だ。」
「すなっくがしとはなんだ。」
「うわびっ、びった…」
湯浴みを終えたのだろう、蘇芳が濡れた髪を拭きながら覗き込んできた。
「スナック菓子っつーのはよ…ん?」
これに似て非なるものは主原料がトウモロコシの粉だという説明をしようとして、やめた。何気なさを装っている蘇芳の顔を見て、思わず呆れてしまったのである。
天嘉が気にしていた角笛を、細い手ごと握る。微かに不服そうな顔をした蘇芳を見て、これはおそらく嫉妬をしているのだろうなあ。そんなことを思った。
「お前だって外に女作ってるくせに。」
「うん!?」
ボソリと呟いた天嘉の一言に、蘇芳は思わずらしくない反応を返してしまった。
まったく身に覚えのないことを天嘉が呟いたのだ。致し方あるまい。
じっと蘇芳を見つめる天嘉の目は淀みがない。
記憶をひっくり返しても浮気の二文字を疑うようなものは見つからず、蘇芳は動揺と疑問符を頭の中で散らかすばかりであった。
「まて、俺がいつ浮気をした。」
「ガキまでこさえてるくせに。」
「こさえたのはお前の腹だけだ!」
「あ?ぼんとかいってたろうが。」
「ぼん!?」
眉間を揉むようにしながら記憶をほじくり出す。そういった記憶は…と逡巡し、あ。と母音を漏らした。
そう言えば市井に出たときに、確かお市の家に行った。そしてそこでお市の子供に言われた気がする。十六夜とお市の子であるぼんが、おっとうという呼び名を未だ誤って覚えていたことを思い出すと、蘇芳の顔色は青褪めた。
「まて、お前が逃げ出したのは、もしかしてそれが原因か…。」
「に、げてねえ!」
「なら迷子。」
「戦略的撤退だ!」
「戦国武将かお前は…」
顔を染めてむすくれる天嘉の言葉に苦笑いをすると、蘇芳はため息を一つ。すまなかったと口にすると、勘違いであることを説明した。
「あれは、お市は十六夜の嫁だ。」
「…は」
「ぼんは、十六夜も俺と同じ天狗だからな。まだ分別がつかぬ故、羽を持つ男を見ると大体おっとうになる。」
十六夜は仕事ができるため、なにかと頼りにしがちらしい。故に家に帰るのは遅い時間で、あまり子供が起きている時間には帰れていないのだとか。無論蘇芳とて同じことなのだが、子を孕む雌のそばにいてやりたいという蘇芳の気持ちは痛いほどにわかる。実際十六夜もお市が子を孕んだ際は、蘇芳が早く帰れとせっついたこともあり、率先して身の回りの世話やら産後の世話なども行っていたらしい。
あの烏面の下の表情は伺いしれないが、子煩悩らしい。お市に早く仕事にいけと蹴り出されることもあるくらいには、休暇後の十六夜はしょぼくれている。次の休みまで日が開くこともある。顔を忘れられないか不安なのだそうだ。
「うわ、まじか…。なんだ、俺先走ったのか…。」
「まあ、気にするな。それに天狗は一途だ。そこは安心してくれていい。」
「うわ、」
ぐい、と引き寄せられて膝に載せられる。最初のうちは抵抗していたが、もはや諦めた。それに蘇芳が仕事中に立ち寄ってくれなければ、天嘉はパニックのまま牛頭馬頭の話を聞いてやれなかったかもしれない。
そんな色々な理由を鑑みて、今日は大人しくしてやるかと蘇芳の熱を素直に背に感じた。
「おや珍しい。これはよろしいということか。」
「そっちはよろしいっていってねえ!」
前言撤回。不届き者の手が合わせ目から侵入してきたので引き剥がすようにしてお引取り頂いた。
「油断も隙もねえなまじで…」
「ふふ、雄は気に入りの雌にまじになるのは致し方ないだろう。」
ご機嫌でマジを使いこなすのは何よりなのだが、天嘉にとってこの流れは非常によろしくない。蘇芳とセックスをするのはいいのだが、何時間にも及ぶ耐久レースのような繁殖活動は、天嘉の体力的に翌日は床の住民コースに直結する。
ため息一つ、がさごそとボディバックからスマホを出す。天嘉の専らの死活問題としては、まあ現代っ子であるからして文明の利器を手放せないところである。
充電をしないといい加減切れてしまいそうだった。
