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天嘉の角笛

 どこかしらでまた悲鳴鳥が鳴いている。天嘉は今、蘇芳と共に獄都の大きな繁華街に来ていた。  道中、恐らく九十九神だろう動く木彫りの熊と化け猫が路地で毛を逆立てて喧嘩をしていた。同じサイズの者同士で、どちらが立派な体躯かと言い争っているようで、天嘉からしてみたら同じ見た目であったが、どうやら二匹の妖かしとしての沽券に関わる争いだったらしい。蘇芳に腰を抱かれてその場を後にしたので、結果は知らない。 「なんかさ、ここにきて思ったんだけどみんな血の気が多いよな。」 「気が強くなければこちらではやって行けぬからなあ。お前なら平気だろう。」 「あ?それどういう意味だコラ。」 「そういうところだ。」  天嘉は蘇芳の言葉に腑には落ちてないものの、ガチャガチャ騒がしいこの通りのほうが興味が勝るのか、深く追求はしなかった。  ペラペラの紙のような妖かしが、御籤をやらんかと呼び込みをしている。妖かしも神頼みをするのだなあと眺めていると、ぱちりと眼があった。 「そこな奥さん!どうだい一発!あんた、占いには興味ないかい?」 「うわっ、へ?なにこれ一反木綿の親戚!?」 「ちげえ!俺は紙舞だ!あんな粗野な布と一緒にするなぃ!」    天嘉の言葉に憤慨した紙舞が、その薄い体をくるりと泳がせて吠える。  犬の様な容姿だが、全身がペラペラで風に飛ばされないのか心配になってくる。  それにしてもなんで御籤か。紙舞が身を翻してそのうちのいくつかを口に加えて泳いでくると、天嘉の目の前でその木の棒をぐいっと差し出した。 「え、え?」 「ひへっ!ひひほんひゃうはら!」 「なにいってっかわっかんねえよ!」  しつこい紙舞に思わず天嘉が後退りする。着物の袂からまろびでた角笛を目に止めると、紙舞は咥えていた木の棒をバラバラと落とすほど驚愕した。 「おげぇっ!牛頭馬頭のにおい!!む、狢まで匂い付けしてやがるっ!」 「ああ!?」 「俺はイカサマなんてしてねえよっ!さっさとどっか行っちまいな!」  紙舞は余程後ろ暗いことがあったらしい。ひええっと情けない声を上げながら、己の#塒__ねぐら__#に舞い戻っていった。  天嘉はわけがわからんといった具合で顔を顰めたが、足元に散らばった木の棒はすべて同じ数字しか書いていない。イカサマする気満々だったようだ。それも、獄卒の知り合いだと分かった途端に、手の平を返したかのように、そのやり口を引っ込めたようである。  蘇芳はその棒を掴むと、紙舞が入っていった籤箱の入口をふたするかのように差し込んだ。 「何なんだ一体。」 「まあ、ああ言う奴もいるにはいる。気にすることではないさな。」  塞がれた箱の内側で紙舞が文句を言っているが、どうやらここで店をやる権利もなかったらしい。隣の店の親父が紙舞の箱を見た途端に、またか貴様!と怒り出したのでつまりはそういうことである。  獄都は皆自由だ。マナーの悪いやつもいる。しかしそれも含めて獄都らしい。  天嘉は物見遊山をしつつ、道中蘇芳に買ってもらった餅が刺さった串焼きを摘みながら、みやげ物やで瓢箪お化けに自家製七味の接客をされたり、漆喰を塗る仕事をしていた塗壁に興奮したりと、実に楽しいひと時を過ごしていた。  塗壁も、育った環境で重さが違うらしい。お喋りをした塗壁は、海辺の町出身で体が石灰混じりという話だ。天嘉が石灰には浄化作用があるという話をすると、物知りだなあと感心していた。 「まさか俺の一言で転職を決めるとは思わなかったわ。」 