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蜜月

「いやだ。」 「嫌と言われてもな…。」    青藍が帰った後、天嘉は薬が効いたこともあり、割としっかりと惰眠を貪った。蘇芳は寝ている間も甲斐甲斐しく、額に当てていた濡れ布巾を変えたり、寝汗を拭ってやったりしていたのだが、少しだけ熱が下がったかなという頃合いを見計らってそっと起こして風呂に行こうと誘ったところ、冒頭のように拒絶された次第であった。   「また腹をみられたくは無いとか、そういうのか。」 「ちげえ、痛そうじゃん…お湯…。」 「す、すまん…」    あ、いや全然いいんだけどさ。天嘉はなんとも言えない顔をして否定をすると、肩口に巻かれた包帯に触れながら、指で軽く押してみた。  眠気を取り払うかのような、鋭い痛みで目が覚めてしまうようなことはもう無いが、やはり押すと鈍い痛みはまだあるのだ。  衣擦れの音を立てながら、蘇芳の目の前で寝巻き代わりの浴衣を脱いだ。脇腹の傷口に当てていた布が少しだけ赤く染まっており、蘇芳は居た堪れなさそうな顔をしながら、また一言すまんと謝った。   「今朝方よりもいいよ、なんなら引き攣れたような痛みもねえし。」 「包帯を外そうか。具合を見て風呂に行くか決めよう。」 「うん、…俺汗臭いかな?」 「俺は興奮するからなあ、一向に構わないが。」    そういうことじゃねえんだよと思ったが、蘇芳は天嘉の呆れた視線などなんのその、丁寧に巻かれていた包帯を外していくと、傷口にあてがわれた布をそっと剥がす。  血が凝固して、パリパリと皮膚に張り付いたものを剥がされる感覚はざわざわしたが、恐る恐ると言った具合に、丁寧すぎるほどの手つきで布をつまむ蘇芳の真剣な顔つきが面白くて、天嘉は少しだけ息を潜めるようにしながらその様子を見つめた。   「おお…、」 「え、何その反応。グロい?」 「ぐろ、なんだそれは。強いていうならお前の乳首のように桃色だ。」 「やめろ傷口で興奮すんじゃねえ。」    蘇芳の言い分が露骨すぎて、恥じらいからか天嘉の口調が少しだけ荒くなる。蘇芳はその滑らかな肩に刻まれた、己が原因の傷口をそっと撫でると、どうやらむず痒かったらしい。人差し指で際を掻くようにして天嘉が傷口の周りを慰める。  傷口の淵が赤く染まっていて、なんだかとてもいやらしい。そっと肩口に顔を埋めると、その傷口をべろりと舐めた。   「ひゃ、っ…や、やめろってば…」 「肉の淵が赤く爛れていやらしい…。どれ、腹の傷も見てやろうな。」 「その流れで見られるの、嫌な予感しかしな…っ、うぁ、」    脇腹の当て布を剥がされ、思った以上にこちらは擽ったかった。天嘉はひくんと肩を揺らすと、蘇芳がその整った顔に愉悦の色を宿す。性格の悪そうな顔がとてもよく似合う。こういうのをサディストというのだろうなあとそんなことを思った。   「ああ、こちらはまだだな。くぼみは消えたが、皮膚がまだ張っていない。」    天嘉の脇腹には、蘇芳が掴んだ時に食い込んだ鉤爪の痕が残っていた。一体何をしたらこんなところに痕がつくのですかとツルバミからはドン引きされたが、褥に散らばった黒く大きな羽を見て納得したらしい。お戯れもほどほどになどと嗜められて、顔から火が出るかと思ったのだ。   「白い肌によく映えるな。痛々しいが…、少し面映い。」 「嫁の体傷つけて喜んでんの性格悪いぞ蘇芳。」 「反省はするが興奮はしないとは言っていない。」 「なんですぐ開き直っちゃうんだお前は。」    ふんすと堂々たる面持ちで宣う不届きものが己の旦那とは恐れ入る。天嘉は呆れ混じりにため息を吐くと、恐る恐る傷口を見た。  確かに桃色の爪痕が腰を挟むようにして刻まれている。まるでヤりましたと言わんばかりの傷跡だ。鬱血痕なんて可愛いものである。   「滲みるかな?」 「恐らくは。まあ、俺も入る。お前は身を任せて居れば良いだろう。」    時刻はわからないが、もう外は暗い。天嘉は夕飯も食らわずにいたのに、不思議と腹は減っていない。蘇芳によってどうせ脱ぐからと衣服を剥ぎとられた。あんなに晒すのを気にしていた腹も、褥での所有物扱いを受けて吹っ切れてしまった。  蘇芳が望んで天嘉を孕ませたということを改めて理解したら、なんだか全てどうでも良くなってしまったのだ。もちろん、いい意味でだが。    そっと壊物を扱うように抱き上げられる。天嘉はもう慣れたもので、その首に素直に腕を回すとそっと身を寄せた。   「なんかさ、」 「うん?」 「お前が全部俺を管理してくれてんだなあって思うと、ほっとする。」    肩口に頭を乗せて蘇芳の首元の匂いを嗅ぐ。ああ、落ち着くなあ。