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牛頭と馬頭
「ごめんくださぁーい。」
なんどものんびりとした声が、屋敷の玄関から響く。天嘉はそれを奥座敷の寝床から聞いていた。
ああ、誰か来てるな。困った、ツルバミは買物に出かけて今はいないのだ。影法師が相手をするだろうが、口が聞けないので戸惑わせてしまうかもしれない。
天嘉は、本日はなかなかに体調が思わしくなく、布団にこもりながら大人しくしていたのである。
奥座敷の障子は換気のために開けており、少し熱っぽい体を休めながら、どうしようかなあと悩んでいた。
「ごめんくださぁーい?」
二度目だ。やはり待たせるのは良く無いだろう。のろのろと布団から起き上がろうとすると、にゅるんと影法師が顔を出す。何やら少しだけ慌てた様子で、身振り手振りでそこにいろと言っているようだった。
「ん?なに…、客だろ…?」
そうなんだけど、そうじゃない!そんな具合にあわあわと手を使って必死に伝えようとしている影法師によくわからなくて首を傾げる。
きょとんとした天嘉が、まあそこまで必死に行くなと言うなら従うかと、戸惑いながら再び布団の住民に戻ろうとした。
「っ、」
じくんと左腕の痣が熱を持ったのだ。天嘉が恐る恐る着物の袖を捲くると、ほのかに赤く腫れている。
なんだろうとさすりながら、顔を上げたときだった。
「おやあ、なんだ。いるじゃないか。」
「え、」
ぬるりと襖から顔を出したのは、牛の骨を被った背の高い男だった。影法師は仰天したようにふりむくと、慌ててその身を膨らませで天嘉の身を覆い隠した。
その妖怪は、おやおやと苦笑いをひとつ、肩をすくませると遠慮なく履物を脱いで奥座敷に上がり込む。こんな無遠慮な、しかも見たことのない妖かしに、天嘉は驚きすぎてぽかんとしていた。
でけえ。天嘉の感想はそれだった。
牛の骨の被り物をした男は、着流しから赤い入れ墨のようなものを見せながらのしのしと歩いてくる。影法師によって遮るようにくるまれた天嘉を見ると、にこりとほほえんだ。
「あはは、雌だ。上等な匂いがするけどお手つきかぁ。」
「あんた、誰だ…」
「牛頭。」
「ごず…?」
なんとなく居心地が悪くて、天嘉は少しだけ身を引いた。問いかけに端的に返した男の言葉が引っかかる。なんだっけと逡巡していると、牛頭は片眉を釣り上げると、そっとその身をずらした。
「ーーーー、ひ…!」
天嘉の琥珀色の瞳が揺れる。奥座敷の外、顔を覗かせるようにして馬頭がいた。天嘉のトラウマがぶわりと膨れ上がる。牛頭が馬頭を呼ぼうと振り返った瞬間、天嘉は牛頭に向けて布団を勢いよく被せた。
「どわっ!?な、なんだあ!?あ、おい!」
バタバタと音を立てながら、顔を青ざめさせた天嘉が部屋を飛び出す。牛頭の待てや!という静止も聞かず、天嘉は冷や汗を吹き出しながらばたばたと部屋を抜ける。こわい。こわかったのだ。
影法師が慌てで飛んでくる。その手をすり抜けるようにして、下駄すら履かずに素足で外に飛び出した。
「待てや!!なあ、待てって!!」
「ひ、や、やだ…!!」
「おい、雌!止まれ!」
「やだ、あ、あ!」
屋敷を飛び出した天嘉に、大慌てで庭に居た馬頭が回り込んでくる。道を両手で塞ごうとしてきた馬頭が、じりじりと近付いて来るものだから、ついに天嘉はパニック状態に陥った。
「は、は…っ、は、ひゅ…す、すお…蘇芳!!蘇芳!!」
「げえ!!」
天嘉がふるふると首を振りながら後ずさりをしたかと思えば、馬頭が出てきた方とは反対方向に走り出す。悲鳴混じりに上げた名前に、今度は馬頭のトラウマが刺激された。
「だああ、何やってんだのろま!!おら、お前はこっちだ!」
「ひ、いやだ!」
着物の襟を鷲掴まれ引っ張られた瞬間、バサリと音がした。天嘉が涙目で見上げると、蘇芳が十六夜とともに空から舞い降りた。
「蘇芳!!」
「貴様ら、また性懲りもなくきたのか!」
「げええっ、クソめんどくさいやつが来た!!」
天嘉は慌てて蘇芳の腕に飛び込むと、しがみつくように着物の生地を握りしめた。よほど怖かったらしい、十六夜が羽を広げて牛頭の目の前に舞い降りると、威嚇するように錫杖を向けた。
「ここが何処だと心得る。貴様ら牛頭馬頭のくるところではない。招かれざる客はさっさと失せろ。」
「うげえ!んな神器向けんじゃねえ!!俺らが脅かしちまったのはわりいけど、別に意地悪しに来たんじゃねえってば!」
牛頭が慌てて飛び退る。地獄の住民からしてみれば、その眩しすぎる神器は目に毒である。
慌てて牛頭が腕で視界を遮るようにしながら叫ぶと、まろびでるようにして馬頭が出てきた。
「雌!!悪かった!!おれぁてっきりお前が迷い込んだ亡者だとおもっちまったんだあ!!」
「ひっ、」
馬頭が大きな体を四つん這いにすると、馬の唇をまくりあげながら叫ぶ。どこを見ているかわからない視線と、きれいに揃った白い歯が逆に恐怖を煽った。四つん這いになってもでかい。まるで馬の被り物を被っているような大柄な男に、天嘉はひきつった声をあげた。
