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奥方細君、そして人妻
天嘉の特製くず餅であるが、大変に良くできましたとツルバミが褒めてくれた。
そして何よりも、落雁からくず餅へと変貌させた天嘉の柔軟さに才を感じ取ったらしい。きな粉をかけたそれを人数分切り分けると、まるで己の手柄と言わんばかりにふんぞり返る。
「げにまこと、天嘉殿は出来た嫁ですなあ!これはツルバミ、嬉しゅうて涙がこぼれ落ちまする。天嘉殿がこちらに来てはや数週間、漸く蘇芳殿に手料理を振る舞われるとは。これぞ正しく夫婦の営み。」
「それおいらと一緒に食べるために天嘉がつくってくれたんだぞー。」
「よいしょ殿。そんなことは存じ上げておりまする。しかしながら勝手知ったる様子でツルバミの縄張りである炊事場を荒らしたのはいけません。こちらで手打ちにいたしましょう。」
「ええええ!横暴だ!!天嘉!!ツルバミがおいらのくず餅もどきとろうとする!!」
「みんなで分けりゃいいだろうが…マジで元気だなお前等…」
炊事場に続く板の間に、蘇芳、ツルバミ、よいしょ、そしてなぜか宵丸まで。雁首揃えて天嘉からの配膳を待つ。
ツルバミが器や黒文字やらを出してくれたので、切り分けてきな粉をかけたその皿の縁に黒蜜を塗りつける。なかなかにいい出来だ。お抹茶の緑にきな粉の黄色。そして白い皿に塗りつけた黒蜜の黒で引き締まる。くず餅にはあんこも少し混ぜてある。上品な甘さに仕上がっていればいいのだが。
「おや、一皿余りますが。」
「あー、これは青藍に…」
宵丸に頼んで氷室で冷やしてもらえば良いだろう。そう思って振り向くと、目を輝かせた宵丸が両手を差し出した。
「お嫁ちゃん!鼬なんぞにやるよりも、俺が二皿平らげてやるよ!」
「却下。おまえ喧しいなー。雪の妖かしならもうちっと冷静にできねえの?」
「ぶふっ、」
天嘉の言葉に蘇芳が吹き出した。どうやらツボにはまったらしい。宵丸は渋い顔をすると、この天嘉という嫁は見た目以上に手厳しい雌だと考えを改めた。
「蘇芳、あとで青藍とこいこうよ。これもってってさ?」
ちぇー、と口を尖らせる宵丸を無視すると、天嘉は皿を片手に蘇芳を見つめる。
天嘉のおねだりを渋い顔をして受けとめた蘇芳は、不服極まりないといった具合に口を開いた。
「気乗りはせんな…」
「なら蘇芳のはなし」
「なんだと!?俺のために作ったのではないのか!?」
「だからおいらのためだってばー!」
働かざる者食うべからず。天嘉のおねだりを聞けない旦那なんぞに食わす甘味はねえと差し出しかけたそれを遠ざけると、よほど嫌だったらしい。慌てて立ち上がると、がしりと天嘉の手を掴む。
「いこう。いく。いくからよこせ。」
「蘇芳必死にさせる嫁ちゃんすげえな。」
「うちかかあ天下目指してっからな。」
宵丸に適当な返しをすると、ほらよと蘇芳に皿を渡す。ツルバミや宵丸にも配膳を終えると、天嘉はよいしょの横に腰掛けると一口分掬ったそれを口に運んでやった。
「よいしょ!お前自分で食えるだろうが!」
「おいらのどこに手が生えてるようにみえるんだ。あーん。」
「小せえ男だな。いいだろ別に。」
蘇芳ですらしてもらったことない天嘉手ずからの口に運ばれるあーんなど、羨ましいことこの上ない。蘇芳は仰天したまま指摘したが、よいしょは困ったようにのたまうと、美味しそうにぱくりと食べる。
元は落雁だとは思えぬ滑らかなそれにそれぞれが舌鼓を打つなか、天嘉の刺したそれを蘇芳が手で誘導するかのようにぱくりと食べた。
別に構わない。別に構わないのだが、こんな傍目がある場所で何を堂々としているのだこの男は。
天嘉の呆気にとられた顔を気にせずといった様子で、もぐりと口を動かす。その様子がなんとも満足げである。
「蘇芳、嫁ちゃん呆れてんぜ?」
「黙れ居候。嫁の手料理を振る舞う懐の深さを敬え。」
「そう仰ってる時点で蘇芳殿は偏狭でいらっしゃると言うことをご自覚なさいませ。」
「へんきょう…」
「心が狭いということでございますよ天嘉殿。」
ツルバミは難しい言い回しをしては天嘉の反芻に答える。天嘉にとってはある意味リスニングのテストのような気分である。なるほど、偏狭。確かに蘇芳は偏屈で偏狭だ。偏った性癖もすくめれば、ガタガタすぎる性格である。
宵丸に、蘇芳は猫の額ほどの心しか持ち合わせてねえものなあと真顔で言われ、さらに冷気をまとうことになった。