天嘉は膨らんだ腹を撫でながら蘇芳に抱かれるがままに大人しくしていたのだが、一向に蘇芳が動かない。なんだ、一体どうしたというんだ。不思議に思って蘇芳の顔を見やれば、そこには面白いくらいに顔に紅葉を散らした蘇芳が、何かを堪えるかのようにゆっくりと深呼吸を繰り返していた。    外はもう夜だ。月が真上に来ていて、表に出るのを躊躇ってしまうような暗さである。  だから蘇芳のその珍しい顔色もまじまじと見ることはできなくて、天嘉はなんだか少しだけ勿体無いなあと思う。  ぺたりとその手を蘇芳の頬に添えて顔を向かせる。天嘉の手のひらから感じるほどに顔が熱いらしい。悔しそうにしながらも、未だ照れている可愛らしい番いの唇にそっと吸い付くと、蘇芳は目を丸くして動きを止めた。余程仰天したらしい。バサリと大きな翼を生やして喜ぶものだから、天嘉はそれが面白くてケラケラと笑った。              昨日の夜は随分とお楽しみでしたね。などとツルバミに言われてしまうほどに盛り上がってしまった。  結局あの後兆した蘇芳の相手を軽くしてやったのだが、挿入は伴わないにしてもえらく泣かされてしまった。まったくあいつの性技はどこ仕込みだ。天嘉は噛み跡とは違う赤い鬱血痕を首筋やら胸周りに散らしながら、罰が悪そうに布団の上で胡座をかいていた。   「湯治に行かれるとのことですが、まあその痕だらけじゃいい晒し者ですなあ。」 「俺のせいじゃねえもの。」 「ええ、これはひとえに理性がぼろぼろの蘇芳殿のせいで御座いましょう。しかしまあ、天嘉どのも安易に煽られるのはよろしくはありませんが。」    ゲコゲコと小言を言いながら、ツルバミは丁寧に天嘉の傷口に薬を塗り込んで、包帯を巻いてくれる。カサついている人間の手のひらよりも、ツルバミの手のひらで薬を塗ってもらうとそこまで痛くは無いのだ。ツルバミは冗談で、がま油が効いているのかもしれませぬと笑っていたが、天嘉はそれを信じているふしがある。   「さて、蘇芳殿は何やら張り切っておいでですよ。全く、夫婦になってからの蜜月が湯治とはいささか色気に欠けますが、まあ天嘉殿に情緒を求めるのも、ねえ…」 「おい何ディスってんだコラ。」 「おや私としたことが。」    ぺたりとちんまい手で口を押さえたツルバミが、いやはや、まあ致し方ありませんなあと誤魔化しながら塗り終えた薬瓶を片していく。天嘉は蜜月ってなんだと思いながら、はだけた浴衣を着直した。   「どうだ、こちらは準備ができたが…。出れそうか?」    湯治に行くための着替えなどを用意してくれた蘇芳が、天嘉の抱っこ紐片手にひょこりと顔を出す。どうやらウキウキしているようで、その顔はとても有頂天ここに極まれりといった様子である。  天嘉は今行くと告げると、浴衣の上から羽織れと言われた大きめの茶葉織を着る。これは蘇芳のものらしく、葡萄茶色の深みのある色合いであった。伊達男である蘇芳が着るとよく似合っても、天嘉が着ると馬子にも衣装である。単なる茶羽織なのに。   「お前が着ると可愛らしいな、やはり私物を着せるというのは今更ながらに興奮するものがある。」 「出立前から先が思いやられることを申しますな。天嘉どの、湯治ですからね、湯治。くれぐれも無理をなさらぬように頼みますからね。」 「わかってるよ…。」    蘇芳殿の手綱もしっかり握るのですよとつけ加えられた。ツルバミにしっかりと念は押されたが、今からマジの手綱、というよりも命綱を握るので、天嘉は握るものが沢山であった。   「マジで安全飛行で頼むわ。怖いっていたら低空飛行でお願いします。」 「お願いされても聞けぬ時もあるからなあ。」 「耳を貸す努力は怠るんじゃねえ。」    先行きが不安すぎる。天嘉は若干顔色を悪くしながら蘇芳の首に抱きつくと、手際よくその体を紐でくくりつけられた。がしりと男らしい腕が天嘉の体に回って軽々と持ち上げる。いわゆる駅弁のような抱えられ方にぎょっとした。   「嫌だわこの抱き方!」 「わがままを言うな。これが一番飛びやすい。」 「ヒェ…」    バサリと大きな羽で木っ端を吹き飛ばしながら数度羽ばたいて浮かび上がる。天嘉は地面から浮いた浮遊感が怖くて、蘇芳の首に回す腕の力をやや強める。腰に絡めるようにして足でも抱きつくと、蘇芳はニッコリと微笑んで一息に飛び上がった。    目指すは獄都である。こうして蘇芳と天嘉の初めての蜜月とあいなった。  ツルバミはいつも以上に張り切って羽ばたく蘇芳と、情けない悲鳴をあげてしがみついた天嘉が見えなくなるまで見送ると、あの飛び方は絶対に下心しかないだろうなあと、鋭い侍従頭はしっかりと己の主人の悪癖を見抜いていた。 

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