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外界、再び。

「あれ、っかしいなー…たしかこの辺にあったはずなんだけど。」 「おいらは知らないぞ、天嘉が外に出してたのは知ってるけど、その後の行先まではわかんない。」 「なくてもいいんだけど、あると助かるんだよなあ…」    天嘉が少しだけ素直になったあの日から数日が経ち、夫婦仲についても、今のところは問題はない。本日蘇芳は一日休みらしく、布団に寝転びながら嫁の忙しない様子を眺めていた。   「何を探しているんだ?」    天嘉がよいしょをひっ繰り返しながら、少ない荷物を散らかしてウンウンと唸っている。  ああでもないこうでもないと独り言を言うものだから、蘇芳は手持ち無沙汰でつまらなかったのだ。   「財布、ここじゃ使えねえけど、前に居た場所の通貨が入ってるんだ。」 「ふむ、銭か。それは確かに困るが…、なんで今更それを探す?」 「なんでって…、」 「天嘉は充電器が欲しいんだ!」 「充電器?」    ニコニコとして宣うよいしょに、蘇芳はなんだそれはと言う顔をする。  聞き慣れない珍妙な言葉だ。よいしょが知っていて蘇芳が知らないと言うのはなんとなくいやだ。蘇芳は説明を求めるように天嘉を見ると、仕方ないなあと言う顔で言う。   「ねえじゃん、ここ。コンセント。」 「こん…なんだ。」 「だから買うとしたらソーラー充電ができるものがいいよなあ。」 「そう…そうら、」    早漏だろうか。蘇芳は小難しい顔をしながら首を傾げると、太陽光発電だと説明された。   「スマホお亡くなりになっちまったしよ、まあWi-Fiねえし電波みつけんの苦労するんだけどさ。」  現代っ子はスマホねえときちいよな。そんなことを言いながら着物の合わせ目から電源の落ちたスマホを取り出した。一番楽なのはよいしょのように付喪神になってもらうことなのだが、鬼火はこの板には興味がないらしい。まあ、どちらにしろ外界では色々と買いたいものもあるし、天嘉は十六夜と蘇芳を引き連れて外に出向くつもり満々であった。   「どこいっちまったかなあ…、あ、もしかしてボディバックの中…。」    わからないが、なんとなくそんな気がする。天嘉はよいしょのファスナーを締めると、わたわたと玄関の間に吊るしてあるボディバックを改めるべく、慌ただしく奥座敷を出ていった。   「…俺はまだ外界に出向くことを許したわけではないのだが…」 「おいおい、狭量なこと言うんじゃないよ。天嘉の様子を見たろう?あれはいく気満々だね。オイラはそっちにかけてもいい。」 「む…、しかしな…」    渋い顔をする蘇芳のところへ、ボディバック片手に天嘉が駆け寄ってきた。ホクホクとした顔で、なんだか二つ折りの革製品を持ってきたかと思うと、寝転がっている蘇芳の向かい側に膝をついて覗き込む。  着物の合わせ目からチラリと覗く白い胸元が目に毒だ。   「蘇芳、行きたい!行かせてくれるって言ったろ、なあ、俺と行こうよ!だめか?」 「イかせる…、などと」 「え、あれ嘘だったのか…?」 「ぐう…、」  天嘉が可愛らしくおねだりなんぞするせいで、蘇芳は下半身が兆してしまいそうになった。なんだイきたいって。あざとすぎるだろう。この嫁は自身の愛らしさをなんだと思っているのか。眉間に皺を寄せたまま思い悩む蘇芳を前に、天嘉は押せばいけると確信した。   「もちろん怖いことはしねえし、都会に出てえなんて我儘言わねえよ。買うもん買ったらすぐ帰る。なあ、だめ、だめか?」 「決して俺から離れぬと誓うか…。」 「え、いいの?」 「…嫁の頼みに答えぬなどと、男が廃ることはしない。ただし、」 「十六夜もついてきてくれるって言ったから平気!」 「………。」    ただし、腹心である十六夜も共につけるのだぞと言おうとして阻まれた。なんと言う手際の良さ。天嘉がニコニコしながら立ち上がり、奥座敷の襖を開け放つ。   「蘇芳がいいって言ったからついてきてくんね!」 「それは誠にようございました。無論、お供いたしますとも。」    庭に大きな羽を畳んだ十六夜が、武士のように膝に手を置いて控えていた。  まるで二人して謀をしていたかのような十六夜と天嘉の連携に、蘇芳は思わず額に手を置いて、頭が痛そうに顔を歪める。  一体いつからそこにいた。どうやら屋敷の敷地内では、命令に従う優先順位は、蘇芳よりも天嘉の方が上らしい。  仕事のできる優秀な腹心である鴉天狗の十六夜は、どうやらこちらの立ち回りもうまいようである。否やはありませんと言った具合に頷くと、そうと決まればと袂から巻物を取り出した。    