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番ということ

「番い同士はね、本能でわかるのさ。」    ここでね。そう言って青藍は鼻を指さした。  甚雨と青藍は種族が違う。だからこそ気をつけなければならない決まり事が多かった。人型になれば、互いに体格の差はそこまで広がらない。だから行為は人型で行っている。元の姿だと、二周りも違う。体格の大きな甚雨が本性を出す時は、決まって見回りの時や青藍がねだった時であると言う。   「育児も、どちらかが本性を晒した状態で、物心つくまでは行うんだ。自分の親が違う種族だと言うことを理解させなければ、子が戸惑うしな。」 「なるほど、でも松風は見た感じ甚雨さんと同じ種族だよな。」 「ああ、妖かしとしての力の強い方に似るんだよ。見た目は違っても、間違いなく俺の血は流れている。まあ、足は短めだけど。」    松風の獣姿は確かにちまこく愛おしい。短いとはいうが、天嘉からしてみれば甚雨が長すぎるような気がしないでもない。   「本能のままに貪られて、喜ばない奴なんていないのさ。だけどね、それが許されるのは互いに同じ種族か近いもの、嫁になる側が上位だった場合さ。」    そう言うと、青藍は着物の打ち合わせをほどき、うなじが見えるように髪を持ち上げる。背を向けた青藍が天嘉に見せつけた致命傷になりそうなほどの傷跡は、抉られた部分がわかるほど大きな痣になっていた。   「番によってつけられた傷は、番にしか治せない。自己治癒はもちろんできるけどね、番の後悔が刻まれるように、傷跡は一生残るんだ。」  そっと手のひらで撫でるようにして頸に触れた。青藍の頸の傷跡がこうまでして長く残ってしまっているのは、それだけ甚雨が深く後悔しているからだ。妖かしの治癒力を持ってすれば、痕なんて残らないはずのそれは、甚雨の深い心の傷でもあった。   「それに、喜んじゃいけねえってことか。」    青藍の言葉に、天嘉は小さくつぶやく。喉元の包帯に触れ、執着を感じてしまったことに浮き足立った己を恥じた。  傷は浅い。だからこそ気がつかなかった。もし自分が青藍と同じように深く執着を刻まれたら。蘇芳と天嘉の捉え方の尺度は大きく変化してしまう。その差が心の傷として反映されないなんてことはあり得ないのに。  天嘉の表情から、正しく意味を捉えたらしいと言うことはわかった。酷な話ではあるが、これは同じく異種族の番を持つ天嘉だからこそ、伝えねばならぬと思った青藍の優しさでもあった。   「…聡いね天嘉は。そうだよ。喜んじゃいけない。噛み跡が残るのは、後悔の証だ。愛されていると思っても、相手の心の傷になんかなりたくはないだろう。」    青藍は、複雑な思いであの時の言葉を言ったのだ。蘇芳を嗜めて、同時にあの時の自分と天嘉を重ねた。   「甚雨はいい男だよ。だからこそ、俺はあの時蘇芳に俺と重ねるなって言われて腹がたった。」    カチャリと音を立てて、湯呑みに茶を注ぐ。暖かな茶は、心の小さなさざめきを悠揚にしてくれるのだ。青藍から受け取ったそれを、一口含む。今の話の流れで、愁色を濃くした天嘉を案じたのだ。この人の子は、他人の痛みを己がものとして寄り添える心根の優しいものだと改めて思う。だからこそ、青藍は天嘉を友としたのかもしれない。   「蘇芳の一言は、野暮だったよな。」    天嘉は、柔らかな青藍の手のひらをそっと掬い上げる。瞳を揺らした青藍がゆっくりと顔を上げた。蘇芳はそんなつもりで言ったんじゃない。そう言われるのだろうなと、思っていたからだ。   「青藍のこと、懐のでかい男だって、あいつ褒めてたんだぜ。最初からそう言えばいいのに、あいつマジで不器用だからさ。」    甚雨への思いを、試されるような言い回しが嫌だったんだな。天嘉はそう続けると、立ち上がった。身をよせ、青藍の頭を抱きこむと、そのまるく可愛らしい耳を巻き込むかのようにして頭を撫でた。   「自分の好きな気持ちを、他意はなくても計られちまうような言葉は嫌だよな。自分の言葉で表せねえ感情ほど、無理くり形にはめられるように言葉を押し付けられるのは、気持ちが悪いし。」 