「ああ、まあずっと壁塗りしているのも飽きたそうだ。」  今後は地元で河童と共に、河川の浄化活動に本腰をいれるらしい。塗壁が目を輝かせながらそう言っていたと蘇芳が続けると、天嘉はそれはそれで見たい気もすると呟いた。  獄都は一大観光地だ。だからこそ出稼ぎに来るものも多いらしい。 「それにしても外界の知識には頭が下がるな。お前の話は実に理にかなっている。妖かしは妖かしであって、特に九十九神上がりは己の特徴に疎いからなあ。」 「塗壁って九十九神?」 「知らんが、まあそんなようなものだろう。」  軽口を叩いて繁華街を歩く。垢嘗の整体屋やら、髪喰いの理髪店なんかもある。己の性質を理解しているものは繁盛しているようだった。    そんな中、俄に往来が騒がしくなった。天嘉はキョトンとした顔で進行方向の奥に人だかり認めると、その黒山の妖かしだかりの上を飛び越えるかのようにして、女の顔をした百足の化け物が現れた。 「へぁ、」 「百足女房だなあ。」  おお、と感心したように蘇芳が見上げる。百足女房は、その豊満な上半身と引き換えに下半身は大きな百足になっており、その巨体をねじりあげるようにして群衆から飛び出すと、その上半身を逆さにして天嘉を見た。 「え、」  ぱちりと目が合う。赤い口紅を引き上げる様にしてニンマリと微笑むと、キシキシと音を立てながら多足をざわつかせる。気味が悪い雰囲気にぶわりと身に鳥肌を立てると、蘇芳は妙な様子に気がついたようだ。天嘉の前にずいと出た。  百足女房は両腕を広げると、勢いよくその身を走らせて一気に近接した。口からはみ出た長い牙をぱかりと開き襲いかかろうとすれば、蘇芳はどこからともなく取り出した長い錫杖で思い切りその横面を叩いた。 「ひゃ、っ」 「不躾な女め!気でも狂ったか!」  シャンという澄んだ音を立てながら振り抜いた錫杖は、たしかに強烈な一打を百足女房に与えた。その長い体の一部を裏返しにすると、土煙を上げながら路端にその体を滑らせた。  ガシャンと大きな音を立ててその身が屋台に激突する。百足女房は地べたに手をついて起き上がると、その鋭い瞳で蘇芳を睨む。 「女を叩くだなんて粗野な野郎だ!!食ってやろうか大天狗!」 「額に一文字、貴様罪人者か。全く牛頭馬頭はどうしたのだ。」 「す、蘇芳!」 「下がっていろ。すぐに済む。」  長い髪を乱しながら、恐ろしい形相の赤い目で蘇芳を睨みつける。嫁を背後に庇いながら、蘇芳も剣呑な鋭い瞳で目の前の妖かしを見据えた。大衆は大天狗と百足女房の一騎打ちだと俄に騒がしい。獄卒が来るまでの大捕物だ。中にはどちらが勝つのか賭ける者もいた。  しかし天嘉は違っていた。真っ青な顔をして上着を脱ぐと、上体を起こして襲いかかる気でいた妖かしの前にまろびでた。そして、あろうことか百足女房の裸を隠すようにして、上着ごと抱きしめた。 「なっ、」 「ああ!?」  これには蘇芳も百足女房も面を食らった。まさかこんな事をするだなんて誰も思わない。襲いかかる気でいた対象に抱きしめられた当事者は、その真っ赤な目を大きく見開いた。己の体よりずっと小さいこの男は、一体何を考えているのだと言う具合に見下ろすと、今度は真っ赤な顔をした天嘉が声を上げた。 「服を着なさい服を!!」 「あ?」 「女の人なんだから、丸出しはだめでしょうが!!」  ぽかんとしたままの蘇芳と、静まり返った大衆。天嘉はというと、ほら袖を通して!おっぱい隠して!と甲斐甲斐しく百足女房に自分の羽織を着せ付けると、肩にかけていたショール代わりの布を帯にしてキュッとウエストの位置で結ぶ。  