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牛頭と狢

 八大地獄の真上にある大歓楽街、獄都。ここは妖かしたちの観光スポットでもあるせいか、見慣れぬ妖かしやら休暇中の獄卒等で随分と賑々しい。  あの黄泉路への赤橋は渡らないのかと蘇芳に聞いたところ、観光で入るのと呼ばれて迷い込むのでは勝手が違うらしい。  天嘉が馬頭によって連れ去られそうになったときは、帰る道が閉ざされる可能性が強い地獄直行ルートだったという。恐ろしいことである。 「三途を渡るように、獄都への観光は黄泉路へと繋がっている川の上流を横切るのだ。」 「へえ、なんかそういう仕組みになってんのなあ。」  親指を隠して渡らなければ獄都へはいけないらしい。なんでかと聞いたが、そういうものだとしか蘇芳も知らなかった。  いわく、随分前からこういう決まりだという認識が広まっているようである。 「雌、それはあれだ。親指から魂が出入りするからよ。」 「うわっ!」 「む、お前か。」  にゅっ、と蘇芳と天嘉の間に白骨の手が現れ、びくりと身を跳ねさせた。思わず天嘉が蘇芳に飛び付いて振り向くと、その反応に満足したらしい。楽しそうに白骨片手にけたけたと笑っている牛頭が、見知らぬ中性的な美人を伴って現れた。 「よう雌!なんでここにいんだ。死んだのか?」 「まってツッコミどころが多すぎる。」 「あん?またわけわかんねえこと言ってんなあ。」  天嘉は頭が痛そうな顔で牛頭を見る。というか、死んだのかとはずいぶんな言いようであるが、そんなことよりもまず牛頭の格好の方が天嘉には気になった。 「なんで白骨持ってんの。」 「俺ぁ巡回中でな。夜這いしやがった骨女の馬鹿を御用改めってひっつかまえてきたばかりよ。」 「ああ、お前は獄都では岡っ引きか。」 「おうよ、ここの平和は俺らが守るってな。」  どうやら牛頭が背負っている箱の中には、夜這いをした骨女が入っているという。時折籠の中から引っ掻く音がするのはそのせいか。  骨女の引っこ抜いた手を孫の手のように扱う牛頭も牛頭だが、その着流しを着ていても牛の骨は被ったままで、そこは譲れないようである。次いで、天嘉がちろりと背後の美人を見つめる。なんというか雰囲気のある妖かしだ。天嘉と目が合うと、柔らかく微笑まれた。 「えーと、」 「ん?ああ、こいつは獄卒の狢。俺のオンナ。」  狢と呼ばれた眉の無い美人はどうやら牛頭の恋人らしい。切り揃えられた黒髪を片耳にかけた狢は、静々とお辞儀をした。 「狢と申しんす、牛頭がお世話になっていんす。」 「あっ、はい。いや、ぜんぜん。」  狢は妖艶な美しき男であった。甘く掠れた声でゆるりと微笑むので、天嘉は少しだけ気後れする。ようするに、狢がべっぴんだったのでどこを見ていいかわからなかったのである。  先程の牛頭への態度とは違い、なんだか照れくさそうな天嘉の様子を見た牛頭は、にっこりと笑って狢の腰を引き寄せる。 「びびんなって。こいつ、獄卒のなかで俺らの次に強えから。」 「嫌だよ主様、余計なことを言んせんで。」 「わりいな。逢引中に捕物があったからな、機嫌損ねてたんだけどよ。もう大丈夫そうだわ。な?」 「客人の目の前まで駄々を捏ねるほど、あちきは子供ではありんせん。」 「ほう、そうかい?ずっと拗ねてたくせによく言うぜまったく。」  狢はむすくれた顔で牛頭を見る。なんだか二人の雰囲気は熟年夫婦のような様子であり、牛頭も狢を大切にしているようだった。若干尻に敷かれているようだが、それでも二人のやり取りは観ていて楽しい。天嘉は聞き慣れぬ狢の優艷な言葉遣いにぽかんとしながらも、狢が気になるのかソワソワとしていた。 「俺達は蜜月中でな。世話になることもあるだろう。獄都滞在中はよろしく頼む。」 「おやまあ、羨ましことでありんす。どうぞこちらで楽しんでくんなまし。」 「くんなまし…?」 「おや、主様は郭言葉は存じんせん?」  きょとりとした天嘉の様子に反応したのは狢で、あちきは遊郭におりんしたからと言葉を続ける。なるほど然りと天嘉が目を輝かせて頷くと、ようやく狢の妖艶さの理由がわかった気がした。  郭言葉は遊郭のものが使うと蘇芳に教わると、もしやこれが噂の花魁かと期待をしたような目で天嘉が狢を見上げる。悔しいことに、この四人の中で一番背丈が低いのは天嘉であった。  牛頭が天嘉の反応に吹き出すと、もう一度背負ってる箱を白骨の手で叩く。 「狢はそこの妓楼出身でな。そこでの捕物だったんだ。だから忍ばせんのには丁度いいだろうってな。」 「出戻りかと揶揄われて腹がたちんした。あちきの堪忍袋の緒がちぎれる前でよござんしたなあ、主様。」 「おおこええ。」  狢がしなだれかかるように牛頭に身を寄せると、黒い爪で顎をなぞるように触れる。引きつった笑みを浮かべる牛頭の様子に、狢は爪に毒があるんだと教えてくれた。  牛頭の反応に満足したらしい。狢が天嘉に向き直ると、ちろりと体に巻かれた包帯を見た。天嘉にとってはなんでもないのだが、やはりその見た目は尋常ではないらしい。そのことは牛頭も同じなようで、やはりそこは突っ込まれた。 「蜜月が湯治とか趣味を疑うぜ。」 「いや、というかお前らに用があったんだわ。