それになによりも、生活する上で何が不便かって、スマホ以外にも下着が一枚しかないのである。
なので天嘉は3日に一度だけ下着を履くが、それ以外はもろだしだ。開放感がありすぎる。褌のようなものは渡されたが、尻に食い込ませるのが嫌すぎて履いていない。
何よりも、蘇芳がご機嫌に尻を揉んでくるのも気に障る。
「はあ…街に行きてえ…」
「む、外界か。すまんがそれは許さぬ、一人で出ては帰ってこれぬからな。」
「一人じゃねえならいいの?」
「む…、まあ…」
渋るような素振りを見せながら、蘇芳が小さく肯く。軍資金は少ないが、都会に行きたいとまでは言わない。せめて下着が一週間分ほしいだけなのだ。あと、欲を言えば充電器。
「蘇芳」
「なんだ。」
「お願いきいてくんねえの。」
じいっ、と琥珀色の瞳に見つめられ、蘇芳の顔が苦悶の表情になる。嫁のお願いは聞いてあげたい。しかし外界など上から見ることはあっても、地上に降り立ったことなどはない。
ぎゅっと天嘉の細い手が、蘇芳の着物の合わせ目を握り締める。じっと見つめ続ける天嘉の視線から逃げる様に、ぎこちなく顔を背けた蘇芳の頬にむにりと柔らかいものが当たった。
「だめ?だめか?」
「ゆるそう」
「まじでか!!」
「どわっ、」
頬に口付けることでお強請りを成功させたらしい。蘇芳はしまったという顔をしたが、天嘉はよほど嬉しかったらしい。首に勢いよく抱きつくと、蘇芳ごと後ろに転がった。
男らしい体に細い天嘉が身を寄せる。蘇芳は両手でわしりと尻を鷲掴んだが、特に文句も言われずに蘇芳の胸板の上で寛いでいる。
「あしたいく?なあ、あしたいこ、あした!」
「わかったわかった…しかし急すぎるだろう、何が欲しいんだ一体…」
「だって、トランク無くしたから服もねえんだもん。トランクってわかる?銀色のさ、でっけえ蘇芳の服入れてるみたいなやつ!」
ぱたぱたと脚を揺らしながら、蘇芳の胸板に肘をつくと顎を乗せる。ぐう、その眼差しはだめだ。かわいいがすぎると、気難しそうな顔でだらしなく緩みそうになる面をごまかした。
「あの、鈍色の葛籠か?なんだか面妖な滑車がついた…」
「つづら…つづらってお前の着物いれてるやつ?」
「ああ、まあ天狗装束だなあ。その面妖な葛籠なら、山で見たぞ。」
「うそまじで。」
もにもにと指の間に触れる尻肉が愛おしい。魅惑的な弾力を楽しみながら、天嘉は離れ離れになっていた己の荷物との再開を期待した。
「まあ、捕まえることはできるが。」
「は?捕まえる?」
「ああ、妖気にあてられて野生化していてな。」
「やせいか…?」
ちょっと言っている意味がわからねえ。天嘉は間抜けな顔をしながら聞き返すと、あのトランクのどこに野生化する要素があるのかがわからなかった。
「まあ、明日は街には行かず、葛籠をとりにいくか。あそこも一応外界にあたるからな。十六夜もつれていくか。」
「お、おう?」
蘇芳の揉みしだく手のひらの動きが段々と怪しくなる。なんだか野生化したトランクを捕まえるということが想像ができなさすぎて、頭に疑問符を浮かべているうちに、足の間に侵入してきた蘇芳の膝によって尻が浮かされた。
「うん?」
「ではでは。」
大層真面目な顔をしながら体勢を入れ替えられる。顔の横に手のひらを付いた蘇芳は、真剣な顔で天嘉の着物の合わせ目に手をかけた。
「なにこれ。」
「やはり手遊びの延長よりも、こうして真剣に抱いたほうがお前がよろこ、」
「うるせえねろ!!」
なんで真剣な空気を出せば行けると思ったのか。天嘉にとって意味がわからなかったしわかりたくもなかったのだが、まあ蘇芳がよくわからない行動を起こすのはここに来て数日でなれるよりほかはなかった。
大妖怪を物理で倒す天嘉が言うのも変なのだが、とりあえず横で大人しく寝てくれる分には構わない。
しっかり張り手を食らった蘇芳だけが、何故だと解せぬ様子であった。
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