59 / 84

災い転じて

「み、みずはみ…?」 「おじちゃんではなく、水喰だ。」    あれから水喰は幸を腕に抱くと、まずはおじちゃん呼びからの脱却を図った。蘇芳は天嘉の肩に羽織をかけてやり、体に傷がないかを確認しながら二人のやりとりを聞いていた。   「これ、なあに?」 「龍鱗だ。お前の手のひらは熱いな。」 「ごめんなさい…」 「謝るな。嫌ではない温もりだ。」    全く、驚くべきことである。あの偏屈が心を許したのがまさかの元亡者だとは誰が予測しただろうか。蘇芳は若干呆れ気味で水喰を見ていたのだが、今回の立役者である天嘉はというと、児ポルじゃねえかな…などと、またよくわからないことを宣いながらも、しっかりと蘇芳の手を握りしめていた。   「なあ、水喰が寂しがり屋だって知ってたか?」 「知るわけないだろう。あの唐変木が稚児趣味だというのも今知った。」    天嘉はというと、水喰が神だというのにしょうもない奴認定をしたらしい。早速呼び捨てで呼んでいる。幸は幸で、もう怖くはないらしい。水喰の首に抱きつくと、天嘉の方を向いてゆるゆると手を振っていた、可愛い。   「子が生まれても、お前ならきっといい母にになれるな。そう確信した。」 「なんだよ急に、てかどうやって戻んの。水喰にこのままついていけばいい感じ?」 「ああ、家の池に繋がる場所まで案内してくれるらしい。」 「まじでか。」    そんなやりとりをしていると、急にぴたりと水喰が足を止めた。足元に広がる水の揺らぎを感じ取ったらしい。そっとその紫の瞳で歩んできた道を振り返る。   「…敵襲だ。」 「何?」    水喰の言葉に、蘇芳の気がざわりと騒ぐ。天嘉が思わず蘇芳の手を握りしめると、それに答えるようにばさりと大きな羽を出し、華奢な身を護るかのように引き寄せた。  ピキ、と亀裂が入るような音がした。天嘉はこくりと喉を鳴らすと、その音がする通路の奥を真っ直ぐに見つめる。呼気が徐々に白くなる。寒い。まるで芯から冷えてしまうような、そんな心地である。まるで滑らかな薄玻璃が覆っていくように壁に氷が走り出す。  水喰が目を細めると、そっとその手のひらを真横に切った。 「うわ、っ」  ぶわりと襲いかかるような白い冷気とともに、水喰が作り出した水幕が瞬時に凍って砕け散る。キラキラと舞う氷粒が美しく光を反射しながら飛び散ったその瞬間、恐ろしいほどの冷気を纏った宵丸が氷の薙刀を片手に襲いかかってきた。 「っ、宵丸!」 「な、っ!嫁ちゃん!」  水喰の手のひらが宵丸の薙刀をがしりと掴んだ。いつの間にか蘇芳達よりも前に出ていた水喰は、その左腕を凍らせながら静かに宵丸を見上げる。 「蘇芳の子飼いか。不躾な訪問であるな。」 「おいこら、うちの嫁ちゃんと蘇芳かえしてもらうぜ!」 「今から返すところにお前が来たのだたわけ者。」 「え、そうなの?」  きょとんとした顔で宵丸が蘇芳を見た。  頭の痛そうな顔で、蘇芳がコクリと頷くのを見ると、宵丸はマジかよ~と情けない声で呟いた。 「おじちゃん、酷いことしないでぇ!」 「うわっ、さっきのがき!」 「みずはみさまのうでなおしてえ!」 「うわっばかくるな!お前まで凍っちまうぞ!」  うわあんと泣きながらこちらまでかけてきた幸に、宵丸は慌てて纏っていた雪風を解いた。  小さな幼子は宵丸の脛をべちべちと手で叩く。痛くはないのだが、なんだか自分が幼子を虐めたような気持ちになってくる。  ちんまい手のひらが霜焼けで赤くなってしまうと、宵丸は言わんこっちゃないと顔を顰めた。 「あーあー、ほらいっただろうがっ、と、」 「幸に触れるな。」 「ああ!?」  しゃがみこんで手のひらに触れようとした宵丸と幸の間を隔てるように、ばしゃりと水が壁を作った。無論水喰の仕業であり、半べそで幼い反撃をする幸の両脇に腕を差し込むと、ひょいと抱き上げる。  労るかのようにその幼い手に触れた水喰は、大きな手のひらで幸の手を包み込んだ。  天嘉はきょろりと蘇芳を見上げると、やはりその水喰の行動に驚いていたらしい。変なものを見るような目で見つめていた。 「なあ。鴨丸とツルバミは?」 「うん?あー‥えへへ」 「いやえへへじゃなくてさ」  天嘉の疑問に何故か照れ笑いでごまかす宵丸に、蘇芳ははたと気がついた。 「貴様またか。ツルバミに怒られても知らぬからな。」 「えー!!仕方ねえじゃん戦えんの俺だけだったしさー!!」 「え?でツルバミと鴨丸は?」  呆れた顔で宵丸を見つめた蘇芳が渋い顔をすると、宵丸は酷く言いづらそうにしながら事の顛末を語りだした。  いわく、ツルバミが勇み足で滝壺に入ったまではよかった。しかし祠の中を覗き込んでも、透明ななにかに隔てられており中に入ることはできない。