ここは何か、牛頭馬頭に合うついで的に?」 「一大観光地獄都をおさえて主様に用とは、いつからそんな面がでかくなりんした。」 「狢が知らねえだけで、俺ぁ里じゃちょっとした有名人だぜ?」  呆れた声で宣う狢の肩を抱き寄せ、耳元に唇を寄せて戯れるように宣う。天嘉からしてみたら、目のやり場に困る固形であったが、狢にとっては慣れているらしい。手のひらで牛頭の唇を抑えると、やんわりと顔を離す。どうやらこのままでは話が進まないと思ったらしい。  狢の目配せに天嘉が申し訳なさそうにしたが、話の筋を戻すことにした。 「いや、前に牛頭がいってた亡者の話。」 「なに?」  牛頭と狢がその言葉に反応する。天嘉の口から出た意外な話題に、話が長くなるだろうと予想したらしい。身重なら立ち話も駄目だろうと促されるように近くの茶屋に入ると、まるで面談かとおもいたくなるような着席の仕方をした。目の前に神妙な顔をした獄卒が二人。しかも見た目からして目立っている。  狢が紅のひかれた目元に真剣な色味を宿すと、まっすぐに天嘉を見つめた。 「して、どちらでお見かけなすった。年の頃はあどけなくとも亡者は亡者でござりんす。」 「水喰んとこにいる。なんか川に流されて滝壺まで落ちたんだってよ。迷子でわんわん泣いてた。」 「水喰…げえっ!水龍んとこか!!」 「なるほど、穢れが神気で落ちなすったと。主様が目を離しんしたからでありんすなあ。」  狢が溜息を付きながら品書きを取る。天嘉はなんとなく店の中を見回していると、真横の壁からにゅっと耳が出てきて、思わず息が止まった。 「っ!」 「あんみつを五つ、蘇芳の主様はなにを?」 「ふむ、ならみたらしと…天嘉?」 「壁に耳…」  びっくりしすぎて思わず蘇芳にしがみつく。牛頭は天嘉の様子に思うところがあったらしい。しらけた目で蘇芳を見つめると、箱入りも大概にしろよと呆れたように続けた。  蘇芳の統べるお山の繁華街でも、壁耳は店の御用聞きとして活躍しているのだ。それを知らないというのは天嘉を外に出していないのと同じである。  相変わらず過保護にしてんのかという牛頭の視線などものともせず、蘇芳は愛いなあと驚いてしまった天嘉の頭を撫でる。牛頭の言葉に耳を赤くした天嘉は、俺のせいじゃねえもの…などと負け惜しみじみたことを宣ったが、全くもってその通りであった。 「おやまあ、籠の鳥でありんすなあ、天嘉殿の間夫が蘇芳の主様とは、ご苦労もありんしょうが、お似合いでようござんす。」 「狢、お前ほんと他人の色恋すきだよなあ。」  にこにこ顔の狢の横で、牛頭が甘酒を頼む。天嘉も蘇芳と同じ、みたらしにくず湯を頼むと、壁耳はぬるりと姿を消した。  なるほどこの壁全体が壁耳の縄張りらしい。席ごとに壁耳がいるようで、みな驚くこともなく活用して居るため、やはりこれが常識なようだ。  運ばれてきたあんみつ五つはすべて狢が平らげるらしく、見た目以上の大食い振りにも驚いたが。 「んだあ、まあ始末書はもう書いたから良いけどよ…神が元亡者をお娶りとはねえ。死んだあとも何があるかわかんねえってのもなあ。」 「娶る?」 「水喰が拾ったんなら、育てて代替わりの子を孕ます為だろうよ。幸っつったか?大人になったら嫁にされんだよ。まあ穢れが流されたんなら普通に大人になれるしな。」  牛頭の言葉に呆気にとられていた天嘉の口に、蘇芳がみたらしを突っ込む。もむもむと口を動かして飲み込んだのち、ズッと茶を一口啜ってから口を開いた。 「ええ、え?まじ?そうなの?ショタコンかよ。」 「しょ、?まあ、神様も天狗と同じよ。ビビッときたやつしか娶らねえしな。」 「赤い糸と言わすやつでありんす。おいひ。」  もくもくと上品に口を動かしながら皿を重ねていく狢の横で、牛頭が財布の中身を確認している。天嘉はというと、あの時のやりとりを振り返ってみた。やけに幸にこだわっていたことは気にはなったが、言われてみれば確かに水喰の幸への執着は、そういう意味も含まれていると思えば違和感もない。 「てこたあ報告書には番いになっちまいましたって書いたらいいんでねえの?お、なんだ楽勝じゃねえか。」 「まったく、調子がいいんでありんすから。」  横で狢の白い目を向けられながらも、なら良かったとご機嫌になる牛頭に、天嘉も同じ気持ちである。やはりこんなところでもお調子者はいるらしい。 牛頭はそうと決まればさっさと報告書仕上げるわとご機嫌になったが、逢引中だと言っていなかっただろうか。  やはり天嘉の予測の通り、やはり牛頭の一言にむすっとした顔をした狢が、唇を引き結んでわかりやすく不機嫌になった。 「あちきは帰りんす。主様はどうぞお好きにいたしんしょう。おさらばえ。」 「ああ!?おまえまた拗ねてんのか!?なんでえ!?」 「今のは牛頭が悪い。」 「ああ、牛頭がいけないな。」 「はあ!?」  未だ何がだめだったのか理解をしていない牛頭が、立ち上がって帰ろうとする狢の姿におおわらわである。ここは主様が払いんす。といわれたので、有り難く天嘉も蘇芳もごちそうになることにしたが、狢に連れ立って店を後にする天嘉たちの背後で牛頭が悲鳴を上げていた。

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