「貴様、生者を亡者と見紛うなど修行が足りぬ。天嘉があのまま獄都への赤橋を渡ったとなれば、こちら側には帰ってこれなかった。腹には俺のややこがいる。もし渡りきっていたとしたら、貴様らはこの俺から番を奪った事となるのだぞ。それがどういう意味合いだかわかるか。」
「わ、わかる!!わかるからこうして詫びに来た…!!腕の痣は本当に悪かった!!亡者が一人逃げ出して、俺達は焦っちまってたんだあ!」
「だとしたら尚更職務怠慢だな。腕の痣は当たり前に取り除け。」
「も、もちろん…!!」
馬頭はこくこくと頭を振ると、砂利を弾きながら立ち上がる。ビクリと怯える天嘉の肩を、蘇芳が優しく撫でながら安心させると、馬頭の横から牛頭が顔を出した。
「雌、弟が悪かった!こいつぁちいとばかし突っ走っちまうきらいがある。おめさんの腕に無粋な痕付けっちまったのは完全に俺たちの手落ちだあ。」
「ま、…また、いてえの…やだ…」
「ああ、神酒かけて呪の進行抑えたんだってなあ。馬頭は錠外しが俺よりうめえんだ。安心してくれていい。」
ぬっと天嘉の目の前に馬頭が覗き込むようにして見下ろしてくる。ぶるぶると震えながら腕を差し出してくる様子に、馬頭はなんとも言えない顔をしながら、大きな掌でその腕をそっと添えるようにして掴む。
折れてしまいそうなくらい細い腕だ。職務での不始末に気が立っていたとはいえ、確認もせずに突っ走ったのは馬頭が悪い。そのアーモンド型の目を申し訳無さそうに歪めると、天嘉はその後悔の表情を感じたのか、恐る恐る馬頭の顔を見上げた。
「…痛くしねえ?」
「しねえ、悪かった。」
「…いいよ。」
ぎゅ、と蘇芳の襟元を握りながら呟くと、馬頭がほっとしたように息をつく。
天嘉の腕の痣が、じわりじわりと煙となって馬頭の手のひらの中に吸い込まれていくのを、不思議そうにしながらじっと見つめた。
ようやくすべてを握り締めるようにして手の内に納めると、天嘉の左腕の無粋な痣は仄かな色味を残して消えた。
「この残りも、数日で消える。俺ぁこれをしにきただけだ。」
「青藍が牛頭に話を通すとは言っていたが、今日だとは思わなかった。」
「ああ、そらそうだ。日程聞くから待っとけって言われたけど、馬頭が早えほうがいいって突っ走ったんだからよ。」
牛頭があっけらかんと言う。どうやらこの兄弟は弟のやることを兄が全肯定するらしい。
天嘉は、事前に言われてればこんなびびんなくてすんだのにと気疲れをしながら溜息をついた。
「獄都の者は、なぜこうも人の話を聞かぬ奴らばかりなのか…」
「馬頭よ。今回は天嘉が許したから咎めぬが、二度はない。いいな。」
「もちろんだ!ああ、でも亡者まだ見つかってねえんだよ、雌は外に出るなら気をつけろなあ。」
「それをお前が言うのか。」
馬頭はどうやら悪いやつではないらしい。天嘉は小さく頷くと、袖をただす。痛くはなかったが、やはり皮膚の下からなにかがじわじわと抜け出る感覚は酷く気持ちが悪かった。
少しだけだった鳥肌を撫でるようにして天嘉が腕をすると、牛頭がごそごそと着流しの合わせ目から黒い笛を取りだした。
「やる。」
「なにこれ…」
赤い紐で首からかけられるようになっている小さな角笛だ。天嘉がよくわからないといった具合にそれを摘むと、牛頭が詫びだと言う。
「黄泉の角笛だ。亡者に襲われそうになったら、それを吹けば俺たちが助けてやる。まあ、合わないのが一番なんだがよ…ほら、何があるかわかんねえだろう。」
「あと、迷い込んでもそれ下げてれば俺達の客人だってわかるからよ、もし獄都観光すんなら持ってきな。襲われねえ。」
「獄都観光は…しねえかな…」
むしろなんですると言うと思ったのか。馬頭は残念そうに、いいところだぜ?とか言うが、少々行くのに勇気がいりそうである。
天嘉は牛頭馬頭を見上げると、全然に兄弟のように見えないなあと改めて思った。
そんな素直な視線を感じ取ったらしい。牛頭は馬頭の肩に腕を乗せると、あっけらかんとした様子で言う。
「獄卒は兄弟盃を交わすんだ。いまは俺らしかいねえが、まあどっちかがどっちかの尻拭うみてえなやつだぁな。」
「俺ぁ、牛頭の兄者にゃあ迷惑かけてばっかでなあ。これで何十回めかわからねえや。」
「ばかやろ、弟の尻拭うのが兄の役目よ。」
「ふうん…なんかいいな、そういうの。」
ぎゃははと笑う牛頭馬頭に、天嘉はそんなことを思った。自分にも義理兄はいたが、そういう関係ではなかったからだ。少しの憧憬を滲ませながら言うと、蘇芳が天嘉の肩を引き寄せた。
「俺は兄弟が増えるのは一向に構わぬ。どれ、産み落としたらまた作ろうか。」
「産む前からんなこというのはやめろ。」
べしんと容赦なく蘇芳の顔面に裏拳をかます天嘉に、十六夜は呆れ、牛頭馬頭は一番怖いのは雌の方と考えを改める。
真っ青な顔で駆けつけた青藍と慌てて帰ってきたツルバミは、そんな不思議な光景を見て何があったのだと顔を見合わせるのであった。
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