途方に暮れたツルバミが、再び泳いで水面から顔を出して事情を説明すると、宵丸はならばと水面に手を突っ込んで氷を侵食させたらしい。ツルバミが中にいるのにだ。 「え?ツルバミは?」 「凍ってねえよ!鴨丸が慌てて引き上げた!まあ、いまは冬眠中?」 「気絶っていうんだよばか!!」 「いってえ!!」  スパァンといい音を立てて天嘉の平手が宵丸の頭に決まった。いわく、ツルバミは鴨丸の背にくくりつけられて戦線離脱したらしい。カエルは寒くなると冬眠すると聞くが、ツルバミもまた同じということである。天嘉は心配こそしていたが、ツルバミのようなカエルの妖かしも、生態に準じるのだなあなどと妙に感心してしまった。  蘇芳は相変わらずお前は後先考えぬ奴よなあと諦めた顔をしているが、問題はそこではない気がする天嘉であった。  水喰に案内されて繋げられた通路は、確かに家の池まで続いていた。幸は嬉しそうに、遊びに来てもいいかと聞いてきたので、きちんと水喰に送り迎えをしてもらうなら良いよと天嘉は幸に言い聞かせる。 「みずはみさまといっしょに、あそびにくるねえ」 「俺もか。」 「てんちゃんとさちとあそぼ?」 「…気が向けばな」  幸のペースにのせられた水喰は初対面よりもだいぶ取っつきやすくなった。天嘉はふと気になり、亡者を探していた牛頭と馬頭にはどう説明をしたらいいかと聞くと、どうやら取り逃がしはままあることらしく、水喰はそんなもん知るかで一蹴していた。 「せいぜい叱責で済むだろう。幼子の亡者など逃げたところで実害はあまりない。魅入られなければな。」 「なんか言い方に棘があるな?まだ拗ねてんの?」 「拗ねていない。」  うそこけ。天嘉の白けた目が蘇芳を見上げる。ツーンと顔を背ける様子から思うに、やはりまだ納得はしていないようだ。まさか幼児との間に確執ができるとは思わなかったが、天嘉は幸の前にしゃがみ込むと、両手を広げた。 「う、」 「おいで。」 「うん…」  天嘉の腕の中に、幸が遠慮がちに歩み寄ってきた。不安が残る小さな子は、こうして抱きしめてやるのが一番だということを天嘉はよく知っていた。  よしよしと頭を撫でてやると、幸は頬を染めながらおずおずと顔を上げる。 「あかちゃんうまれたら、さちもあいたい」 「会いに来てくれよ。んで、友達になってやって」  幸は嬉しそうにコクリと頷くと、まるで己の気持ちをすべて差し出しますといった具合に、天嘉の手を握って言葉を紡ぐ。 「いいよぅ、あと、さち大きくなったらてんちゃんとめおとになりたい」 「めおと?」  聞き慣れない単語に首を傾げると、ぎょっとした蘇芳が慌てて口を挟む。 「それはならぬ!」 「幸、それは許さない」 「うわうるせえ、なんだ二人して。」  水喰も蘇芳もまさか声が重なるとは思わなかったらしい。思わず互いに顔を見合わせると、二人の中で何かしらの協定が結ばれたようである。  互いに頷くと、微笑ましいやり取りをしている幸と天嘉を引き離すようして抱き込んだ。  どうやら水喰も僅かながら幸に対しての独占欲のような物が生まれたらしい。  それはとてもいいことなのだが、とうの幸はと言うと、やだぁー!とジタバタと暴れている。水喰の真顔の対比から見るに、明らかに絵面が誘拐じみていて天嘉の顔は引き攣った。 「ま、まあなんだっていいけどさ。幸まかせんだから優しくしてやれよ。」 「言われなくとも。」  水喰に抱かれたまま愚図る幸を見送る。勝手知ったる様子で人様の池に道標がわりの印を刻んだかと思うと、水喰の足元からぼこぼこと湧き出るようにして水を出現させ、その身を覆う。全く登場も派手だったが、帰り際もなかなかである。  天嘉は水浸しになった池の周りをなんとも言えない顔で見ていると、天嘉の頭の上に蘇芳の顎が突き刺さった。 「あいてっ」 「全く、巻き込まれ体質もここまでくると清々しいな。」 「あんだよ、また拗ねてんの?」 「腹の子が生まれるまで、一番は俺でないと困る。」 「それ、真顔で言っちゃうんだもんなあ…」    蘇芳の不機嫌な物言いはもう慣れたものである。天嘉は苦笑いをすると、頭を顎下から逃し、蘇芳の顎下を擽るようにして甘やかす。  犬猫のような扱いをしているというのに、蘇芳は構ってもらえるとわかったらしい。いともたやすく機嫌を直し、後ろから天嘉を抱きすくめる。   「まあいい、今回のぴくにっくとやらは天嘉によって中断されたからなあ。やはりここは体で払ってもらわねば帳尻が合わぬ。今晩は覚悟しておれよ天嘉。」 「マジかよ…」 「まじだ。」    一難去ってまた一難。こうして天嘉は、幸が羨ましかったらしい蘇芳によって、顔から火が出るようなえらい目にあうのだが、それはまた後日語りたいと思う。 

ともだちにシェアしよう!