「天嘉、」 「甚雨さん、青藍のこと大好きだっての伝わるくらいなのにな。青藍の大事な甚雨さんを、蘇芳の一言で悪く言われちまったような気になっちまったんだなあ。」  ごめんな。そっと頬を添えるように、青藍の頭を胸に抱く。暖かくて、やわらかい。天嘉の晴れた日の心地よい日差しのような優しい体温が、心のうちを晒した青藍のささくれ立った気持ちを平たくしていく。    蘇芳自身、他意がなかったのだって青藍は正しく理解をしていた。それでも、甚雨を愛しているからこそ、そう言われたのが腹にすえかねただけなのだ。  あの時、大人気なかったのは青藍の方だった。それなのに、天嘉はうまく言えない青藍の心を正しく理解して、こうして絡まった蟠りを優しく解いてくれたのだ。  青藍の腕が天嘉の腰にまわる。ゆるりと抱きしめ返しながら、蘇芳がみたら怒りそうだと思った。 「蘇芳には、もったいない嫁だなあ。」 「何言ってんだ。俺は青藍じゃなかったらここまでしないよ。」 「嬉しいことを言う。だけど、俺からも蘇芳に謝らないとなあ。八つ当たりしてすまないって。」    苦笑いしながら口にする青藍に、天嘉はいらないと首を振った。   「不遜で言葉数が足りない方が悪いだろ。あやまって青藍の気が晴れるならいいけどさ、俺は良い灸になったと思うけどな。」    あいつ、友達いないから。これからも言いたいことバンバン言ってやって。そう言って笑う天嘉が眩しくて、青藍はきゅうっと口を引き結ぶ。なんだか、少し泣きそうになってしまったのだ。   「なあ、やっぱり蘇芳にはもったいないほどできた嫁だと思うよ俺は。」 「何言ってんだ。俺より青藍のができた嫁だろ。」    そう言うと、よしよしと撫でていた天嘉が青藍の顔を見てギョッとした。   「なんで泣いてんの!ごめんて!やだよ俺甚雨さんに怒られるの!」 「ばか、俺の旦那は蘇芳よりもできた奴だから、そんなことくらいで怒んないって。」    気恥ずかしそうに涙を拭う。天嘉が着物の袖で厭わずに青藍の鼻水も拭うので、良い母になうだろうなあなんて見当違いなことを思う。  からりと扉が開いて、甚雨が顔を出す。泣き顔の青藍には慣れているのか、嫁がすまないなどと良いながら、そっと中に入ってきた。   「泣かすつもりは、微塵もなくて…」 「いや、よく泣くのでな。青藍、松風が寂しがっている。お前も表へ出てきなさい。」 「甚雨じゃ役不足だってよ。」    ふざけて肩をすくめた青藍と共に、天嘉も外に出ると、松風がメソメソしながら蘇芳に抱き上げられていた。  どうやら楽しく遊んでいたらしいのだが、やはり母が恋しかったらしい。蘇芳の黒髪を引っ張りながら、腕の中で身を逸らして大泣きしていた。   「あーあーあー、悪いね蘇芳。天嘉かりちまって。」 「青藍、俺も悪かった。反省したから松風をどうにかしてくれ。転んでからずっと泣いている。俺にはあやせない…」    げっそりした蘇芳が、まるで救世主を見るかのような目で青藍を見る。どうやら甚雨もあやそうとしたのだが、おっとうじゃないとすげなく断られたらしい。このままじゃまずいと思った甚雨が、そそくさと呼びにきたのはその為らしかった。   「どうした松風。おっかあに可愛らしい笑顔を見せておくれよ。」 「おいらも、てんちゃんとおっかあとが良いよう。おっとうも蘇芳のおじちゃんも、抱っこが下手なんだ。」 「おやまあ、贅沢な悩みだなあそれは。」    あはは、と楽しそうに笑った青藍が、おじちゃん呼ばわりされて、珍妙な顔をした蘇芳の顔を見て小さく吹き出す。このお山の総大将相手におじちゃん呼ばわりとは、我が息子ながら実に良い根性をしている。   「気にすんなよ。松風からしてみたら、俺も蘇芳も十六夜も、おじちゃん扱いには変わんねえんだからさ。」 「然り。あまり大人気ない表情を晒すのは恥の上塗りですよお館様。」 「…実に将来が楽しみな童よな。」    蘇芳の重々しい一言に天嘉が堪えきれずに吹き出す。肩を震わせながら口を押さえて笑いを止めようとする天嘉を、松風が泣き止んだ顔でキョトンとみていた。     

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