「この十六夜、奥方様の護衛及び潜入任務を滞りなく遂行するべく、今日のこの日に向けて、しかと心得を学んでまいりました。謹んでお受けいたしまする。」    三つ指をついてゆっくりと頭を下げる様子に天嘉はポカンとしていたが、十六夜が外界について並々ならぬ憧れを抱いていたのを知っていたこともあり、かしこまりすぎる十六夜の様子も仕方がないかと、天嘉は苦笑いで流す。  十六夜は、きっと現代風に例えると初めて海外旅行に行く観光客気分なのだろうなあと思う。天嘉はニコリと笑うと、くるりと蘇芳に振り向いた。   「じゃあ、行こっか。」  それはもうとびきりの笑顔で宣うものだから、賛成をするようによいしょの呑気な行ってらっしゃいを背中で受け止めると、蘇芳はぎこちなく頷いた。                 御嶽山表面、登山道の入り口に向かって歩みを進めるのは、随分と軽装で細身の青年だ。山頂まで蛇のように伸びる道の端を、使い倒したボディバック一つで散歩するように降りていく。  じゃりじゃりとした足音を立てながら、漸く登山道入り口まで降りて来ると、山の鳶がヒュルリと鳴いた。  バサバサと後を追うようについてくるはぐれ鴉が、頭上の電線で羽を休める。まるで警戒をするようにあたりに鋭い視線を巡らせると、何か気になったのだろうか、青年が手で庇を作るかのようにして空を見上げる。    なんだか少し、ゾッとするような美しさを感じる青年だった。    すみません、少し掠れた耳心地のいい声が、朝の巡回をしていた警官に声をかけた。   「あんた、なんだか見ない顔だけど、最近越してきた子かい?」    この山間の街に勤めて長いが、男はこんな綺麗な子を見たのは初めてだった。  ここら辺はとても長閑で、都会からはスローライフを送りたいからと移住してくるものも少しずつではあるが増えてきた。もしかしたらこの子もそうなのだろうか。年老いた警官は眼鏡をかけ直すようにして見つめると、青年は照れ臭そうに微笑んだ。   「最近移ったばっかで勝手がわかんなくて…、ここらにホームセンター的なとこってありますか?」 「ああ、それならこの道をまっすぐに行くとあるよ。キャベツ畑があるだろう、その先だ。建物がでかいから、迷わないと思うよ。」    人懐っこい青年に、思わず頬が緩んだ。ここの街の者は皆顔見知りで、こうして道を聞かれることもない。久しぶりに警官らしいことをした気がして、少しだけ気分が良くなった。   「田舎で、なんもないところだけどね。ここは長閑で住みやすいよ。」  ヒュルリと鳶が鳴く。まさかこちらまで降りてくるなんて珍しいこともあるものだと見上げると、困ったような顔をして青年も見上げている。鳴き声が聞き慣れないのだろうか。  老婆心で一つだけ小話でもしてやろうと思い、口を開いた。   「鳶という鳥だ。とても美しい声で鳴くだろう。この鳥はね、御嶽山の主の化身とも言われているんだよ。」 「主の化身?」 「古くからこの山には大天狗がいると言われていてね、この山が荒れないのも、天災から麓の小さなこの町を守ってくれているのも、全部その天狗がいるからだと言われているんだよ。」    この年老いた警官の話は、この周辺に伝わる古くからの伝承のようなものだった。若いものは軽く流すような古い言い伝えを、なぜだか目の前の青年は面映そうにして聞いていた。   「その話、なんかいいね。」 「なんもないところだけどね、ロマンがあるだろう。」 「うん。あ、」 「おやあ、懐っこい鴉だ。」    相槌を打つように話し込んでいると、まるで割込むようにして一羽の鴉が舞い降りた。地面を跳ねるようにしてこちらに近づいてくると、その首を傾げるようにして見上げてくる。  警戒心が強く、頭の良い鳥だ。こうして山の鴉が人馴れしているなど珍しい。思わず目線を送ると、まるで何かを語りかけるようにカアと鳴いた。   「おじさん、ありがとね。俺そろそろ行くわ。」 「ああ、引き止めてすまなかったね、気をつけて。」    きた時よりも少しだけご機嫌な様子の青年と別れを告げる。なんだか道を聞かれただけなのに、こんなに話し込んでしまうとは、不思議な魅力のある青年だ。  自転車のハンドルを握り直す。さて、今日も変わらずに平和な町の巡回だ。目の前に座す霊山が、今日も見事に聳え立っている。カロカロと自転車の車輪の音を立てながら、あの青年とまた話してみたい。そんなことを年甲斐もなく思った。   「今日はやけに鳴くなあ。」    鳶がヒュルリと三度鳴く。日差しに反射したせいだろうか。上空を優雅に回る鳶の姿が、不思議と金色に見えた。      

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