あれよあれよと言う間に服を着せ付けられ、素肌を隠された百足女房は、ぽかんとしたまま服を着た自分と、顔を赤らめて怒っている天嘉の顔を見比べる。 「あんた、アタイになんで服を着せたのさ」 「え?だって風邪引くだろ。あと女の人は簡単に素肌を見せちゃだめだよ、俺は目のやり場に困る。」 「ええ、あんたアタイの素肌で興奮すんのかい?」 「あ、いやちがくて、いいもんみせてもらった、じゃなくて!ほら!!嫁入り前ならだめだろう!ああ何いってんだ俺!とにかく男の目もあるんだから、自分を安売りすんなって!」 「はああ…」  ぽかんとしたまま、顔を色々な色に染め上げながらあたふたとする天嘉をみて、百足女房はピクリと口を引くつかせた。こいつ、アタイを女として見たのか。そう思うと、なんだかおかしくて仕方がない。番だろう大天狗は、頭の痛そうな顔をして溜息をついている。なんだか久しぶりに女として扱われたと思うと、感慨深いものがある。  百足女房はその天嘉よりも大きな体を屈めると、しゅるりと天嘉を囲う様にしてその身を巻きつける。 「おもしろい、この百足女房であるニニギをそこなおなご扱いをするとは!あっはっは!」 「ええ、なにこの状況…ちょ、おっぱい押しつけんなって!」  ニニギは赤い目を光らせながら面白そうに天嘉の体を後ろから抱きすくめる。自分に子供がいたらこんなくらいだろうか。嫁に触れられて気を立たせる大天狗とは引き換えに、天嘉はおっぱい!!離れてくんねえ!?と大慌てだ。  大衆はてっきり喧嘩になるのかと思っていたようで、何だ丸く収まるのかとつまらなさそうにその場を後にするものもいた。  そもそも、ニニギだって用事があってここまで来たのだ。この身が珍しいからと奇異の目で見やるバカどもは総じて腹の中に収めてきたが、どうやら天嘉は違うらしい。イイ気分だ。久しぶりに高揚している。 「ニニギ、貴様天嘉から離れろ。それは俺のものだ。」 「男の嫉妬は醜いねえ、おお怖い。」 「ニニギ!!おっぱいあたってるから!!」 「あててるんだよおバカ。童貞のような反応しやがって。」 「童貞だもん!!って何言わすんだ馬鹿野郎!!」  童貞なんだ。ニニギも蘇芳もそんなことを思った。  天嘉は言うつもりが無かったらしい。素直に答えた面白いこの男の腹の膨らみに気がつくと、ニニギはしゅるりと音を立ててその身を離した。 「なんだ、孕んでいるのか。どうりで美味そうな匂いがするもんだ。」 「ニニギ、もう俺に構わないで、おっぱいのことはちょっと忘れらんねえかもだけど。」  耳まで赤くした天嘉を開放すると、ニニギはその上半身を擡げて蘇芳を見下ろした。 「やいチビ。アタイの頬を張ったんだ、あんたの雌がアタイを女扱いするんだから、おまえだってアタイを女扱いするべきだ。謝れチビ。」 「…この御嶽山総大将であるこの蘇芳をちび扱いだと?貴様がどれほど偉いのかはわからぬが聞き捨てならぬ。そこになおれ、叩き斬ってくれるわ!!」 「この顎で噛み砕いてやってもいいんだよ!?やんのかい、ああ!?」 「やらねえよばか!!ああ!!もうどうしろってんだ!!もおお!!」  顔を猛禽のそれに変化させて威嚇する蘇芳と、大顎を晒して攻撃姿勢になるニニギの間に挟まれて、今度は天嘉がブチギレた。  こういうときは他人を巻き込むに限ると言わんばかりに胸元から角笛を取り出すと、それを思い切り吹く。  できれば狢に来てほしい、そんな切な思いを一息に託した。音のしない笛は確かに広がって、それは正しく聞き届けられたのようだった。

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