おそらく、そういった言葉を流せないのが蘇芳の子供っぽいところだろうと、天嘉は正しく己の旦那の性格を理解していた。
フォローしてもいいが、バカップルっぽいからやめとこ。そんなことを思いながら無言でよいしょにくず餅を与えていると、ツルバミが微笑ましいといった顔で見つめる。
「ややこがお産まれになっても、天嘉殿なら正しく母となれるでしょうなあ。うむうむ」
「ほんと、甲斐甲斐しいねえ。蘇芳がいやになったら俺んとこおいで。よくしてやるから。」
「ちょっとうるせえから黙っててくんね。」
顔を赤らめる天嘉の後ろで、蘇芳が次のひとくちを狙っていることに気がついているのは、よいしょだけであった。
「カチンコチンなんだけど。」
「いやぁー、とっとけって言うから眺めてたら、気づいたら凍らせてた。ふはは!やりすぎた!」
「チルドじゃん…まあ、持ち運ぶから良いんだけどさ…」
翌日、宵丸に昨日の残りを預かってもらっていた天嘉は、まるでシャーベットのように固く凍ったくず餅を前に、なんてこったと頭を悩ませた。
宵丸いわく、冷やすだけのつもりが、つい美味そうすぎて加減を誤ってしまったとのこと。これじゃあ解凍したところでパサパサだろう。青藍にまずいものを食わせる羽目になりそうなのが残念だ。
うまいこと自然解凍になることを期待して持ち歩くか。
天嘉は諦めたようにそれをそっと籠に入れると、隣にいた蘇芳を見上げた。
「天嘉の手料理だぞ、多少凍ったとて味は変わるまいよ。」
「くず餅一つで大げさな…」
「俺も青藍に会いてえなあ。あの子もかわいいよね。」
「貴様の人妻好きはどうにかならんのか…」
渋い顔をする蘇芳の横で、人妻というパワーワードに天嘉の顔が引きつった。そうだ、俺人妻だったわとようやく理解したらしい。
奥方やら細君やらはようやっと言われなれてきたが、人妻はやばい。なんというか、響きが厭らしい。宵丸がニッコリと微笑んできたので苦笑いを仕返すと、可愛い!とやかましく吠える。どいつもこいつも頭が湧いてんじゃねえかなあと染み染み思った。
そうしてなんやかんやと話し込んでいたらしい。天嘉の本来の目的である、青藍に手土産で謝ろう大作戦は、こんなところで頓挫している暇は無いのである。
蘇芳の服を掴むと、早く連れてけと急かす。嫁のわがままに答えるのが夫の務めとやる気を見せるのはいいのだが、お前の不始末の尻拭いに行くんだけどなあと腑に落ちないながらも好きなように解釈をさせてやった。
「俺ってえらい。」
「げにまっこと出来た嫁である。」
蘇芳に抱きつくと、両腕でしっかりと抱きしめ返されながら飛び立った。付随する羽音は巡回していた十六夜らしい。
羽を広げ、滑空するようにして蘇芳のそばに回ると、相変わらずの生真面目そうな烏面で口を開く。
「お館様。如何されましたか。奥方様の外出は控えると申されていたはず。」
「嫁のわがままでな。」
「ちげえよ旦那の尻拭いだ。」
「…睦まじそうでなにより。」
二人のやり取りに、恐らく天嘉のほうが正しいのだろうと悟ると、お供しますると羽音を立ててついてくる。天嘉の知らない景色が下に広がっているらしいが、あいにく蘇芳の首に腕を回しているせいで見えないのが残念だ。家から空の道を使い、10分程度程だろうか。しっかりとした距離を飛んだ気がする。
ようやっと目的地である青藍の自宅付近についたらしい。そっと林の中に降り立つと、そこは枯れ葉が絨毯のように一面を覆う秋の様相を抱く森であった。
「なにここ、すげえ秋ってかんじ。」
「ああ、ここらは甚雨の縄張りだからな。あいつの好きな季節に染めているのだろう。」
力の強い妖かしは、その縄張りを明確にする為にこうして領域を作るという。蘇芳は特にそこらはこだわりがないらしいが、天嘉はなんとなく、蘇芳がつくるその景色を見てみたい気がした。
色とりどりの落ち葉が道を彩る。栗毛の青藍がここに住んでいるのだ。そんなことを思うと、あの溌剌とした可愛らしい獣の妖かしには、ここはよく似合うと思った。
カサリとした枯れ葉を踏む音がする。蘇芳は天嘉の肩を抱くと、十六夜が前に出る。枯れ葉の降る情緒あふれる景色が歪み、何者かがゆっくりと狭間を縫うように姿を見せる。
立派な灰色の毛並みを持ち、熊のように大きな体躯の四足の獣。山犬と呼ばれるここ一体の主が、榛色の瞳を光らせながら姿を現した。
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